1987-02-18 第108回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会委員打合会 第1号
私は、この核の冬の研究の結果得られた科学的データのこれまでと違う衝撃的な意味は、つまり核戦争には勝利者はいないということが科学的事実で裏づけられたことだと思うのです。
私は、この核の冬の研究の結果得られた科学的データのこれまでと違う衝撃的な意味は、つまり核戦争には勝利者はいないということが科学的事実で裏づけられたことだと思うのです。
もちろん歴史というものは、勝利者が、政権をとった場合には前の政権のことを全部消してしまう、これは昔からどこの国でも行われた。もちろん中国のように早く代がかわりまして、二百年や三百年でかわる場合は、前朝のやつを消そうにも消されない、覚えているから。自分が倒した王朝のもう一つ前の王朝のやつを消そうと前の王朝がしても、後の王朝がそれを認めないから、だから続くわけです。
核を使った戦争は勝利者はいないと言われております。何十年か前アジアの人々に大きな損害を与えた日本、そして唯一の被爆国の日本が平和的な国際秩序をつくる上でどんな貢献ができるとお考えなのか、それを第一点としてお伺いしたいと思います。
それはあの勝利者、第二次世界大戦で勝利した彼らが、「日本を一方的な侵略者として断罪するために、茶番劇である「勝者の裁き」を裁判の衣を纏(まと)って行なったのである。」、こういうふうに書かれている。端的に言えば、東京裁判は茶番劇だという評価ですね。
第二次大戦終幕当時三発しかなかった核兵器がついに五万発を超えるようになった今日、一たび核戦争が起これば、勝利者はなく、人類は絶滅する危険があることが、例えば核の冬についての国際的な科学者の共同研究によって既に明白となっております。核兵器廃絶は決して遠い究極的な理想ではなく、今日人類の死活にかかわる緊急の重大課題なのであります。
レーガン、ゴルバチョフ両首脳が、核戦争に勝利者はない、核戦争は絶対に戦ってはならないということをお互いに確認し、核兵器の五〇%削減を目指そうということを述べ、また、米ソの首脳会談を来年、再来年続けていこうということになって、これは言うまでもなく積極的なことだった。
ただ、核戦争での勝利者はなく、戦ってはならない、この認識で一致したということと、両国間の紛争は破壊につながるとして、核、通常兵器を問わず、戦争を回避をする重要性を強調し、軍事優位を求めないと宣言したことは、私たちは評価していいのじゃないかという気がいたします。
それは情報において日本が勝利者たり得たことである。事技術情報に関する限り、アメリの政府や企業はほとんど注意を払ってこなかった。その理由は、アメリカこそトップであり、アメリカで発明されたもの以外は意味がないと傲慢にも信じてきたからだ。このため日本企業の動向、技術情報など知ろうともしなかった。」ということですね。
また、核戦争に勝利者はないと言われますように極めて恐ろしいものでございます。 つい二カ月ちょっと前の本年二月二十五日に、国連は軍備競争のコストと題する統計を発表いたしましたけれども、世界の軍事支出は一九六〇年から八三年の間に倍増し、年八千億ドル。この五分の一でアフリカなど世界じゅうの飢餓を二〇〇〇年までに絶滅することができるといった膨大なものになっておるわけでございます。
見ていますけれども、アメリカの世論を考慮をしながら、昨年一月、一般教書ですよ、一般教書でソ連国民への呼びかけで、核戦争に勝利者はない、核兵器をすっかりなくした方がいい、こういうようなことを言う。たびたび核兵器の廃絶について語っているんですよ。 総理、なぜレーガン大統領がソ連の国民にこうしてこういう呼びかけをしたんだと思いますか。
○松本委員 総理もだんだん進歩されるようで結構な点もあるかと思いますが、アメリカの世論調査では、核戦争に勝利者はないというのについて世論調査の結果八九%ですよ。これをレーガン大統領は考えているのですよ。ソ連に呼びかけているのですよ。それは日本の国会でも演説している。私も知っています。
