1984-06-19 第101回国会 衆議院 内閣委員会 第14号
米英鬼畜とか英語を習っちゃいかぬ。しかも戦争が終わるのか終わらないのかわからない。終わるとしたらどういう形で終わるのかということさえも想像もできない。言ってみれば平和というものから完全に遮断された状況の中であの人たちは行ったわけです。したがって、そういう背景と切り離して、ただ何か理想に生きて殉じていったというような美化の仕方は怖いなというふうに思うわけでございます。その辺、総理はどうお考えですか。
米英鬼畜とか英語を習っちゃいかぬ。しかも戦争が終わるのか終わらないのかわからない。終わるとしたらどういう形で終わるのかということさえも想像もできない。言ってみれば平和というものから完全に遮断された状況の中であの人たちは行ったわけです。したがって、そういう背景と切り離して、ただ何か理想に生きて殉じていったというような美化の仕方は怖いなというふうに思うわけでございます。その辺、総理はどうお考えですか。
それから、第二次大戦のときだって、新聞はやっぱり暴支膺懲、鬼畜米英でやったんですよ。軍部だって単純に乗っけられたという面もないではないと思うんですよ、私は。そういう場合もあると言っている。一つの危険がある、こう言っている。全部が危険じゃない。いいこともあるんですよ。 大正年代に藩閥横暴で、長州と薩州の横暴を怒って暴動が起きました。
かつて、アメリカ、イギリスを鬼畜と呼んだことがございますが、ソ連に対してそういう対応をしてはならない。国民の相互理解、これが戦争を防ぐ、このことも明らかであります。 そういうふうなことは、憲法さらには国連憲章の精神からして十分に私たちは理解をしているはずであり、そこから脱線をしてはならない。残念ながら、この脱線傾向が最近顕著になってきているのではないか。
ちょうど鬼畜米英、鬼畜米英という、そういう宣伝を朝晩聞かされたと同じような状況がいま出てきておるのじゃなかろうか、そんな心配をするわけです。 第一、守る専門と言いますけれども、私はそれはむずかしいと思うが、仮に信じたとしても、その場合は戦場は一〇〇%この日本の領域内です。一体、この国土を守ると称して、防衛であろうと何であろうと戦争を始めて、結果はわかっているんじゃなかろうか。
その戦争の一番の悲劇の落とし子として、この間台湾の召集兵に対する補償の問題も出ておりましたが、戦争中に中国大陸で非常に悲惨な目に遭って、日本人の父を持ちながらもいわゆる孤児として存在をする者がたくさんあるわけで、私は孤児問題についてもきょういろいろと質問するつもりでありましたけれども、それは省略するとしますが、一体過去の戦争に対して、あなたたちは鬼畜米英やるべしということで大合唱したグループですから
北方領土を返さぬからけしからぬ、それはそのとおりかもしれませんが、かつて日米が戦争状態に入ったころは、もうアメリカはけしからぬけしからぬで、鬼畜米英だということを盛んに言っておった。下手すると、どうもああいうムードをつくって、良識的な判断あるいは冷静な判断というものをこれは見誤ってはいかぬと思うのです。
三十五年前は鬼畜米英、暴皮膚懲で、ソ連は平和の仲介として頼みになる友邦であったと思っていた。日本以外はみんな脅威だ。——これがまた自衛隊の制服の意見なんですなあ。やめたらみんなこういうことを書くんだ、やめたら。やめたらこういうことを書いて、いまの自衛隊では何にもならぬというような趣旨のことをいっぱい書くんですよ。制服の間じゅうは増強しなさい増強しなさいといっていろんなことを言う。
アメリカの報告によると、四十五師団、イギリスの「ミリタリー・バランス」は四十六師団、ソ連太平洋艦隊については防白は八百隻、米報告は七百二十隻、「ミリタリー・バランス」は五面二十七隻、どこを見てもソ連がたくさんあるんだ、ソ連は大変だ大変だと、まるで第二次世界大戦をやったときに鬼畜米英を言ったようなものなんだ。アメリカこわい、イギリスこわい、夜は物も見えなんてぼくら学校で教えられた。
