1950-04-05 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第19号
○山森証人 入ソ以来四年間にわたつて、われわれが言うに言われないところの忍苦の生活をしいられて来た。またその生活だけでなくて、日本に対するあらゆる中傷讒謗をあえてし、ソ連に対しては絶対にこれを讃美する、こういつたようなソ連の政治教育に対して、非常な憤激の念を持つておりましたので、ソ連並びにこういつた政策を支持しておるところの日本共産党に対して、当然憤激が沸いたわけであります。
○山森証人 入ソ以来四年間にわたつて、われわれが言うに言われないところの忍苦の生活をしいられて来た。またその生活だけでなくて、日本に対するあらゆる中傷讒謗をあえてし、ソ連に対しては絶対にこれを讃美する、こういつたようなソ連の政治教育に対して、非常な憤激の念を持つておりましたので、ソ連並びにこういつた政策を支持しておるところの日本共産党に対して、当然憤激が沸いたわけであります。
ただそういつた忍苦の生活に対して憤激を感ずる者並びに未帰還者に対して同情の念を寄せる者、こういつた者が期せずして船であちこち集まつては語り合い、それが導火線となつて日の丸梯団というようなものができた、こういうように思います。
ソ軍官憲からはいじめられ、日本人同士の、誤つた民主運動から発したところの、こうした共産主義者を標榜する人たちからも、いじめられるということが相重なりまして、在ソ間の四年半というものは、まつたく言語に絶するような忍苦の生活をやつて来たような次第であります。
その要は、全国一千万に及ぶ不幸なる遺族、その多くは一家の支柱を失い、すでに忍苦の生活を通り越しまして悲惨の極に呻吟しておるのであります。この状態を徒らに放任して顧みませんならば、今後如何なる事態が発生しないとも保証し得ないのであります。吉田首相以下各関係閣僚諸公は、いつものような一時逃れの言辞を弄せないで、十分誠意を披瀝して納得の行く答弁をされるよう特に希望をいたしまして、私の質問を打切ります。
いやしくも、この欠乏経済から、わが国を安定させちためには、国民に異常なる忍苦がなければならぬことも当然でありまするがゆえに、これを実現するためには、決してなまやさしい気持ではこの実現はできないのでありますが、この点につきまして、九原則の忠実なる実施とともに、生産増強に対しましては、労働者各位は、現下の国情を認識して、十分に協力して参つたがゆえに、われわれは、この自立経済、安定経済に向かつて、まことに
あの私共の想像もいたし得ぬ酷寒の只中に苦難と忍従の茨の道を辿りつつありまするこれら不幸なる人人の身の上に思いせ寄せ、且つ又国内における数十万の留守家族の方々が、頼みとする子を、最愛なる夫を、懐しの父を、今日帰るか、明日帰るかと待ちわびながらも、雄々しく耐乏忍苦の生活を敢然として踏み越えておられまするところの悲惨なる姿を眺めまするときに、真に断腸の思い切々なるものがあるのであります。
ことに、今日まで全国農民は、今回改正の眼目となつている主食の超過供出についても、ほとんどその責任を果して来ているのでありまして、世界の食糧事情の好転により、日本農業の転換期に立つ農民は、みずから迫り来る運命を予期して、米麦の供出についても、つとめてその増大をはからんと苦慮しているときでありますから、農民心理にさからうことなく、政策よろしきを得るならば、増産と忍苦をもつて政府の食糧政策に協力することは
私はそのもたらした意味はいろいろあると思いますが、その最も大きな一つは、国民が今更ながらしみじみとその足許を見つめて、この世界に誇るべき科学者の業績の蔭に、如何に日本的な犠牲が含まれていたか、又その忍苦の生活が横たわつていたかということを発見したことである。
もちろん一挙に長年のインフレーションを克復しようとする企てでありまするがゆえに、いろいろの困難が起つて来ることは、あらかじめ予見しておつたのでありますけれども、日本経済の建直しのためにはこの忍苦を国民に忍んでもらう、こういう建前で来たのでありまして、現在起つておるところの金詰まりというようなことも、あらかじめ考えられたことで、政府におかれては着々これに対する方途を講じて来られたのであります。
という脆弱きわまりなきわが國の零細農家に対して、当然考えられなければならない問題は、最低程度の土地の所有面積をリザーヴすること、土地の所有面積を最低限度確保するという措置が講ぜられないならば、いかに本法のごとき法律、まだ各般の経済政策を裏打ちいたして参りましても、土地細分化の傾向は防ぎ得られない問題でございまして、むしろ近い奬來において、抜本的に農地の所有面積を保障するというような措置を、あらゆる忍苦
特に当局が意を用いております点は、引揚者のすべてがまつたく耳目をふさがれたまま異郷の地に長年月忍苦の生活を続けて参りました人々でありますから、國内事情についてはまつたく逆の認識不足を持つて帰られるということでございます。これが受入れにつきましては、温い援護の手を差延べるよう細心の注意を施設中に施してございます。
