1970-12-16 第64回国会 衆議院 文教委員会 第3号
○安達政府委員 ただいま御指摘のありました海外子女教育につきましては、現在全日制で日本の教育過程による学校教育を行なっておる学校が二十三校ございまして、そこに教官を百名程度派遣いたしておるわけでございます。 この日本人学校の問題につきましては、一つは内容の整備という点で、教官の内容の点につきましてもなお本土の教官の基準に比べて低いということが一つございます。それから教官の身分の問題でございます。
○安達政府委員 ただいま御指摘のありました海外子女教育につきましては、現在全日制で日本の教育過程による学校教育を行なっておる学校が二十三校ございまして、そこに教官を百名程度派遣いたしておるわけでございます。 この日本人学校の問題につきましては、一つは内容の整備という点で、教官の内容の点につきましてもなお本土の教官の基準に比べて低いということが一つございます。それから教官の身分の問題でございます。
だから、日本の看護婦というものは、こういう教育過程を経てでき上がったら、もう医務局の行政指導の中に入るというような抜本的な改正の時期ではなかろうかというのですよ。ぼくは何回もそれを言いたいのですが、まだその時期ではないとおっしゃるのか。
、あるいは 「わたしたち教育労働者は、この岐阜集会で「教え子を再び戦場に送らない」決意をあらたにし、父母・国民の批判に正しくこたえ、正しい教育実践を、いっそう強めなければならない」、それから「教育過程編成権は学校の教師集団にある」、こういうようなことが、そして最後のところには 「教育を国民の手にとりもどし、「国民の、国民による、国民のための、国民教育の創造」に向かって、」云々とあるのですけれども
おっしゃいますような人間性という点についても新しい航大の教育過程におきましては取り入れることに考えております。また御指摘のパイロットの心理適性という問題につきましても、ただいま学界その他の識者を集めまして、従来ございます基準を再検討いたしまして、新たな技術革新に対応できるようなパイロットの心理適性の基準をつくろうということを検討中でございます。
また、御心配になりましたようなことは、私ども教育過程を審議する間におきましても、かりにもとへ返るというようなことは考えられない、とうてい考えられないと思っております。
ところが今度の場合は、一応卒業前の教育過程等も改善することによって、卒業後直ちに医師としての資格を与える。卒業後行なわれる今度の研修は、むしろそれぞれ各人が志望する診療科の技術、知識を、専門的な観点を含めてある程度深めていこうという意味がございますので、前とはかなり違った観点に立つものと考えております。
これではとうてい生徒の希望を満たす教育過程を組み、その中で授業を進めることは不可能であります。例を理科にとってみます。理科は教科がたくさん分かれます。したがって、大学で化学を専攻した人に生物を担当しろとか、逆に生物を専攻した人に物理を担当しろとかいう、およそいかに矛盾しているか理解していただけると考えます。
イ ンターンというのは教育過程であろう。だから、現行のインターンの過程におきましては、これは医師ではない。ところが学校は卒業してしまって いるから学生ではない。学生でもないし医師でもないというものがインターン。現行のインターン過程において、何やら自分の地位というか資格がはっきりしない、きわめて不安定なものにある。
ただ設置基準というのは、国公私立を通じたものではありますけれども、国立大学においては設置基準を上回った整備をするわけでありまして、そういった国立大学の教員養成学部のあり方ということについては先ほど課長からも言いましたように、教育大学協会あたりの御意見もある、それからその背景をなします教育過程の基準については御答申いただいているわけです。
それは具体的には先ほど教育職員養成審議会から御答申いただきました教育過程の基準を基礎にして、そうして各大学と話をして、その不足分を補ってきたわけでございます。各大学ごとにその点をお話し合いによって学科目を新しく設けたわけでございます。
○齋藤政府委員 現在の中学校の教育過程におきましては、外国語は選択科目として課せられております。実態としては英語が大部分でございまして、フランス語、ドイツ語等は小部分でございます。この外国語と申しますのは、外国におきましてそれを母国語としておることばでございまして、いま御指摘のような歴史はありましても、共通語として企てた人為的な言語というものは、この外国語の中に現在入っておらないのでございます。
