2013-04-15 第183回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第2号
でも、そうではない部長さんや課長さんというのは、やはり自分のうちに当然帰って、土日にはお百姓もしながら、また家族ともどこかに出かけているということになると、何か十分に本当にいけるかなと心配なので、ぜひ実態把握をしていただきたいと思います。 ちょっとまた戻りますと、一昨日の地震の際にも、いわゆる情報伝達の仕組みで幾つかのトラブルがあったというふうに報道されています。
でも、そうではない部長さんや課長さんというのは、やはり自分のうちに当然帰って、土日にはお百姓もしながら、また家族ともどこかに出かけているということになると、何か十分に本当にいけるかなと心配なので、ぜひ実態把握をしていただきたいと思います。 ちょっとまた戻りますと、一昨日の地震の際にも、いわゆる情報伝達の仕組みで幾つかのトラブルがあったというふうに報道されています。
時代は、お百姓さんから農家、そしてこれからは、未来の農業では農業経営者になるのではないかと考えております。 土地利用型、米、麦、大豆であれば、私が考えますには、三十ヘクタールを目指すべきではないかと考えております。施設園芸であれば、家族であれば二反ぐらいしかできないだろうと言われています。
もう漁師と農業者、百姓は要らないのか、こんなことをしていたら本当に我々はやっていけないよと。言ったとおりに、もういろいろな流通関係の皆さんも、ゼロに近い方がいいんだ、幾らかでも出たらもう売りません、取引いたしませんと。 例えば、こんなちっちゃなオキアミ、これは九州の方に行くんですよ、マダイまたウナギ、もろもろの餌に。全然セシウムの数値が出ていないにもかかわらず、買えないと。
つまり、小さな農家は、トラクターの爪をかえたりするお金に便利なんですが、もらっても余りメリットがないので、実際ここに書いていますけれども、うちみたいに五反百姓のところは、加入率が半分ちょっとしかないんです。それに対して、五ヘクタール以上を見ると、九八%入っているんです。これはもうわかりやすくて、大きいところほど得だからなんです。 ちっちゃなところはメリットが少ない。
どういうことかというと、農薬、ホリドールとかパラチオンとか、百姓のせがれなのでさんざん僕はそういうのを手伝いました。ひどいんです。そのころは何にも言われていない。私が小学生のころです。私の大事な役割は、ホースで消毒をじいちゃんがやっている、ホースがリンゴの木や桃の木にひっかからないように引っ張っている。とまると怒られるんです。 それから、もっとひどいのは、土管があるんです。
さりながら、かように庭中にては、皆の者返答もあるまじく候間、まずきょうは帰り、総百姓と相談して、追って返答してくれよ。 恩田は、年貢増徴に百姓らの合意が不可欠だと考え、得心してくれるよう頼んでいます。決して、一方的に増税を強制したりしておりません。 私は、この委員会での審議を通し、消費税率引き上げを柱とする社会保障と税の一体改革に対し、国民の皆様への納得していただくことが大事だと思います。
一方、課税庁の方は五年間権限がありますので、そうしますと納税者としてはどうなるかといいますと、二十一世紀のついこの間まで、課税庁に対して、まるで江戸時代のお代官様に民百姓がお願いするかのごとき、嘆願書というものの提出が事実上強制されていたわけであります。そういう事態であったこと、さらに、税務調査に際して事前通知をするなどの手続規定が現行法には全然ないわけであります。
お百姓さんたちは、一生懸命に自分の土地をはかって、大丈夫だろうと、つくりました。ところが、九月の二十三日に、二本松市で、そうやってつくった結果なんだけれども、土地も三千ベクレルだったんだけれども、予備調査で既に五百ベクレルを超す米が出てしまったということであります。
香川県は全国で一番小さい県でもありますし、平均耕地面積が全国の約半分の約六反、我々はよく五反百姓というふうに言うんですけれども、大変小さい面積の農家が多いわけです。そうすると、先ほど福島先生の資料にありましたけれども、五反未満の農家というのは生産コストが極めて高いし、中山間地域が多いので、どんなに頑張っていろいろな工夫をしても生産コストを下げることができない農家も多いわけです。
私は実は、家も船も流された、しかし、福島の漁師さんとお百姓さんはもっと大変だ、なぜならば、この原発問題があるからだと言っていました。 このままいけば、来年の、一年ぐらいたつと、アリューシャン列島を通って、ずっと回っていって、下手すればサンフランシスコから全世界にばらまかれてしまう。このときにおける海洋法違反や風評被害に対して、政府はどのように責任をとるんですか、細野さん。
○長島(忠)委員 私は百姓なのでよくわかるんですが、百姓が土から離れると、意欲がどんどん減退しちゃうんですよ。だから、花をつくるのもよし、ナスを植えるのもよし、やはり何かを育てることに人は喜びを感じていくんだと思うんですよ。そこから一歩一歩、傷口が少しずつ少しずつ治っていくように、またもう一回物の生産に取り組みたいという意欲がわいてくるんだと思うんです。
それを見ますと、これ百姓、農家どうしたらいいの、仕事したらいいのというか、取り組める状況にはもうその時点ではございませんでした。 しかし、今現時点、こうずっと、それから二か月ほど今たっているんですけれども、今現状を見ますと、若干の変化を見てまいります。
