1978-04-12 第84回国会 衆議院 交通安全対策特別委員会 第5号
このうち、公団の第二期工事区域内にあります畑約二十七ヘクタールでございますが、これについては除草剤の散布と、くい打ち、それから有刺鉄線を張りまして、排除をいたしました。
このうち、公団の第二期工事区域内にあります畑約二十七ヘクタールでございますが、これについては除草剤の散布と、くい打ち、それから有刺鉄線を張りまして、排除をいたしました。
若干内容に触れさせていただきますと、それに加えまして施設の問題がございますが、たとえば今回、鉄パイプに有刺鉄線を巻きつけた三角形の車どめを用いたわけでございますけれども、車をとめるには軽過ぎるといった問題がございます。こういうものは物で解決できるわけでありますから、そういう物で解決することによって部隊の配置を節約できる点も確かにございます。
○伏屋分科員 そのことを私も回答の文書で了解しておるわけでございますが、私が掌握しておる範囲では、最初は保護さくを設けて、有刺鉄線を張りめぐらす、こういうような手だてを踏んできた。だから私はわなに至るまでの経緯を聞いたのであって、現実のいまのわなの問題を聞いておるわけではございません。
タイ国の刑務所跡で、その関係から周囲にはたくさんの有刺鉄線をめぐらしていました。もちろん難民のことですから、ここを逃げ出そうとする者は一人もいないということでありました。 そのとき現在で、収容中の難民千八百十八人、ここから第三国に引き取られた者が三千二百五十一人、したがって、二年間にこのキャンプに来た者は五千人余りということになります。
それは、三十二年間にわたって、わが土地であるにもかかわらず、くわを入れて耕すことはおろか、足を踏み入れることさえ許されなかった所有者が、有刺鉄線に囲われた変わり果てたわが土地を踏みしめて、この土地でつくったスイカはおいしかった、また、この土地でスイカをつくりたい、こう感慨深く語っておられた姿であったのであります。
そして昭和二十六年の四月一日当日、いわゆる村長が発行した所有権証明書、こういうものが、他のところでは自由に旧地主が立ち入りができて確認ができたわけでありますが、当時銃剣によってこの読谷飛行場は沖繩の村民が一切立ち入りは禁止をされて、そして銃剣とタンクでならされてしまった有刺鉄線の中のところを確認、それができないで、その他の地域に関して届け出があった分について沖繩の村長がその証明書を発行したという、こういう
米軍が有刺鉄線を張りめぐらして銃剣で日本人の出入を一切厳禁をして、そうして読谷村民の確認を一切認めなかった。確認の方法が全くなかった。そうしてそれらの土地は銃剣と戦車によって引きならされておって、有刺鉄線の外から読谷の村民がその土地の確認をする、こういうふうなことは一切の手段が失われて、そういう中で読谷の土地確認が行われたわけであります。
また被害の対策といたしましては、防護さくがかなり有効である、高さ六十センチメートルから一メートル程度の有刺鉄線でも、かなりな効果を上げ得るということが明らかになっております。調査の結果は、おおむね以上でございます。 次に、対策として幾つか申し上げてみたいと思いますが、特別天然記念物といたしましてのカモシカは、可能な限り自然な環境で保護するということが望ましいわけでございます。
それからまた、現場におきましては、昨年の場合と違いまして、三十キロにわたる周囲に有刺鉄線等による一目瞭然の物理的な境界線を引き、これは施設庁がやられたと思いますけれども、かつまた、ポイント、ポイントにここに立ち入ってはならないという旨の表示も明確になされておるところでありまして、この点私たち写真でも確認をしておるところでございます。
○野田哲君 あなたの方が報道機関等へ提供して発表されている写真で、このゲートの金網の有刺鉄線のような状態の中を双方が対峙をしている、その中に棒が何本も交わされているわけです。だから、これはやっぱり審議するには写真を出してもらわないと、私は見ておるけれども、委員会としての適正な判断はできないですよ、これは。
