2000-05-30 第147回国会 参議院 総務委員会 第10号
もう一人、東京高裁の判決の原告であります陳石一さん、九四年に亡くなりましたが、この方はボルネオ沖で爆撃を受けまして左足を切断した方でございます。この方と私はお会いして、よく言った言葉が、切断されてなくなった左足の足の裏がかゆくて仕方がないと。神経があるわけですね、その足をかきたいんだけれどもかけない。
もう一人、東京高裁の判決の原告であります陳石一さん、九四年に亡くなりましたが、この方はボルネオ沖で爆撃を受けまして左足を切断した方でございます。この方と私はお会いして、よく言った言葉が、切断されてなくなった左足の足の裏がかゆくて仕方がないと。神経があるわけですね、その足をかきたいんだけれどもかけない。
四五年二十六歳の時、航行中、連合軍の攻撃を受け、左足を(膝下三分の一を残し)失いました。 敗戦後、自分の意志とは関係なく日本国籍を喪失し、何の補償もないまま、九四年五月十四日七十五歳でこの世を去りました。
その中身につきましては、当時の調本横浜支部の副支部長でございます、これが、一等海佐でございましたが、三菱重工の技術者の方の指導のもとに操縦しておりました九〇式戦車から同技術者が運転中に転落をされまして、そして履帯、キャタピラの下敷きとなって、左足ひざの関節下及び左足首上の粉砕骨折並びに右目の視力障害等の障害を負ったというふうに報告を受けているところでございます。
ところが、右足、左足、右手、左手全部麻痺で、拘縮で固まっちゃっているわけです。動かないんです、関節が。完全な寝たきりの方で褥瘡、床ずれもあるわけです。この方は要介護のⅡなんです。 そして、もう一例紹介しましょう。これは七十五歳の女性です。この方は身の回りのことはほとんど何もできない人です。
左手左足は動かすことができません。辛うじて右手と右足が動かすことができるまで回復したわけですけれども、自分の足で歩行することもできませんし、それから食事も自分でできません、そういうような状況です。それから、左目は全く見えておりません。右目が辛うじて見える状況なんです。 この妹さんのお兄さんは、どういうことがつらかったのか。
郵便配達の途中、バイクをとめようとしたとき補助スタンドが突然もとに戻って、バイクの重量がオーバーしていたため足で支え切れずそのまま左足がバイクの下敷きになり、足置きが左太ももに刺さって全く身動きがとれなくなった。五分ぐらいしてようやく起きたが、局に帰ったときにはふくらはぎが二倍にも膨れていたそうです。 治療し、リハビリをしてもいつまでも痛みが続いて、医者にも内勤にかわった方がいいと言われた。
最近、毎日新聞で随分と連載に力を入れておりまして、「殺さないで」という特集で、三カ月前に左足の骨折で入院した二歳の男の子がまた運ばれてきたときには、今度は意識不明といいますか、昏睡状態のまま救急車で運ばれてきた。虐待に気づいた医師が保健所に通知し、毅然とした態度で親に、児童虐待です、子供を保護しますという告知をしたため、二歳の命は救われたという記事が載っておりました。
一歩の、左足なら左足の踏み込み、立ち合い一発の踏み込みだ。ここが大事だ。素材を出しました、その素材の中に哲学が込められているかということで、地域戦略ということが、町づくりという観点が入っているかが大事ですよ。 三月に回るというのは大変すばらしいことだが、何人で回るのですか。二十人ぐらいでしょう。何人ですか、担当は。
日米安保条約の適用範囲と台湾問題、こう通告を申し上げておきましたが、私は、日米安保体制、これは日本外交の基軸である、さらに、一九七二年、田中内閣のときにでき上がった日中国交回復、それに続く平和条約、日米、日中を両足、右足、左足にして、そしてしっかりと太平洋外交に取り組む、これが私の理想的な日本の外交の姿勢である。
京都の六十四歳の糖尿病の女性、インシュリンの自己注射の負担が倍以上になって、十月中旬から治療を中断、暮れに意識を失って倒れ、病院に担ぎ込まれたか子おくれで左足を切断したとか、こういうことになっております。 昨年九月の医療保険の改正のときに、小泉厚生大臣は、一そんなに酷な負担ではない、こうおっしゃいましたけれども、患者負担は二倍から数倍にもはね上がっておる。
