2010-02-26 第174回国会 衆議院 予算委員会 第17号
そこで、私は父親の影響を受けて育ったものですから、おやじは、百姓仕事が終わると暗うなってから野良から帰ってきます。そして、子供たちが先にふろに入ったりしていますと、わずか一合の酒をさもおいしそうに飲むんですけれども、私ども先に晩飯を食います。すると、魚なら頭と骨しか残っていない。それをよこせと。おやじは、出雲地方ではすわぶると言うんですね、そうしながら酒を飲んでいました。
そこで、私は父親の影響を受けて育ったものですから、おやじは、百姓仕事が終わると暗うなってから野良から帰ってきます。そして、子供たちが先にふろに入ったりしていますと、わずか一合の酒をさもおいしそうに飲むんですけれども、私ども先に晩飯を食います。すると、魚なら頭と骨しか残っていない。それをよこせと。おやじは、出雲地方ではすわぶると言うんですね、そうしながら酒を飲んでいました。
利用者にとっても非常に、二時間も、これから野良仕事行かなきゃいかぬのに二時間も掛けて拘束されて、もういいかげんにしろと、利用者にとってね、そういうことで非常に売れなくなっていると。これが、極端に言いますけれども、たんす預金が増えているんじゃないかという想像ができるわけなんですね。
日の丸挺身隊どうのこうので一緒に野良仕事、後ろには綿を山のように積んだ荷車が写っているんですよ、アサヒグラフには。そこをカットしているんですよ、アイリス・チャンは。 そして、笑っているんですよ、女性はみんな。笑っているところを黒く塗って、これから強姦される写真だと。こんなわかりやすいインチキ写真。
これは「我が兵士に守られて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の女子供の群」。写真はみんな女性は笑っているんですよ。そのままこれを使ってはあんばいが悪いから、アイリス・チャンはそこを黒く塗ったんです、歯のところを。同じ写真なんです。 それが、聞くところによると、最近撤去された。さすがにやばいと思ったんでしょう。
アサヒグラフの中に同じ写真がありまして、「我が兵士に護られて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群(十月十四日 熊崎特派員撮影)」というふうに書かれているんです。これはちゃんと、写真を撮った人も、日付も、きちっと書かれているんですよ。ところが、前のものはそんなことは一切書かれていないわけです。もともとのこの原本をとって中国側がそれをつくったということなわけであります。
極端に言いますと、午前中、畑で野良仕事をして、あるいはちょっと会社の雑用して議会に出掛けて、そしてまあまあ大した議論もせぬと、そして議員を務められると。そんな人にどうしてそんな年金などとんでもないという、こういうような話があるわけでございます。 これは、非常に古い昔の議員像でありまして、最近はちょっとした大きな町の町村会議員でも市会議員でもなかなか出るのも大変なんですね。
が、従来は、いわゆる野良であろうと飼い主がいることが想定されるものであるとにかかわらず、所有者の判明しない犬や猫につきましては、動物愛護法の対象で対処すべきものなのか、あるいは遺失物法の対象になるのか、そこについては不明なまま運用がなされていた。したがって、警察においては、そうした場合においても警察においてできる限りの措置をするという対処をしてきたということでございます。
○中山国務大臣 私の小さいころは、親が野良仕事から帰ってくるのを待って、家畜の世話をしたり、御飯を炊いたり、おかずをつくったりして待っていたものでございますけれども、昔のことは昔のことでございますが、今現実にそういうふうな問題もあるということではないかと思います。そういう意味では、子供も親もなかなか厳しい状況にあるんだということは認識しております。
なぜこういうことを聞くかというと、今、野良ちゃんではなくて飼われている犬が日本全国で一千百万頭いるんです、匹か、一千百万。猫が一千万匹いるんですね。野良は別ですよ。要するに、何を言いたいかというと、家族の一員として、パートナーとしてお付き合いしている人もいれば、いやしで奥さんとの間に挟めている人もいれば、いろいろこうあるんですけれども、いろいろあるんですが、あるようであります。
野良で働いていたら、突然日本軍に連れてこられて、日本まで連れてこられ、そして炭鉱で働いたり、中国人の場合、秋田県大館の花岡で強制労働をさせられて、それに怒って蜂起して、千人の中で六百人が殺されたという、これは終戦直前の話ですね。その生き残った人から私、直接聞きました。本当に、野良で働いていたらいきなり、家族にも連絡取る暇もなく連れてこられたと。
○参考人(廣野良吉君) 私は、一九七四年、ちょうど中国が文化大革命で荒れているときですが、そのときに周恩来総理の御招待で参りました。