また教職員定数の改訂については、一、小学校においては専科教員、中学校においては技術、家庭科教員及び生徒指導主事の増員をはかり、新教育過程実施に必要な教職員を確保すること。二、特殊学級の増加をはかること。三、小規模学校の教員及び養護教員、事務職員を増加すること。四、あて指導主事を定数外とし、この増員をはかること。
この序文は、長いから全部は読みませんけれども「文部省は昭和三十三年に中学校の教育過程を改訂し、昭和三十七年度からこれが全面実施されることになっています。」「しかし、中等教育の振興は、なんと申しましても中学校および高等学校の教師ならびに関係の指導主事など、指事者の指導能力にまつほかはありません。」その指導能力を高めるための一つの資料としてこの仕事をやっているという意味のことを書いている。
するということが第一義じゃなしに、学習指導要領、いわば全国的な共通公分母的な課題を通じて、学習指導要領がどの程度徹底し到達しておるであろうかを見ることが主眼でごさいますから、きわめて素直にありのままが出てき、その結果は必ずや個人差、学校差、地域差が出てくることは必然でございましょうが、それがきわめてすんなりした姿で現われることを期待するということでございまして、点数が多い少ないということは、本人の義務教育過程
各種の教育過程を経るわけでございます。そういう面もございますから、師団のあれとしましては、一たん何か異常事態があるときには、そういうものがまたそういうところにはまり込むという態勢で師団の戦闘力を保持するということもありますし、その上に予備自衛官が現在ございます。
そういうスポーツの特質そのものが、義務教育過程の生徒にも本来関連を持っておるという、他の競技に見られない特徴を無視することもこれまた適当ではあるまいという考え方もあるのでございまして、そういう関連からさらにまた水泳そのものが原則として夏のスポーツでございまして、夏休みを利用することが可能であるという意味において他の競技と非常な違いがある。
年限的には同じでございますが、先ほど来申し上げておりますように、高等専門学校のいわゆる教育過程については、付属の高等学校、それから短大の教育課程とは違うものにいたしまして、五年間一貫した、充実した工業教育をやりたい、こういうふうに考えておりますので、私どもは、短大プラス付属高校と質が違うかと考えております。
のいわば教員組合の綱領を瞥見する機会がございましたが、その中に、もし教師が授業放棄などということを経済条件改善のためとはいいながらやるとするならば、その場合に発育盛りの子供たちは自分の発育をやめて解決するまで待ってくれない、そのことを念頭に置いてカリフォルニア州の教員組合は絶対にストライキをやらないという一カ条があるようでありますが、私は教育の重要さ、ことにがんぜない子供の教育であるがゆえの義務教育過程
国民はひとしく教育を受ける権利を持っておる、教師という公務員は教育する義務を負っておるということを考えるのでございまして、少なくとも義務教育、初等、中等教育過程におきましては、特に義務教育過程においては、国民は自分の子供を義務として教育の場に通学させねばならないというくらいに厳粛に定められておるわけでございまして、その義務教育の過程の場におきましては、私は、教師は国の定める、国民の総意によって、法律
○荒木国務大臣 教師が教える自由を持っておるとは、少なくとも義務教育過程においては一般論としては言えないと思います。きらんとした中正なる基本線を逸脱しないように心がけながら教えねばならない義務を持っておるものが、義務教育過程の教師の立場だろうと思います。
ですから、府県が本庁に置くか事務所に置くか、府県の段階——今回置きましたのは、特に新しい教育過程も四月一日から小学校は始まることでございますし、中学校も移行措置の段階でございますので、指導力を充実強化したいという点から、一郡に一人、置く場所は事務所に置くか、あるいは特定の市町村に置いて、管下の学校について、あるいはその郡なら郡全体のお世話をしていく、こういう考え方でございます。
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 先ほど来豊瀬委員、安部委員、なおまた委員長からも、最小限度教育、特に義務教育過程にある児童生徒の立場をお考えいただいて、基地の爆音からこれらの子供たちを守っていこうという御趣旨のあたたかい御意見等を拝聴いたしましてまことにありがたいことに思い、施設が十分にてきぱきといきませんことを恐縮に思うものでございます。
やはりこれは教育過程を経ておるんだから。これはやはり運輸省なら運輸省一本でおやりになった方がだんだん都合がいいんじゃないですか、いかがでしょうか。