2011-05-26 第177回国会 参議院 外交防衛委員会 第11号
そういう意味では、やはりこれから頑張っていけるという意味で、これは朝鮮王室儀軌の場合はすんなりとお返しいただく反面、やはり国としてもう一度、先ほど言いましたけれども、サンフランシスコ講和条約六十周年ですから、還暦を迎えたわけですから、新たに生まれ変わって、それに向けて日本国内にそういう組織なりをつくって、そして東アジア全体を見ていく、日中、日ロという関係ではなくて全体を見ていく、そういうやはり視点が
そういう意味では、やはりこれから頑張っていけるという意味で、これは朝鮮王室儀軌の場合はすんなりとお返しいただく反面、やはり国としてもう一度、先ほど言いましたけれども、サンフランシスコ講和条約六十周年ですから、還暦を迎えたわけですから、新たに生まれ変わって、それに向けて日本国内にそういう組織なりをつくって、そして東アジア全体を見ていく、日中、日ロという関係ではなくて全体を見ていく、そういうやはり視点が
私が初めて地元の和泉市というところに住みついたのもこの年でございまして、当時二十四歳だった男が還暦の六十歳になるまで三十六年間、関空の問題を、一市民として、あるいは住民運動として、府会議員として、国会議員として、ずっと見てまいりましたので、苦渋の選択だということだけひとつ御理解をいただきたいと思います。 ただ、この苦渋の選択というのは、大阪泉州にとっては今回が四回目なんです。
なぜかというと、戦後、結局人工林で杉を植えろ、杉を植えろと、こうやったものだから、それが四十歳、五十歳、還暦の六十歳になって、今すごいんですよ。それとプラス、当然間伐や何か、山に入るのが減っているために目いっぱいの花粉が飛ぶようになってしまっているという両方の相まった結果がこうなっているんで、例えば東京だと、北風が吹くときは秩父とか青梅とか上野原、あっちの方から降ってくる花粉なんです。
先般、我が党の山下栄一議員が、福利厚生費というか、法定外福利厚生費、一体どのぐらいあるんだということで質問をさせていただきましたところ、かなり前に質問をしておったところでございますが、総務省の方から、二〇〇一年から九年まで七百四十二億余りですか、いわゆる法定外福利厚生費、どんなものがあるかというと、食事手当あるいは個人旅行費補助、フィットネスクラブ法人会員費、遊園地利用年会費、結婚や還暦のお祝い金、
私は、地方で政治と行政を二十四年間やってまいりまして、還暦を過ぎましてから衆議院というチャンスを与えられまして、よし、立候補してみようと思ったのは、地方という現場の声を国に伝えることができるならと思って頑張ってみました。 物の細部に真理が宿るとか、現場に神宿るとかいう言葉がありますが、私は、国と地方の関係、ガバナンスの現場である地方にこそ、やはり真実があるという思いです。
私も還暦を迎えましたので、二年前にそういう手紙が来、三か月前に来ましたので、きちんと私はそれを見てやりました。
○小林正夫君 私も還暦を過ぎて年金をもらうという、こういう年齢になっているんですが、やっぱり年金は老後のための安心、これが年金なんですね。したがって、この年金の運用に対して勝負をするような、一発かけてみるとか、こういうものは全く私はなじまないと思います。もっとも、その比率の関係もあると思うんですがね。
例えば、私は還暦を超えましたけど、二十歳代のときに払っていると。そのときに四十年後、自分の生活がどうなっているか分かりません。
ほとんど休みなしで来たんですけど、今年還暦を迎えますが、この年になりますとそろそろ休みも欲しいなと、こんなふうに思ってきております。 一般的に言うと、若いころは収入を増やして暮らしを安定させようという意識が強く、また仕事を覚えて面白くなる時期でもあり、休むよりも仕事の方が大事というふうに考える人も多いのではないかなと思います。