御研究済みと思いますが、引揚げて参りましたときに、同時に失業保険法の適用をしていただきたいと思うのでありまして、申すまでもなくすでに終戰後四年の間、ソ連におきまして、労働に從事し、今日行政整理その他で非常に就職難の際に引揚げて参りまして、まつたく途方に暮れておるわけでおりまして、それも考えようによりましては、國家の償いと言いますか、戰争の償いというような見方もできるわけでありまして、そのために向うで忍苦
これがためには、私ども國民各層各分野におきまして、忍びがたきを忍んで忍苦鍛錬をいたしまして、國の再建のために努力をいたすべきでございまして、政府は農民諸君にのみこの犠牲を、負担をしいる考えはこうも持つておりません。断じてさような施策をとる考えはないことを申し上げておきます。 さらにただいま農林大臣からも御説明がございましたが、單作地帶の問題でございます。
又再び五年目の冬を彼の地に送らせるようなことがありますならば、留守家族の思いは勿論のこと、残留同胞の忍苦にもおのずから限度があるのでありまして、祖國の面影を抱いて狂い死させるにもひとしい結果となるのであります。この点についても誠意あるお答を併せてお願いいたしたいのであります。
(「笑つておつちやだめだよ」と呼ぶ者あり)私はまじめでありますから、どうかお願いいたします政党政派を超越してもこの問題の解決のために、全國津々浦々にわたつて生活苦にあえいでおります引揚げ促進を待つ家族の人々の氣持、あるいはかの地において忍苦の生活をしております人々の氣持をお察し願いまして、議員諸君一人残らず、何とぞこの問題について眞劍に御勘考願わんことを、この機会に切にお願い申し上げる次第でございます
そのために、戰前に劣る生活水準にわれわれは甘んじ、耐乏忍苦いたしまして、この難関を克服しなければならないのであります。今こそ敗戰後の昏迷と無氣力から立ち直りまして、労資の協力をはかり、全國民が結束を固くして、経済の安定、産業の再建に邁進すべき重大なときであります。
而もすでに國民生活が一般に相当窮迫いたしております実情に顧みまするならば、中央地方を通ずる國民の租税負担は決して軽くはないのでございまするが、租税収入の確保が、財政収入の均衡を得るために不可欠の前提でございますから、この際全國民各位に対し、租税の完納につき一段の忍苦協力の程を切望する次第であります。
しかも、すでに國民生活が一般に相当窮迫している実情に顧みるならば、中央地方を通ずる國民の租税負担は決して軽くはないのでありますが、租税收入の確保が財政收入の均衡を得るために不可欠の前提でありますから、この際全國民各位に対し、租税の完納につき一段の忍苦協力のほどを切望する次第であります。
そして業者の忍苦がようやく報いられんとして、連合軍の好意により砂糖の配給が行われんとしておりますとき、主食代替なる理由のもとにわれわれの経験も能力も熱意も、また砂糖の特異性も無視せられて食糧營團がこれを取扱うがごときは、實情をおおうものというべく、またわれわれ業者の死活問題であつて、断じて容認し得ないところであります。 第五には、消費者の立場からみた比較であります。
砂糖業者がもつておるところの権利をもつてして、いわゆる砂糖そのものは主食になるのだということによつて、食糧營團に扱はせるから穴があく、それよりも待てば海路の日よりで、今日砂糖業者というものは、今も提案理由の説明に當つたほかの委員より聴けば、未だかつて経済事犯を起したこともない完全なる配給をやつてきたという、この待つていた、忍苦を続けてきた業者の権利を、主食代替品でございますと言われたことによつて、せつかくきたこの
○磯崎委員 實は現在國民がいろいろ敗戰後の苦痛の生活に耐えて、いわゆる忍苦の生活をしているのでありますが、これに對しまして、去る本會議において、總理大臣は、いろいろ忍苦の耐乏生活をお稱えになりましたが、そのうちにおきましても、無限の耐乏を要請するものではないというようなことで、その前途には希望の明るさがあり、しかもその明るさの時は、講和條約の後においてくるであろうというようなお話がございました。
われわれも飢餓戰線を彷徨いたしておりましても、その要請にこたえますために、あらゆる忍苦の生活をいたしておるのでありますが、あたかも先般の本會議にあたりまして、閣僚からこの點についての質疑をいたしましたに對しまして、總理大臣の御説によりますと、この忍苦の生活も講和條約の成立によつて、そこに相當明るみがある、いわゆる未來に大きな希望をもつた忍苦の生活をお願いするのだというようなお話がございました。
十一月には家計が黒字になると、ただ耐乏忍苦を説教せられたその結果が、若し米、煙草の値上や、電気、燃料の欠配だけでありましたら、果して國民は政府を、いな政治そのものを信頼し得るでありましようか。働く者の暮しよい政治とか、三合配給とかいう選挙民への公約は、今どうなつておるのでありましようか。