1977-04-19 第80回国会 衆議院 農林水産委員会 第18号
そこでイワシにつきまして、もしクオータを達成できない場合において、イワシが欲しいというのであれば、日本漁民がとったイワシをあなたの方に貿易の形で売ってあげましょう、また、外貨の事情等があるならば、ソ連の二百海里水域内でソ連側がとった、日本の側から見て興味のある魚種、これを一定の価格にそれぞれ評価をして、物々交換をしてもよろしい、こういうことも私は理解を示してあるわけでございます。
そこでイワシにつきまして、もしクオータを達成できない場合において、イワシが欲しいというのであれば、日本漁民がとったイワシをあなたの方に貿易の形で売ってあげましょう、また、外貨の事情等があるならば、ソ連の二百海里水域内でソ連側がとった、日本の側から見て興味のある魚種、これを一定の価格にそれぞれ評価をして、物々交換をしてもよろしい、こういうことも私は理解を示してあるわけでございます。
過去には農家の消費の変動が需給上非常に響くということで、われわれ食糧庁としてもいろいろの例を一貫して調査をしておりますが、豊作の年等においては必ずしも系統を通して正規の販売をしないような農家も実はある、あるいはいま申し上げましたように、ちょっと例示的に申し上げましたような物々交換とか、贈与とか、そういうようなかっこうで相当の数量が豊作の年には動くというふうにわれわれ承知しておるわけでございます。
あなたは物々交換したと言うけれども、三十何万トンも交換できるわけがないでしょう。そうするとこれが当然おたくのようないまの施策の中ではやみ米に流れていかざるを得ないということになっているのじゃないですか。その部分が結果として七万三千トン何とかなったということの中身じゃないか、この点はっきりしてください。 同時に、こういうやみ米で流れていくことを政府は黙って当然だとしているのですか。
つまりあなたは物々交換したとか言うが、物々交換して三十万トン近いものがなくなるのですか。
で、二百ヘクタールを五月末から六月初旬にかけて更新をし、そしていま乳牛に食べさす草が全くないというような状態の中で、緊急しょうがないというので、草を確保するために牛と草の物々交換というようなのがちょうど行われているときでございました。また、大きな被害を出しております更別でも、草が全然生えてこないというような中で、例年ですと五月末にはもう放牧に入るわけですけれども、現在はその放牧ができないと。
いわば池の中を十八ヘクタール、すなわちお手元に示しました図面の斜線の部分を埋めて、そしてこれを川として残る部分——白い部分と換地をする、換地をするというのを県の説明でいえばこの池の中の私権を消滅をする、買い上げる、買い上げるかわりに物々交換だというしかけであります。でありますから、結局水面が百四十ヘクタールに減るということであります、この案でいきますと。
お金の値打ちがなくなって、一時は物々交換みたいなことがはやって、原材料を持ってこなければ製品を渡さないというふうなことまであったのですが、円の復権と申しますか、貨幣信認の復権ということは、私ども金融機関のほんとうに念願でございます。
○小柳勇君 それでは、運輸省の質問をここで一応保留しておきまして、あと、専売それから法務省から来てもらっておりますから、この土地の売買の契約なり、あるいは物々交換のいきさつなり、その事情を私はかいつまんで運輸省の答弁ができるように言いましたので、まず専売から御説明を願います。
専売公社とその財務局との物々交換というのは成り立たぬのじゃないですか。その辺の理屈がはっきりしない。権利はないはずだ。
○小柳勇君 会計検査院からも見えておると思いますが、いまのような国有財産の物々交換のあり方についてどのような御見解ですか。
この磐梯町では、カドミウムによる汚染によって自家保有米が凍結をされて、物々交換によって生活をしておる農家の方々が、毎日そうめんやうどんを食べて生活をしておる、そういうような実情でございまして、今後今年度予想される収穫米についても、あるいはまた今後の農家に対しても、土壌の汚染その他でいろいろと不安を持っておられるわけでございますが、安中あるいは黒部、あるいは奥岳川というような、いろいろ問題の地点がありますが
○神田(大)委員 私が先ごろ兵庫県の剣谷の現地調査をしましたときに、あの剣谷の国有林が、ある製糖会社に、物々交換と申しますか、山奥との交換でもってこれを払い下げられた。
それからまた、お金に換算をしたときに、物々交換方式にするとか、それからどういう形をとるとか、そのときの金額、値段というようないろいろな問題が出てくると思いますし、それから、時間がありませんから続けて申しますと、たとえば米の国際価格というものがあるわけですね、タイのお米を中心にしてあるわけですけれども、その価格で向こうが要求するようなことがないかどうか、そういうふうにされた場合にはどうするか、こういうような
