1977-08-01 第81回国会 衆議院 本会議 第4号
きのう、私のところに来られた設計屋さんの言葉ですが、すなわち、伊勢神宮の貴賓室造営の一番札が十五億円で大手会社が落としました。神宮当局の予算は何とその倍以上の三十四億円でありました。驚いたことに、二番札も十六億円でありました。いずれも予算の半額以下であります。それでも建設会社は仕事を欲しがっております。結局、その損は全部下請、孫請に押しつけ、一軒として採算の合う企業はなくされております。
きのう、私のところに来られた設計屋さんの言葉ですが、すなわち、伊勢神宮の貴賓室造営の一番札が十五億円で大手会社が落としました。神宮当局の予算は何とその倍以上の三十四億円でありました。驚いたことに、二番札も十六億円でありました。いずれも予算の半額以下であります。それでも建設会社は仕事を欲しがっております。結局、その損は全部下請、孫請に押しつけ、一軒として採算の合う企業はなくされております。
○説明員(三好勝彦君) 私の記憶といたしまして申し上げますが、いまから約七十年前に造営に入ったわけでございまして、約十年ぐらいで完成したというふうに理解しております。
○和田(貞)委員 宮廷費というのは、東宮御所を新営された時期であるとか、あるいは皇居を新営された時期であるとか、あるいは造営をされた時期であるとか、そういう時期は予算がふくらんでおるということは理屈がよくわかる。
もう林委員も御案内のように、桂離宮は十七世紀の初期に、元号で言いますと、何か元和から寛永にかけてのようでございますけれども、造営されました日本の世界に誇る文化的価値を持つ建造物、こういう由緒あるものでございますが、何分にも三百五十年以上たっておるわけでございまして、その間、いろいろ必死な維持管理等が行われてまいったわけでございますが、そうした年月の経過というようなこともございまして、あそこを参観された
いまお話しになりましたのは、その管理者としての法的な責任、これを今村君が公務員的なとか造営物的なとか、責任をそういうかっこうで分けていることだと、かように考えるわけであります。
特に私から言わせれば、学校造営物論に基づくところの校長の造営物権力論なんという問題というのはすでに御破算になっていると思うんですけれど、やっぱり依然としてこういうものを肯定されて教育行政に当たっておられるんですかどうですか、それとも、どうなんですか。
○小坂国務大臣 いま過失責任があるとはっきりおっしゃったわけですけれども、われわれのほうは、過失があったとは考えられないという見方と、それから造営物の敷設または管理に瑕疵があったとも考えられないというところでありまして、明確に過失及び瑕疵があったということはなかなか決断がついておらないわけです。
、大正十四年の五月に大蔵省に営繕管財局を設置いたしまして、大蔵省所管の建造物にかかる営繕あるいは各省所管の建造物にかかるもの、ただし東京府または神奈川県において営繕を施行するものに限るというようなものを中心に、大蔵省がある程度集中的に営繕事務を行なってきたわけでございますが、その後いろんな経緯がございまして、昭和五年の十二月の閣議決定によりまして、一般的な集中営繕の例外といたしまして、神宮、神社の造営
○瓜生政府委員 皇居、赤坂御用地の関係のお尋ねでありますが、この皇居の関係では、昭和三十四年に皇居造営審議会が開かれまして、いろいろ審議された際に、このうちの一部分の東側地区の庭園部分を一般に公開したらどうかという御答申がございました。
○説明員(新谷鐵郎君) 環境庁といたしましては直接的には自然公園内におきますゴルフ場の造営が問題になるわけでございますが、従来から国立公園の中で公園計画に基づきます公園事業といたしましてゴルフ場の事業を認めておったことがございます。
東御苑といいますか、束公国というのですか、あれはいわゆる宮内庁所管の皇居の一部たる付属苑地ということで整備をされたのでございますが、これにつきましては例の皇居造営審議会、昭和三十四、五年ごろでございましたか、あそこで皇居の造営にからみましていろいろ皇居並びに皇居の周辺の環境整備ということも議論されました。
○宇佐美説明員 いまの皇居ができますときに、皇居造営審議会というものが置かれまして、国会からも多数の方に御参加いただいて、あるいは言論界、各方面からお集まりいただいて審議されたわけでございます。そのときに、皇居をつくるのにいまの皇居でいいかどうかというのはもちろん一つの問題となったわけでございます。
○宇佐美説明員 宮内庁といたしましては、先ごろの皇居造営にあたりましても、将来のこともございますので、いろいろ空気の汚染問題も調べまして、当時としては、あの辺は郊外の石神井辺の汚染程度ということで、比較的軽く考えられておったわけでございます。その後の情勢は悪くなる一方でございます。
○森勝治君 そういたしますと、直轄局はいざ知らず、世に言う特定局の庁舎の新築、改築、造営等については郵政省はあずかり知らぬと、こういうことですね。
