1950-02-03 第7回国会 衆議院 予算委員会 第7号
南原総長がアメリカで演説をたさいました。あの中には、レフォメーシヨンも、ルネッサンスもないということを訴えられております。しかし人格の尊厳を守るような日本人は常々として努力しておるということも訴えられておる。しかしそういう努力をわれわれ日本人が過去四年間やつておるか。終戰後あのインフレーシヨンに災いされて、日本の国民精神は堕落の方向に行つておるのではないかと思う。
南原総長がアメリカで演説をたさいました。あの中には、レフォメーシヨンも、ルネッサンスもないということを訴えられております。しかし人格の尊厳を守るような日本人は常々として努力しておるということも訴えられておる。しかしそういう努力をわれわれ日本人が過去四年間やつておるか。終戰後あのインフレーシヨンに災いされて、日本の国民精神は堕落の方向に行つておるのではないかと思う。
一般の行政官の俸給でありますが、これは六千三百七円ベースになりましても、十五級の一号は二方三千六百二十円、これはどういうような人が受けておる俸給であろうかと調べてみますると、東京大学の南原総長級の一、二の人であります。それから一般の各省の次官の俸給はと調べてみますると、一万九千九百四十円であります。裁判官の方を見ますると、五千三百三十円ベースであつても、一号はすでに二万四千円であります。
それはあの人事院規則については、大学教授側を南原総長が代表せられて人事院総裁と会見され、そうして両者の間には、解釈上の一致を見て、おる。
それに南原総長の声明等も出ておる際ですから、これはやはり政府の責任上なすべきことだと思う。先ほど椎熊君が貸金ベース改訂のことは言わせるなとにこだわつて、かえないということになると困ると言われたが、そんな無責任なことを言うなら、その政治的責任を追求するのがわれわれ野党の政治的任務だと思う。
そのために最近例えば九月の二十二日でありましたか、全國大学教授連合評議会で、南原総長名での「学問の自由と大学教授の地位」と題するアッピールが出されて、それが非常に大きな問題を投げかけておる。大体これについては、要旨を申上げますというと、 「全国大学教授連合は、我が國大学教授会が遺憾なくその本來の使命と、社会的責務を遂行できるよう研究及び教育に必要適切な諸條件の確保に努力して來た。
又例えば南原総長というようなものでありましたならば、多年培かつた名前で行きましようし、今日まで実業界で專らやつて來た人の持ち前は、それはその人の仕事であり金でありますから、おのおの持つておるものは持つておる最高でやつたらいいので、例えば南原さんの名声を一会社の社長が持つておるわけではない。
殊に先般來いわゆる産業革命なる言葉が唱えられて、あなた樣も御承知の通り東大の南原総長が今年の大学の卒業式のときに、全学生に向つて呼びかけられた言葉の中にもあるのでありまするが、本院でも先般自由討議の際に、星一君からこの話があつたと思いまするが、兎にも角にも蒸氣、電氣、かようなものの発明によつて前世紀に産業革命が行われた。
最近帝大の南原総長は産業革命、人間革命ということを言うておりました。今まで芋を作つた人に供出ばかりさせておつたが、今度は芋を作つた人加工業の権利を与えるのでありますから、芋を作つた人は何ぼ働いてもくたびれないということになるのでありますから、そうした百万トンを目的として、大きなここに財源ができます。それにはやはり専売局にこの仕事を与えるがよかろうと思つております。