そして独創的な技術開発さえやっておれば、これを物々交換をしまして、外国の遊んだ技術を利用することができるわけでございます。こういうふなう政策をぜひとも考えていただきたい。イギリスの産業再編成公社は、そういうふうな問題につきまして慎重な配慮をいたしておりますし、また、ワールドエンタープライズに乗っ取られそうな成長産業に対して、乗っ取りを防ぐために国家資金を動員して、その前にこれを公有化していく。
わが国におきましても、消費者の方はたんすの底をはたいて貴重な着物を物々交換で米とかえる、こういうことが行なわれました。そういう時期におきましてデンマークの国民のとった賢明な処理は、大陸のほうからとてつもない高い引き合いがあったにかかわらず一切これを拒否して、ロンドン市場に比較的安い価格で売りつないだということであります。
昔は野市は物々交換の場所であったわけなんです。この物々交換の姿は非近代的で古いとお考えになるでしょうけれども、しかし私がヨーロッパに参りましたときに、ベルリンの市議会の近代的な建物の真向かいで朝市が開かれるのです。いろいろなくだものやお野菜、たくさん売りにくる。非常ににぎやかで、そうしてみんなが楽しく買いものをしているわけです。そういうようなところもある。それから。
ですから、その関係では例の交換契約は実際は最終的に書類が返される前に、これはとても大蔵省あるいは管財局等ではそういう多額の物々交換は承認しないということが実はもう内部的には——内部的と申しますか、当該関係者の間には明白であったわけであります。それをただ書状で書いてありますのは、明確に確定的な形をとらえて考えれば書類が返送されてきたとき、こういうふうに言っておるわけであります。
そこで当時では国有財産の取り扱い上として、いわゆる物々交換——当初は非常に厳格でございまして、土地と土地、建物と建物の交換しか許されませんでしたが、漸次交換が広がってまいりまして、土地と建物、あるいは土地家屋つきと土地、いろいろな交換の方法が広がってまいったわけです。制限がゆるやかになってまいりました。
しかし、これがまた、延べ払いだとかあるいは物々交換みたいなことで契約をややこしくして、支払い条件がはっきりしないということになれば、輸出入銀行の金を貸してくれ、保険にも入れてくれということになる。そうなると、一応話を聞かせてもらわなければ、何でもかんでも全部認めてやるわけにはいかないだろう。
失したというような米を横流しをするとか、あるいは乾燥の悪いものとか、くず米であるとか、正俵にならないもの、あるいは御承知のとおり農家はお小づかい取りとして主婦等が物交をやると、こういうようなものが相当あるわけでありまして、あの敗戦当時の食糧難のおりでも、農家といたしましては政府に当然供出せなくちゃならないけれども、やはりこの米を別に隠匿と申しますか、手持ちしておって、そうして必要な家庭の日常品と物々交換
一升や二升映画見に持って行くのは、これは物々交換みたいなもので、流通の中に入っていない、こんなものは。そんなものを対象にしてやみ米を取り締まろうとしているのではないでしょう、政府は。そういう単純な考え方でやみ米がなくなると思ったら、私は大間違いだと思うのです。これはやはりこの対策の中にもはっきり言っておりますように、検査制度を拡充すると言っている、強化すると言っている。
これは非常に重大な問題で、中共と物々交換でものをやる貿易をかりにするような場合には、一体中共が現在日本として必要な品物が、分量との関連もあるので、分量からいいましてあるのだろうかどうか。結局、中共がドルを持っておって、中共に物を売りましたときに代金をドルで払ってくれるならば、それはもっと楽に考えられると思うのです。そこら辺のところをよく……。
あなたの方は、天満の土地とそれから今の都島の土地と物々交換したい。そこで延原に交渉した。所長もあなたも会ったけれども、だめだった。そこで、あれをだれかに買ってもらって交換しなければ、うまくいかない。そこで細見を頼んだ。そこで細見の身分証明をするのに天理教に行って、幹部もみな行って、御飯を食ったり、飲んだりして、細見ならいいと言って、まかした。まかしたところが、細見が二カ月たっても運んでくれない。
○池田(勇)国務大臣 具体的な問題になりますと、事務当局のあれでございますが、今までは物々交換的なものでございます。しかしこれを決済をうまくやっていこうとか、あるいはいろいろな具体的の問題はございましょうが、私はそういう問題につきまして、関係各省で検討を進めることを慫慂いたしたいと思います。
その自炊というのは、収容所の食糧が悪い、それで、どうしても健康維持ができないということから、日本から送ってくる小包を金にかえてもらう、また、物々交換というようなことをしてもらいまして、朝と晩だけ自炊、それで白米を食おうじゃないか、昼だけは収容所でくれる御飯を食べようじゃないか、それから、特に運動はその間しなければいけない、帰るまでみな絶対に健康で帰ろうということで励まし合っていたわけです。