京都では、六十四歳のひとり暮らし、旅館に勤めていた女性が糖尿病でインシュリンの自己注射をしていましたが、九月以降負担が二倍以上になって十月から中断、十二月二日には自宅で意識を失い倒れていたのを友人が見つけ、緊急入院しましたが、左足を切断せざるを得なかった例など、深刻な事態が広がっています。
この金さんはビルマ戦線で左足に迫撃砲弾の破片を受け、負傷して後送中、今度は野戦病院で空襲に遭い、右腕を切断。部隊には捨ておかれ、傷口にたかるウジをみずからの手でつまみ出しながら数百キロの逃避行、自力でチェンマイの陸軍病院にたどり着いた、こういった歴史の方でございます。
第一号でいらっしゃるのがアボアグイエさんだったということでございますけれども、約十年ぐらい前に事故に遭われまして、左足のひざ下を切断して義足を支給された、年金も支給されたということでございます。 ところが、義足というのは年がたちますと本人の体形が変わったり、あるいは少しずつふぐあいが出てまいりまして調整を要するようでございます。
一九四五年四月、バリックパパン沖を航行中、米軍機の攻撃を受け、左足を三分の一残して切断。石さんとともに提訴するが、判決を目前に九四年五月十四日死去、七十五歳だった。遺族が控訴。 姜富中さん。二〇年五月生まれ、七十四歳、滋賀県在住。四五年二月、ブカ島より伝馬船で弾薬輸送中、戦闘機の機銃掃射を受け、右手親指を残して全部切断、右目はほぼ失明。九三年八月、大津地裁提訴。 趙鏞寿さん。
ここで、思い切って一遍左足を前に出すべきである。比喩的、象徴的言い方をすればそういうことですね。右足が必要ではないと言っておるんじゃないんだ。右足が前に出過ぎているから今度は規制緩和の左足を前に出すべきである、それが今の日本の現状である、そして産業を活性化すべきである、こう思います。
あるいは、人間は水の上を歩くことができる、右足が水の下へ潜る前に左足を踏み出せばいいんだ、左足が水の下へ潜る前に右足を出せばいいんだということも、これは昔から言われていることですけれども、だったらなぜ人間は飛べないのか。それは、そういう言葉あるいは建前で言われていることと現実との間に乖離があるからです。
日本人として徴用され軍属となった陳さんは、船で軍需物資を運ばされていましたが、敗戦直前の一九四五年四月に連合軍機の攻撃を受けて左足切断の重傷を負いました。戦後、戦傷病者戦没者遺族等援護法により元軍人・軍属に給付される障害年金を請求いたしますと、日本国籍がないことを理由に拒否されました。 サンフランシスコ条約に伴い、韓国、台湾など日本の旧植民地出身者は日本の国籍を失ったことになりました。
そして次々と警察官が交代する中で、少年の髪をつかみ床に引き倒し引きずり回し、左足、肩、胸、わき腹をけったり、いろいろな恐喝があってパイプいすでまで二度殴りつけられています。そして余罪の自白を迫ったわけです。群馬弁護士会が群馬県警本部と富岡署に対して警告書を提出した。一九八八年十一月の事件です。 その後の調査によりますと、これは決して特殊なものではない。
ワンツー、ワンツーと言っているときに、このアイメイト協会で指導されている盲導犬は必ず左足へ来るんですって。それで、左足のところにワンツー、ワンツーでぐるぐる回っていて、尿意を催す、あるいは便意を催すと、この犬が左側に座るんだそうですよ。それで、前足を立てて後ろ足を折った場合一ちょうどビクターの犬、考えている犬もありますけれども、ああいうふうになっているわけです。
○関根政府委員 さきの委員会におきまして和田先生から、左足でブレーキを操作する方が合理的であるとの御指摘をいただき、私どもの方でもう一度専門家の方々に伺ってみますと御答弁申し上げました。 専門家の方々にいろいろ伺ってみました。
どうして両足があって左足を遊ばせておくのか。左足をブレーキ専門に使いなさい、初めからこれを教えていただければ、踏み間違えというのは絶対に起きない。アクセルを離して右足をブレーキに踏みかえてとめるという操作でなくて、ブレーキは左足で踏むんだということをAT限定の免許の人には初めから教える、そうすれば踏み間違えによる事故は絶無になる。
○和田(一)委員 局長の御答弁では、これから特定するかどうか――特定というか、教習の中で従来どおり右足一本で教えるだけにするのか、いや左足ブレーキもあるが、左足がよければ左足で初めから訓練し教えますよという弾力のあるものにするのか、いや右でなければいけないのです、構造上そうなっているのですと言うのか、その辺はどうです。