1991-03-06 第120回国会 衆議院 逓信委員会 第5号
郵便局は本当に命の恩人になってくれるんですね。そういうことがありますから私は今このような質問をさしていただいたわけなんです。
郵便局は本当に命の恩人になってくれるんですね。そういうことがありますから私は今このような質問をさしていただいたわけなんです。
さらにその上に、企業の関連事件ということになりますと、あの人は会社のために一生懸命やったんだからお気の毒であるし、会社のために犠牲になってくれたんだから会社の恩人であるというふうな称賛にも似た声が沸き起こってくるわけでございます。
中曽根さんと竹下さんは、国民の皆さんに税金というものがいかに大切かを教えてくれた恩人だろうと私は皮肉を申し上げておきます。 次に、不公平税制についてお尋ねをいたします。 政府は、消費税創設の目的の一つに、所得税などの直接税の負担の過大の是正によるサラリーマンの重税感、不公平感の緩和にあると言われてまいりました。
この水の問題をあなたの、大臣の任期中にでも抜本的に掘り当てる政策を講じていただくならば、いかなる大臣、総理大臣以上にあなたは沖縄にとってそれこそ恩人ですよ。お忘れなく。 次に進みたいと思いますが、レクリエーション農園、いわゆる市民農園の振興について、まず農水大臣はどのような御見解を持っておられるんでしょうか。レクリエーション農園についてまずそのことを大臣からお聞きしたい。
として同乗いたし、往復七十キロの空港との間を実に百九回にわたり運行しておるというようなことなどもございまして、時にストップに相なりまして、誰何、いわゆるどこに行くんだと人民解放軍にとめられ、公使がドアからおりまして、こういうかくかくしかじかということで誠心誠意、また危険を冒して説得をして、ようやく通過を認められたという、まさにハイジャックから解放された瞬間のように、帰りましたら万歳、ありがとう、今の恩人
青年時代の夢を着々実現に移された先生は、昭和二十四年、第二十四回衆議院総選挙に、郷党の絶大なる衆望を担って当時の埼玉県第一区から民主自由党公認として勇躍立候補、台風のときの恩人として、選挙区外からも多数の応援が駆けつけるなど、運動は盛り上がり、見事、最高点当選をもって初当選の栄冠を得られ、国政の舞台でのスタートを切られたのであります。
ああいうものを保存しないで、そして国際交流というとアメリカだとかその他をすぐやりますけれども、歴史上のああいう国際交流の恩人のような人の顕彰というか、ああいう伊達紋別の廃れた教会なんかを何かの形で保存されるといいと思うのです。 つまり、アイヌの問題に絡むものだからじゃないかと思うので、土人保護法なんというのにもそういう先覚者たちの意見が入っている。
大統領はサンフランシスコ条約のときに、中国は参加いたしておりませんが、当時セイロンの大蔵大臣としてサンフランシスコ条約に参加をいたしまして、憎悪は憎悪によって終わらない、愛によって終わるという、ヘイトレッド シージズ ノット パイ ヘイトレッド バット バイ ラブという有名な言葉をお吐きになりまして、日本の賠償について、ただ一人日本の賠償をすべきでないという主張をされた方でございまして、日本にとって大恩人
ちなみにジャヤワルダナ大統領は、サンフランシスコ条約においてただ一人日本のために、憎悪に報いるに憎悪をもってしては解決しない、愛をもってしなければならないということで日本の賠償問題に関しまして大変な貢献をしていただいた大恩人でございまして、当時は大蔵大臣だったと思いますけれども、そういうこともございまして、これらの地域に対する援助を強化していこうということでございます。
例えば恩人問題についてのこの懇談会の報告を読みますと、軍歴期間が異なるために受給できない、同情の念なきを得ないとか、あるいは戦争被害は筆舌に尽くしがたい、こういったようなことを言いながらも、「社会衡平の観点から」あるいは「権衡を失する」からということで、個人補償については一応終わりにしているような印象を受けるのです。心の痛み、これを償うというのはそう簡単なことではないわけであります。