飛鳥寺が建てられました推古天皇元年のころ、特に塔の柱が建てられた、日本書紀に記載されておりますこの時期こそは、一方では古墳時代、まだ古墳を豪族が造営しておった時代であります。初めて仏教のりっぱな伽藍をつくるという時代であったということが、一つの遺跡で非常にはっきりと出てまいったわけであります。
これも時間がありませんのでこまかいことは省略させていただきますが、飛鳥寺の造営事業、これをつくる造営事業一つとりましても、あるいは飛鳥のいろいろな遺物の中で、特に石に関する遺跡物というのは非常に特色かと思うのですが、こういうものが古い文献にあらわれてくるあらわれ方との関連考察、こういったことがこの地域では非常に重要なといいますか、貴重な材料を提供してくる場所であるというふうに考えるわけです。
○政府委員(瓜生順良君) お尋ねは多分皇居の下を地下道のようなものを通したらどうかということじゃないかと思いますが、これは先ほどちょっと申しました皇居造営審議会の際も、そういう問題を審議されたことを記憶いたしますが、この皇居の下へ地下道をつくって、たとえば代官町から祝田橋通りのほうへ一本ぐらい地下道をつくりまして、その通るだけで、その代官町なり祝田橋のところが前と同じ状況であっては何も効果がない、相当金
○政府委員(瓜生順良君) 皇居移転のことに関しては、皇居造営審議会が開かれて、いまの宮殿をつくる際から皆さんが集まっていろいろ審議をされた事項でありまするが、そのときからいろいろ審議されてもやはり皇居だけが移転してもいかないので、やはりいろんな政府機関とか、それから外国の大公使館だとか、いわゆる政治のやはり中心がほかに移る、向こうへ一緒に移られるんならいいんですけれども、やはり国事行為をなさって公的行為
また、昭和二十五年に予算委員長の際、新宮殿の造営について、国民の家が復旧したあとでよいとの陛下のお気持ちを仄聞したときの感激もまた忘れることができません。沖繩の祖国復帰が目睫の間に迫っております。往時を思えば、まさに隔世の愚なきを得ません。
一方皇居の造営が始まりまして、新しい宮殿の建築もほとんど進んでまいりました。この機会に、皇居の広い地域についての開放論というようなものがかなりありました。皇居はどこかほかへ移られて、都心のあの部分について、一般の人の公園にしたらどうかというような御意見も一部にありました。
本法案の内容は、第一に、昨年十一月、新宮殿が落成し、昭和三十五年以来の皇居造営事業が完了したのに伴い、臨時皇居造営部を廃止すること、第二に、下総御料牧場が栃木県に移転することに伴い、その名称と位置を改めることであります。 なお、本法案は、衆議院において施行期日について修正が行なわれております。
あの新宮殿の造営の工事のときに私が行って、宮内庁に入ったとたんに、もう入り口におられる方々から全部いかめしいかっこうをされておる。私は何も儀式の場合には、すべていままでの伝統を一ぺんに切れなんて、こんな極端なことを言っておるつもりはない。しかし、いずれにしても、国民生活が変わって、そして国民が天皇陛下を見る目が、平ったいことばでいえば、きわめて親密な目で見ておるわけです。
新しい宮殿ができました機会に、その宮殿で係員の着る服装、行事の場合に着る服装も、これも宮殿の造営とともに新しいものに変わりまして、これも先ほど申しましたように、以前から見ますると、金の幅がずっと狭くなって、目立たなくなっておるとか、あるいは特別に玄関で、はでな赤いズボンに、肩にも飾りのついたようなものが以前は出ましたけれども、そういうのじゃなくして、もう少しさっぱりした儀式服で出るというように、だいぶそういう
ことしは、と申しますか、前年度末から本年にかけまして、皇居の造営も済みましたので、廃止のことを今度の法案で御検討願っておりますが、そのために減員される。
○北村暢君 定員の今度の設置法の改正で、臨時皇居造営部の廃止に伴う減、それから新しい牧場のほうも定員が減になっておるようですが、その減員になったものと閣議決定の計画削減分との関係、これはどうなっておりますか。新規増、配置転換その他の行政の問題がどのようになっておるか、この点ちょっと説明をお願いいたします。
○政府委員(瓜生順良君) この現在いま部長のほうはそういうふうに兼任になっておりますから、これはそれでいいのですが、それから課長クラスの造営課長、庶務課長、これはなくなります。それから他の下のほうもなくなるわけでありますが、これに関連して行政管理庁と、また大蔵省のほうとも、本年度の予算編成の際にもいろいろ打ち合わせをした要領がございます。そのままを継続しないで、一部は減員になるわけであります。
そこで、若干法案に関連をして最初にお伺いいたしますが、新宮殿の完成に伴いまして臨時皇居造営部を廃止することになっておりますが、従来の臨時皇居造営部の機構、定員というのはどうなっておりましたか。
○政府委員(瓜生順良君) 臨時皇居造営部の職員は、この四月一日現在のところでは十五名残っておりまして、多いときには五十何人いましたが、だんだん仕事が進むにつれて、去年の秋くらいから減ってまいりましたので、他に転職する人もあり、それからまた配置がえする人もあって、四月一日では十五人になっておりましたのですが、この人につきましては、皇居の造営の記録の編集とか、そういうところに回るとか、あるいは工務課あるいは