あのときに核兵器に勝利者も敗者もない、勝利者はないとはっきり本会議の議場で言ったじゃないですか。だからそんな文書調べなくたって、我々は現に自分の耳でそれは聞いたところですよね。そういう考えはやはり一貫してあの人は持っておるのです。ですから、今さらとりたてて言うほどのことではないのです。
現にレーガン大統領は日本の国会演説で核兵器廃絶の夢を語っただけではなく、昨年一月の一般教書の中で、かつての言明とは全く違って、「核戦争に勝利者はあり得ず」「核兵器はすっかりなくした方がよい」と述べるなど、しばしば核兵器廃絶について語っているのであります。総理、あなたはこの発言をどう考えられるでしょうか。
レーガン大統領も国会に来まして、我が国会で演説をいたしまして、核戦争には勝利者はないとはっきりここでも断言しておるように、核戦争に対しては重大なるやはり責任を考えておると思っております。
その一つは、核戦争に勝利者はない、共滅の戦争だ、この共滅は米ソが共滅するだけではない、人類共滅の戦争だ、地球を破壊する戦争になる、この認識では一致をいたしました。したがって、抑止論にかわるものは人類共通の安全保障論しかない、こういう結論をこの間のヨーロッパにおける軍縮会議は決めております。
レーガン大統領も、核戦争においては勝利者はいない、核兵器廃絶を目指すと、私のこの席で演説しておるのを御記憶であったと思います。 次に、トマホークの問題でございますが、これは、核兵器につきましては非核三原則を持っておりまして、これを厳守していくということは累次申し上げたとおりです。
パルメ委員会も、核戦争に勝利者はない、抑止の理論は破産しており、それにかわるのが共通の安全保障だ、どうやって軍備を縮小均衡の方に持っていくか、その議論を共通の安全保障に求めるということになってきているのであります。総理のような考え方をとるから、日本の防衛庁もソビエトの軍事力を過大評価し、防衛白書なんかはその系列でできております。
○安田国務大臣 菅先生からいま御指摘、御質問がございましたけれども、いささかこれは私見でございますけれども、二十一世紀に向かって世界の最先端、それの最終の勝利者はだれになるのだろうかな、私はいろいろ考えてみればみるほど、このDNA、ライフサイエンス、この分野で最先端の知見を集積した者が最終の勝利者だ。
核戦争にはいかなる勝利者もあり得ない」と警告を発しておるのであります。 政治家の最大の任務は、熱核戦争を防止し、国民をいささかでも戦争に巻き込まないように努めることではないでしょうか。 国際緊張の激化が、大統領選挙を前にしたカーター政権の世界戦略と無縁でないことは明らかであります。
征服行為は結局は失敗に終わり、被征服者が勝利者となっているのでありますが、それでもともとということにはならないのであります。征服された民族にはぬぐうべからざる怨念が残り、これが世代から世代へと伝えられ、次の戦争の種ともなっていることを見逃してはなりません。この件に関しましては、一昨年八月、本院の外務委員会における田英夫氏の質問の中に、はなはだ適切な引例がございます。御参照願いたいと思います。
しかし、人間の脳は三歳にして六〇%、十歳にして九〇%、二十歳で大体脳の構造は完成するということとを考えますときに、脳の完成時において記憶だけに集中した、その最高の勝利者がもし日本の政治を支配するとするならば、そこに一体日本の未来の創造というものがあるだろうか。大臣は「創造力」とおっしゃいました。「たくましく」とおっしゃいました。
したがって、勝利者はふたたび共産主義者となるが、それは異なった形態の共産主義となろう。米国は中国を世界征服者として育てている。その結果は、米国自身の上にふりかかるだろう。米国の知識人たちは社会主義と共産主義に対して共鳴しすぎている。今日、米の大学ではマルキストであることは名誉にさえなっている。」こう言っております。