そこで総理、言うまでもありませんが、お年寄りは今日の日本社会の発展を築いた功労者、恩人であります。しかるに、国から出すお金を極力減らすために、私が引用いたしましたような形でせっかくの特別養護老人ホームをつぶして、いわばお年寄りに命を切り裂くような思いをさせる、こういうことが一体政治と言える一でありましょうか。この点についての総理の所見はどうでしょう。
○森田(景)分科員 そういう立場から、私たちも恩人を忘れてはならない、こう思うわけでございます。 この中国残留孤児あるいは養父母のことに関係しまして、五十九年三月日中両国政府間で口上書が取り交わされているわけでございます。この内容はどういうことでございましょうか。
田中元総理を日中国交正常化の恩人としているようでございます。ですから、相手の立場がどう変わろうと恩人は恩人だ、はっきりしているのだと思うのです。こういう中国の行為に対して私は心から敬服しているわけでございますが、外務大臣はこういうことについてどう感じていらっしゃいますか。
あの終戦の中に置き捨てられた孤児を育てて今日まで慈しんでこられたわけでありますから、孤児にとっても恩人でありますし、また日本にとっても恩人であると言っても過言でないと思います。
それからまた、中ソ関係については中国からこれまでの経過について説明があると思うわけでございますし、また中国は、今お話しのソ連のアルヒポフ副首相をレーガン大統領の訪中直後に迎えるわけで、これも私は中国の首脳と話をして聞いてみましたら、アルヒポフ副首相というのは中国にとっては恩人である。
同時にまた、今日の日本をつくり上げてくださった恩人でもございます。したがって、これらの御老人が老後を明るく、楽しく生活していただけるような、よりよい保障制度を確立することは、今日、政治に課せられた緊急な課題ではないかと思います。 政府は、このような高齢化社会の到来に対して、いかなる総合的政策をお考えでございましょうか。
したがって、日本はアメリカを恩人だと思っておる。したがって、日本の今日の発展にも大変自分たちはアメリカを多としているが、しかし、かといって日本のつくり出す品物は決してそれがアンフェアな手段によって行われているものでもないし、あるいはまた日本の市場をいまも閉めておるというものでもない。
私は、イギリスは日本の国鉄の大先輩、大恩人でありますから、イギリスのおかげでわれわれは国鉄を学び、国鉄を敷いたのですから、そこで、ぜひそれじゃそういうふうな計画書というのか、記録をお願いしますと、こう申し上げたら、彼は帰りに、あなたも国鉄を愛しておることを尊敬します。
たとえば長崎から東京へ就職するについて、東京に知り合いがないから長崎の自分の恩人に保証人になってもらう。頼まれた人はそういうときに断りようがないですよ。そういうときに、長崎から東京に働いておる横山利秋はどうやって働いておるのか、どうしておるのか、わかるはずがないですよ。保証責任を全うする、監督義務なんていったって、長崎の人にわかるはずがない。
これは子孫に対する、命の恩人とするところの野国総官——野国総官という人は昔の三角貿易のときの事務局長であったそうですね。その事務局長が芋づるを持ってきたんですよね。それを儀間真常というのが広く広げまして、それで沖縄はもちろん、わが国においても薩摩に来て、薩摩からは、密使が入りまして、徳川幕府の密使が小石川農園に持ってきて、小石川農園で広く栽培をしまして全国に広げた、こういう歴史なんですね。
○川本委員 検討中だそうですけれども、少なくとも三十五年間育てていただいた恩人ですよね。お父さん、お母さんですよね。それを子供と、婿さんあるいは嫁さん、息子夫婦は無条件で入れてすぐに帰化を認めて、一番恩人の方はいろいろ条件がついてくるということじゃ、これはやはりいままでの恩義に報いる立場からもそういうわけにはいかない。
この先生の御尽力によりまして、今日、これらの事業が著しい進展を見たのでありまして、地元の人々が荒船先生を郷土の恩人と仰ぎ、心から感謝の念を惜しまなかったのも、けだし当然のことと申せましょう。(拍手) 享年七十三歳、中央、地方を通じて四十数年に及ぶ政治の道のりを、寸時も休むことなく、一路ばく進してこられだ先生は、世に多くの話題と余韻を残しつつ、にわかに去って行かれました。