本日は、「平和主義と安全保障」のうち、「憲法と国際平和活動、国際協力」について、東京大学東洋文化研究所教授の猪口孝参考人、独立行政法人日本貿易振興機構アジア経済研究所地域研究センター参事の酒井啓子参考人及び成蹊大学名誉教授、NPO法人平和構築・民主化支援委員会理事長の廣野良吉参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
○参考人(廣野良吉君) ありがとうございます。 私は実は憲法学者じゃありません。それですから、細かなことは申すことはできませんので。ただ、言いたいことははっきりしていまして、それは、我々はこの国際環境の中において全面的に世界の平和、世界の発展のため、特に持続可能な開発のために、すなわち環境保全と両立するような格好で世界の経済の発展のために我々が貢献する。
だから、野良牛がうろうろするだけではないですよ。農家自体がもたない、こういう状況ですから、私は言っていると、少なくとも事業団の買い入れも、将来のといいますか、検討課題には入れるんだ、その決意は、大臣、見せてくださいよ。
予算委員会で、廃用牛の行き場がなくなっている問題を指摘して、農水省の周りで野良牛が出たらどうなりますか、こういう質問もさせていただきました。その後、この私の指摘どおりの事態が、埼玉県でも熊本県でも野良牛が発生して、熊本県ではその牛の胴体に抗議の文字が書かれていたほどで、それほど今、戦後酪農家あるいは畜産業を通じて大変な危機的事態にあるというふうに思います。
どうするんですか、こうお聞きすると、どうしようもないんです、だから野良牛にするしかないかな、こういう声さえ出ているような状況なんですよ。農水省の周りで野良牛が出たらどうなりますか。そうならないための施策ですよ。
ところが、そこに値がつかないというだけじゃなくて、逆にこの費用が持ち出しになると、結局処理費用ということでへい獣のためのお金がかかるわけですけれども、北海道では、このままで行ったらそれこそ、野良犬とか野良猫とかというのはありますけれども、野良牛とか本当に捨て牛とかいうことが出かねないということも話が出ているわけです。
今、ちょうど自民党の委員会の中でODAに関して法制化をしようというような研究会が設けられておりまして、我々の先輩であります山本一太先生を座長にいろんな角度でODAの検証をしているところでございますし、先般も成蹊大学の廣野良吉先生とか慶応大学の草野厚先生等々から勉強会を開きましていろんなことを教わっておるんですが、先ほど阿南先生の方から話がありました重債務貧困国について、私の時間をいただきましたものですから
昔の母親はどうだったかといいますと、実際、野良仕事などで忙しくてとてもたくさんの子供に手が回らなかったわけで、その方がむしろ子供はみずから育つ力が発揮できたとも言えるわけです。
つまり、それ以前ですと、母親というのはかなりの数が農民でありまして、野良仕事で忙しいので、大体お姉ちゃんやお兄ちゃんが赤ん坊を背中にくくりつけていたり、それからおじいさんおばあさんが育てたりしておりまして、母親が育てていたケースというのはそんなに多いわけではないんです。
それともう一つは、最近は農業によっては非常に格好いい農業もあるわけなんですが、稲作を中心にした土地利用型の穀物生産農業についてはやっぱりはたから見ると非常に格好悪いと、友達がネクタイを締めていろいろ仕事をやっているときに野良着姿で自分はやらなきゃならない、そういう思いがあるんじゃないかといふうに思うわけで、その対策については、基本的には農業というのを職業にしても一生安心して家族を養っていくことのできる
野良で働いているお百姓さんに、保険証を持ってくればサービスするよというようなことで人集めをするというような医療機関があってはならないと私は思います。そういうようなことがございますし、あちこちで起きているようでありますので、そういうことであれば、私はそういう病院は絶対に開設してもらいたくはないと考えております。
この方々に、むしろ野良に出て仕事をしてくださるだけでとてもいいので、五万円の福祉費を払うということで、ほうっておけば特別養護老人ホームに入ってしまわれるようなことのないようにする。こういう健康のあり方。 あるいは山間地の農業で、作物はとらなくてもいいから、緑を植えているだけだって環境にはいいんですから、これは別体系で補助をする。
空気がよくて光がきれいで緑が多くて家が広くて通勤時間が短くてというのと、空気が汚くて通勤時間、満員電車で一時間半かかって車も持てなくてという、田舎へ行くと、この間掛川へ行きましたら、車が一家に七台あると言われまして、一人に一台ずつ四台あって、野良仕事用に二台あって、レジャー用に別にもう一台ある。
しかし、この間、普及員はまさに農家と一体となりまして、野良先であるいは中山間地帯で増産技術を実践し、選択的拡大と言われれば新技術を必死になって習得し、転作推進と言われれば転作の推進、定着化のために我が身を忘れて献身的な努力をしてまいった、これが実態であります。