だんだん今の我々、アラカンと言えばいいんですかね、還暦とか、あるいは四十、五十の、私は過ぎていますけど、そういう意味での兼業、自由時間といいますか、の兼業といった形を好まなくなったというか、実際なかなか動かなくなった。しかしながら、地域の日本一フットボール、いろんな運動を、運動というか、活動と言えばいいんでしょうかね、一生懸命やり始めてきている。
一月元旦から七草がゆ、そして節句とか、ひな祭り、こどもの日とか、人生の節も、成人式とかあるいは還暦とか古希とか米寿とかという、そういう節がある。生活が単調にならないように節があるという、節を特に大切にする民族であると、私はそう思っているわけであります。 そういう考え方からしてみましても、この天皇陛下の御即位二十年という節であります。
ですから、ああいうのは、ちょうど私自身ももう還暦を超えまして、ちょうど僕らの年代は団塊の世代の始まり、一九四七年。そういう人たちが今から先もう第一線から引くような状況になりますから、そういう人たちをもっと有効に活用したらいい、生きがいも出てくると思うんだよね。 この前、JICAがいいことをしたと思ったのは、今度、青年協力隊を二百人ふやしましたというんですね。
あるいは、還暦を前にした男性はこう言っています。住んでいる人間が納得いくかどうかがポイントだ、皆が金持ちで若いならどこにでも行ける、しかし高齢者はどこに行けばいいのかと。 甘利大臣、あのときのあの答弁と違う現実が生まれているわけです。こういう現状をどう思いますか。
堺屋先生が団塊の世代というのを付けられたわけでございますが、実は私は今年還暦を迎えまして、そこで隣の日枝神社へ行きまして、早いうちにということで厄払いをしていただきまして、そのときに、名前と住所と、そして自分の生年月日を昭和二十四年六月十七日生まれと書きまして、年齢は五十九歳と書きましたら、何とあなたの年は六十一歳ですよと言われまして、これ数えで、えらい年取ったなという感じがしまして、お隣の筆頭理事
私も団塊の世代で今年還暦を迎えたばかりでございますが、あと十年前後で年金をいただくような立場になるのかなというふうに思いますから、これはもう伸びていく一方でございます。 また、医療に関しましても、この高齢者社会の中で今七十五歳以上の方がたしか千二百万かちょっといらっしゃるわけでございますけれども、これが二〇二五年になりますと二千万人を超える方が七十五歳以上になられると。
私も還暦になりましたから、自分自身の年金の処理をやっていて、それで実際歩いてみたんです、大臣視察なんていうと分からないから、一国民として。それで、やっぱりこれは大臣が理解できないようなことをやっていいのかというような考えもありますから、そういうことも含めて徹底的に変えていきたいというふうに思っております。
六十年、大臣は昭和二十三年の生まれだからもう還暦になっちゃったんだけれども、それはともかくとして、六十年たっている。平成六年から、二割五分以上五割以下の範囲内で政令で定める率というふうに厚労省にこれ委任をされたわけですね。ところが、結果として何が出たかというと、休日が三五%に引き上げられた、これだけなんです。肝心のところがない。
なお、私、よわい六十の還暦になっておりますが、四十三歳のときに文部大臣をいたしました。そのころもいろいろありました、あったと記憶をいたしておりますが、要は、教育委員会がしっかりしておればこういうことは起きないんですよ。そこに変な癒着関係ができてくると、もう言語道断だと当時から思い続けて今日に至っております。
還暦を祝って、米寿あるいは白寿というようなことがあったときに家族全員が、一族郎党が集まってよかったなというような気持ちがあることが、私は日本人が日本人であってよかったという安心感を持つ歴史的な習慣だと思います。
ただ、その息子の話を今ここでできるということ自体が、自分にとっては還暦を前にしたすごい喜びの一つでもあるわけなんですね。 要するに、結論としては、まさに自分自身にとっての息子の死の恐怖に対するいやしでしかなかったんじゃないかということをすごく感じます。それを一つの今の結論として持っております。 ただ、そのときにおりました九歳の姉は、常に否定をしておりました。