1961-04-07 第38回国会 衆議院 文教委員会 第14号
ところがだんだん調べてみますれば、講師の菊池先生は、何度も話が出ましたように、りっぱな人格者であり、教育界の大元老であり、県民がひとしく私淑しておるような方であり、同時にその方が講習会の席上でお述べになったことは、現行憲法の趣旨も十分念頭に置いて、また教育基本法の趣旨もわきまえた前提のもとでのお話であったということがはっきりいたしますので、仮定に立ったとは申しながら、菊地先生そのものがばかであるがごとき
ところがだんだん調べてみますれば、講師の菊池先生は、何度も話が出ましたように、りっぱな人格者であり、教育界の大元老であり、県民がひとしく私淑しておるような方であり、同時にその方が講習会の席上でお述べになったことは、現行憲法の趣旨も十分念頭に置いて、また教育基本法の趣旨もわきまえた前提のもとでのお話であったということがはっきりいたしますので、仮定に立ったとは申しながら、菊地先生そのものがばかであるがごとき
こういう親分があって、その親分に私淑して長らく生活した者がテロ行為をやった場合においては、たとい殺せという具体的な指令をしなくても、ある矯激な訓練を施したその親分が責任を負うという連座規定を作る必要があるのじゃなかろうか、かような点について政府はどうお考えになっておるか、お答え願いたい。
文芸春秋の十二月号に評しく書いてあるが、私実際に千早さんに親しく会ったのですが、非常にりっぱな方であり、あなたの人柄を私淑されておりました。おそらくこの文芸春秋の十二月号ずっと読まれたと思うのですが、この記事を読み、また千早さんに直接会って、その謦咳に接し、見解を承ってみると、源田さんは本心を吐いていないのではないだろうかというのですね。
あの人に私淑しているから、あの人を支持し、自分の清い一票をあずける、これは自由です。それと違うのですよ。これはあなたのところの次官にしても、局長さん、あるいは各出先の地建の局長さんにしても、予算の執行権を持っているんですね。そうして業者から見れば、その人から仕事を与えてもらえるか、指名してもらえるかどうか、仕事を与えられるか与えられないかというそういう事業、生活と直結しているわけですからね。
終戦後、ちょうど国立病院ができる場合には、大体において大学の教授連中がその院長になって参りましたために、その先生の個人的な人格、その個人的な識見というものに私淑して、そして先生のもとで勉強をしよう、先生のもとでりっぱな医者になろうという気持で、安い月給で行ったのです。それだから、その当時は安くてもよかったかもしれませんが、現在においてはそうじゃないのです。
仄聞いたしますところによりますと、本多君は、青年時代、尾崎咢堂先生に深く私淑しておられたというのでありますが、私は、これこそ本多君の政治的信条を物語る最もふさわしい話であると存じます。本多君は再度にわたって国務大臣に就任せられまして、戦後地方制度の改革と新しい地方自治推進の先頭に立ち、あるいは幾多の困難を排して行政改革断行の衝に当られました。
前石田労働大臣は非常に有能な、ある角度から僕は私淑もし、敬服している政治家ですけれどもね。相当機密費を使っておったことは事実ですよ。労働組合から情報をキャッチする、それによって手を打つ、場合によれば饗応もやる、そうして石田労政を推進したことは間違いないことだ。
私の私淑しておる一人であります。今回幸い日本に来られたものでありますから、できるだけ二人きりで会う時間を作りたいと思いまして、それも日本の状態を視察してからのちに会いたい、こう思いまして、この金曜日に私会う予定にいたしております。
○矢嶋三義君 次に伺いますが、まあ、あなたは非常にパイロットから尊敬され私淑されておるようですし、あなたとしては多数のパイロットを預っているだけに、日夜心胆を砕かれていると思うのですが、F—86Fと今度新たに採用しようとする98J—11ですね。これは大体、何でしょうか。パイロットの操縦能力というのは、同じ程度で操縦できるものでしょうか。その難易は、いかようと予想されておられますか。
○矢嶋三義君 私は、数多いわが参議院の人材の中で、竹中文教委員長のそう識見、その温厚篤実にして徳望高き御人格を平素からひそかに私淑申し上げているものでございます。
○矢嶋三義君 その点は、私はある意味ではあなたに私淑している面があるのですが、一つがんばって、しっかりやってもらいたい。 最後に、お聞きすることをお許し願いたい。それは、この国会で、あなたと院内で正式にお目にかかるのは最後と思いますから、あえてお聞きすることをお許し願いたいと思う。それは、例の勤務評定の問題について、御承知のような事態になっている。
こういう水戸学派を中心とする近世の勤王論が古事記、日本書記のある部分を取り入れまして——五代将軍のときに水戸光圀という学問のある副将軍がおりまして、これが明から亡命した朱舜水という学者に私淑いたしまして、それの示唆によって彼は大日本史を作り上げたのです。大日本史はいわゆる古事記、日本書紀並びに太平記——太平記というのは南朝が没落したときに公家が非常に美しい文書でもって書きました。
君は、早くから志を政治に抱き、在学中より中野正剛先生に私淑し、また、学生委員となって大いに活躍されたのであります。 昭和八年同校卒業後、国民同盟政策研究倶楽部員となり、政策の調査立案に従事されたのでありますが、昭和十五年には東方会に入り、組織宣伝部員として党勢の拡張に活躍されたのであります。
その後犬養毅先生に私淑し、やがてその知遇を得、大正八年、神戸における衆議院議員の補欠選挙に際し、立憲国民党より立候補して、みごと当選の栄を得られたのであります。 かくして、政界に入られまするや、先生は、嶄然頭角を現わし、国民党の三傑の一とたたえられ、党内外から大いに将来を嘱目されました。
これはまあチャーチルに私淑されておるようでございますから、念のためにその点をもう一度お伺いしておきます。
殊にアメリカの大衆が選挙において批判しておる、マツカーシー自身はまだ任期が満了しておらなかつたので選挙に立たなかつたと思いますが、併しマツカーシーに私淑しておるような連中は殆んど枕を並べて落選しておるというようなことは、マツカーシズムというものがえらいアメリカで不評判になつておるかということを物語つておる。
この状態に対する副総理の率直なる御答弁を、私の長年信頼し、私淑して来た緒方副総理の御性格から、率直にお聞かせを願いたいと存じます。
○北委員 実はこの憲法制定当時、貴族院と衆議院とあまり結論が違つてはぐあいの悪いというので、徳川家正公、それから緒方さんの先輩として緒方さんも私淑し、私どもも敬意を表しておる古島一雄さん、山田三良博士、山川端夫博士四人が衆議院側と相談会を開きたいというので、非公式に八日相談会を開きました。古島さんは老体を押して毎回出席になりました。
増田さんは私の郷里の先輩でもあり、私は始終増田さんに私淑していたのです。そのときにもいろいろ個人的にもお願いをしたり御意見をお伺いしたのです。今の開拓機構ができ上つたその当時の事情についてはよく御承知だろうと思いますが、それが今度は実は北海道についてはそれを皆二年足らずで崩してしまつたのです。
○委員長(伊藤修君) 要するに俊敏な錚々たる人が、将来有望な人が、そういうように段々岡崎さんの下に、私淑という形において附いて行くという……。
○委員長(伊藤修君) 岡崎さんのところへ、たびたび岡崎さんを尊敬する私淑する人が始終こうやつてお集まりになるんじやないですか。