日本が太平洋戦争のときにやったのですが、鬼畜米英撃滅とやりまして国内を団結させていくというやり方ですね、あの戦法に私はよく似ていると思うのです。これは政府委員でなしに長官ですが、私はそういう感じがいたしました。いまは勢いがいいのですけれども、軍事予算というのは経済効率から言いましたら、研究費にいたしましても産業構造にいたしましてもいままでのベトナムの後遺症をますます拡大する関係にある。
かつて米英を鬼畜と呼んだように、特定の国家を仮想敵国として戦争の危機をあおるような、他国の国民に対する不信感に基づいた国の防衛というものは考えておりません。これが憲法の前文に述べられている恒久平和の原則だと思います。 憲法第九条はこの原則を具体化する規定であり、この規定によれば、陸海空軍その他一切の戦力を保持し得ないことは明白です。
しかし、まさにこんなだれが考えても、もう人道的に見ても、鬼畜に等しいような行為が行われたということが、一保健所だけにとどまっておったというところに、まず私は問題がある。これは時間がありませんから、これで。
それはアメリカが、昔で言うヤンキーというか、鬼畜米英が来てやったんです。そうでしょう。私が言ったんじゃない、そのときの言葉で言ったんです。私はそんな失礼なことは言いません。そういった蒸し焼きになった人間やけがをした人間はほったらかしになるけれども、アメリカの潜水艦がばっと水雷を撃って、沈んだ人間には開発庁でも金を出すんです。何かできるでしょう。沖繩開発庁でもこれだけやっておるんですから。
この中には私が指摘をしたようなことが明確に書いてありまして、これは「鬼畜米英」と言っておったときですから当然でありますが「新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり、帝国政府はここに自らの名において、かつまた全人類および文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求
しかし、日本の方も変わっておりまして、かつては鬼畜英米とおっしゃった同じ人が、ただいまでは親英親米、こう言っておられることでありますから、問題は、変わったことが悪いのじゃなくて、いい方向へ変わったかどうかということが問題であると思います。平和と繁栄の方向に向かって変わってくることは、私は好ましいことだと考えております。 覇権についての解釈は、変わりはないと思います。
「戦後の時代は鬼畜・米塩」——鬼畜米英と言いましたのをもじりまして「鬼畜・米塩の時代であった。白米飯と塩からいおかず、これが日本社会の諸悪の根源とされ、「米離れ」をすすめるPRが洪水のように流れ出していたのである。」政府はこの点をみずからの責任として明確にしておく責任があるというふうに思います。いまの御答弁と大分違うわけですけれども、ここら辺が全くいまの御答弁では無責任になっていると思います。
鬼畜に等しい野蛮の行為に憤りを感じます。 これは朝日新聞記者、本多勝一氏著書「中国の旅」ホンの一部の記事で捏造の事ではなく九死に一生を得た人達の証言による。
大臣が御存じないから私は御説明を申し上げなければならないはめに入りましたけれども、戦時中の日本人にとってはニミッツ、マッカーサーに並ぶ「鬼畜ルメイ」といわれた男です。当時は米空軍の第二十一爆撃隊司令官だった。この東京空襲の皆殺し戦略爆撃のみならず、全日本本土の爆撃はもちろん、広島、長崎に投下した原爆の直接的な責任者です。——わかりましたか。(笑声)
やったのは何かといえば、竹やりを持たして、わら人形をつくって、鬼畜米英と言ってやったのだ。そのあげくの果て一体どうなったのだ。私はもう憲法論とかむずかしい議論じゃないと思うのです。そのことを申し上げておきたいのですね。しかも、こういうことを自衛隊の研究の主たるものとして編さんして、資とすることを主目的として編さんをしている。これは何も沖繩戦だけではなくて、五十四巻くらいありますよ、国会図書館に。
あの鬼畜のような連合赤軍の中にも、頼良ちゃん、生後三カ月の頼良ちゃんを救った人間性は残っておる。あの殺人鬼と言われた小原でさえ、吉展ちゃんを殺した小原が昨年の暮れに死刑執行されたけれども、私はあの歌を見て感心した。