百姓をやっていることに実は誇りを持っていますから、そういう誇りがつながるために、やはり自分のつくった地場産を、本当は一番最初に家族に喜んでもらいたいんです。家族においしいと言ってもらいたいと思って百姓はつくります。次に、近所の人から、おまえさんのところのトマトはおいしいね、おまえさんのところのキュウリはおいしいねと言ってもらいたい。
一つ、私は百姓で農村ですから、農村のあり方を少しあれすると、皆さんがイメージをしていらっしゃる農家は平場農業なのか、すそ野農業なのか、中山間地農業なのかわかりませんけれども、すそ野から中山間地農業において今農家が一番苦しんでいるのは、農業だけでは自立できない。
この六次産業化という言葉自体を農家の人たちに理解をしてもらうためには、かなりやはりきちんとした説明を、今のような形の話はなかなか伝わりにくいんじゃないかな、私はそう思っているんです、私は百姓をしていますから。
しかし、このままでは我が百姓人生のシナリオが中途半端になってしまいます。口蹄疫撲滅のために一生懸命頑張ってくれた方々のためにも、感謝の気持ちを持って必ず再起する。また、再起しなければならないという気持ちでいっぱいです。 自分の牛群が口蹄疫にかからないように願い昼夜消毒を行っていましたが、その願いかなわず、大事に大事に育てて、ともに暮らしてきた牛たちに大変申しわけないことをしてしまいました。
○野田(毅)委員 何か亀井さんの話を聞いていたら江戸時代に戻ったような感じで、昔の大名が百姓から年貢を取り上げる、そのありさまの話を聞いているような気がしてしようがない。今は、税といってもいろいろあるんですよ。いいですか。直接税と間接税、全然違うんですよ。 今、菅大臣が、使い道によっては景気がよくなるということもあるんだよと話があった。しかし、実は二つあるんだ。
しかし、下がったって、その米をつくったお百姓さんには、それそのものには直接何の援助もないというのをやはり変えていこうというのが今度の戸別所得補償制度であります。
定年になった、リタイアして、私は空気のきれいな環境のいい農村で百姓をやってみたい、そうリタイアしてやられる方もいます。それは別に否定しませんし、大変いいことだと思います。 しかし、そういう人がどれだけふえても、本当の意味で日本の農業を再生させるということにはならないんですね。委員が御指摘のように、技術も要るんです、知識も要るんです。農業というのは、決してそんな簡単なものじゃないんです。
今まで自民党の皆さん方も一生懸命やってこられたと思いますけれども、直接生産にかかわっておられるお百姓さんたちの一番の混乱の一つは、いろいろな補助制度や交付金制度はあるけれども、それが余りにも細か過ぎて、そしていろいろな条件がそれぞれ違ってわかりにくい、これを何とかもっとシンプルに、そしてまた、より統一的な、そういうものにしてほしいという声もあったわけでございます。
○国務大臣(赤松広隆君) かつて日本も、私が高校生のころ、昭和四十年のころは日本の食料自給率は七三%、今は四一%という意味で、よく私は申し上げるんですけれども、私が高校生のころにはやった歌は舟木一夫の「高校三年生」、離れ離れになろうとも云々という、そういう歌ですけれども、この歌の意味するところは、要は高度成長時代の中でお百姓さんやるよりも、土曜、日曜のない百姓よりも、それよりも都市へ出て工場労働者になって
そうしますと、お百姓さん以外の新たな雇用がそこに生まれるわけで、もう既に何十名かの採用をというようなことを聞いております。そういう形で生産、加工、流通、販売。パスタができたら、ヨーロッパからの引き合いも出ているので、ぜひそれを輸出したいと今言っておりますけれども、それが一つの例だと私は思います。
健康なお年寄りが百姓をやったり、工場に何かお手伝いに行ったり、元気に働いている。六十五歳以上の就業率も一番高いということです。私は、そういう仕組みを変えていくことによって、年寄りが多くなれば、高齢社会になれば、必ず社会保障費は膨らんで大変だなんというのは、ある意味でまやかしだ、やりようによって、そうならない形でもできるんだというのを思っております。
そしてあと、個別の各地域協議会の中でそれぞれ個別に、それぞれの生産者、お百姓さんに対して、あなたは来年の生産数量目標はどれだけですよということも実は今やっている最中で、ほぼ七割ぐらいがもうそれを終了しています。
そこで、私は父親の影響を受けて育ったものですから、おやじは、百姓仕事が終わると暗うなってから野良から帰ってきます。そして、子供たちが先にふろに入ったりしていますと、わずか一合の酒をさもおいしそうに飲むんですけれども、私ども先に晩飯を食います。すると、魚なら頭と骨しか残っていない。それをよこせと。おやじは、出雲地方ではすわぶると言うんですね、そうしながら酒を飲んでいました。
○堀井修君 専業、兼業の問題ですけれども、これは、多分、日本に百姓が始まったときからなんだろうと思うんです。日本で本当に専業そのものが成立していたというのは、あり得なかったのではないかと思うんですよ。ですから、私としては、兼業という形で、地域に産業があって、そこに勤めることが可能なのであれば、それがいいのではないかと思います。
とりわけ、今ほど五十嵐さんもおっしゃったように、目の前に、米価がどうなるんだろう、消費者は喜んで百姓はつぶれてじゃどうしようもないわけでありますから、そういう部分の実際の心配が農村、特に、私は今中山間地にいますけれども、その皆さん方は大きな心配を持っておいでになっていますよということだけは、基盤整備は極めて重要なことでありますけれども、考えていかなければならない。