こういう牢屋のような、それもまた普通珍しいんじゃないかと思われるようながんじょうなおり、その中で、しかも庭のおりもそうですか、有刺鉄線がずっと張りめぐらされておるわけでありますが、と言われておりますが、それを大体否定はされておりません。政府委員として高松敬治君が出て答弁をいたしておりますが、それは否定はしておりません。
ですから、その辺のことでまず私たちが地元の要求としましては、出た山のところを、見晴らしが多少でもできるようにまず山を削ってもらいたいということと、それからもう一つは有刺鉄線ですね、とげのある、戦争のときに使いますあの鉄条網、あれがずっと山に張られているんですよ。昔は、私があそこへ移ったころは、まあ十何年になりますが、そのころはそんな鉄条網なかったんです。
ここに地図を特ってきておりますけれども、あなた方は、有刺鉄線を張ったはるか前のところで午前中はその抗議団を阻止するということをやり、午後はやっと有刺鉄線の前まで警備線を後退しましたけれども、そういうようなことをやっておる。
砂漠の中に有刺鉄線を張りめぐらして、しかもこれに電流を通じて、その中に兵舎まがいのバラックがあって、そこに寝起きをさせられた。尋問を受けてはアメリカへの忠誠が要求された。そしてときには、きわめて厳しい尋問もあった、こういうわけであります。長い方は二年余にわたって収容所暮らしをした。
また、いま警察の考え方はある程度わかりましたが、それは後ほどお尋ねしますが、施設庁としてはこの現場の状況なりを見て、ほとんどが黙認耕作地か有刺鉄線はないわけですね。自由に入れるような状態の地域なんです。そういう状況下であえて刑特法まで頭に入れてアメリカの実弾射撃訓練というものを強行させるというような立場に立っておるのか。
だが民主団体が米軍の県道封鎖しないという譲歩をいいことにさらに阻止行動すれば米軍への提供施設である県道百四号線を富士演習場のように有刺鉄線で封鎖するなどの強硬措置を取らざるを得ない」こう言ったというのだな。これはどう思いますか、長官。
○渡部(一)委員 そうすると、これでなおかつ、そこで今度は予想を述べるわけですが、今後においてどんな方法を考えても阻止活動がやまなかったとすれば、有刺鉄線で県道を封鎖するなどの措置をとらなければならないというふうにやはりお考えになりますか、さっきの新聞の質問と同じ言い方になりますがね——いや、そういう質問じゃなくて、まずこう言いましょう。
なお、有刺鉄線のお話がありましたが、どういう事態でありましても、県道に有刺鉄線を張るというような、そういう考え方は持っておりません。
この点を明らかにしてもらいたいということ、並びに、その隣の建物である一八一〇という建物には、二重の有刺鉄線と夜間照明用のライトがつけられており、その上、これに対しては二棟の監視塔がある。そして、先ほど言ったMWWU−1という部隊が看板をそこに立てて、いつもライフル銃をつけて、二十四時間の警戒をやっている、この事実について楢崎君から質問があったわけであります。
で、この建物には二重の有刺鉄線や夜間照明用ライトがあって、これがいま夜間はもうつけっぱなしです。それから二棟の監視塔があります。そしてこの一八一〇という施設の前に、MWWU-1という部隊の看板が立てられております。ここには米兵がいつもライフル銃を持っておりまして、二十四時間警戒。定期的にここには給食車が食事を運んできておる。施設の中には核兵器関係の将校がいるのであります。
しかし、ただ草をはやして有刺鉄線を張って立ち入り禁止にして利用しないでおくという手もないような気がするのですね。この点は、環境庁の分野になるかどうかわからぬけれども、高架下の環境には違いないですか、その点は長官としてどのようにお考えになりますか。
しかるに、私が先般も指摘いたしましたように、自衛隊の有刺鉄線による構築物が——参考人は現地をごらんになったかどうか知りませんが、こういうふうに構築されておるのであります。これはいまだに撤去されておらないのであります。
また、それから三十六メートルほど奥に鉄材を使って、有刺鉄線を張りめぐらして、さらに門扉をつくっておる。村道にですよ。いつ村道のこのような使用の許可をとっておりますか。村長は許可した事例はありません。このような不法、不当な町村道の使用は道路法上からもゆゆしい問題ではありませんか。