1992-06-03 第123回国会 衆議院 文教委員会 第7号
文部省のお役人さんたちは国家公務員でございますが、恐らく国共済については余り研究や勉強をする機会はほとんどありませんで、恐らく公立学校生済と私学共済という、私どもの仕事の範囲のみ懸命に勉強しているというのが実態ではないかと思っておりまして、年金の一元化というような大目標に向かって、どういう推移をたどっているかも私自身もつまびらかにいたしておりませんから、余り大きなことも申し上げることはできませんが、
文部省のお役人さんたちは国家公務員でございますが、恐らく国共済については余り研究や勉強をする機会はほとんどありませんで、恐らく公立学校生済と私学共済という、私どもの仕事の範囲のみ懸命に勉強しているというのが実態ではないかと思っておりまして、年金の一元化というような大目標に向かって、どういう推移をたどっているかも私自身もつまびらかにいたしておりませんから、余り大きなことも申し上げることはできませんが、
地球環境の問題というといわばそういうことがございますので、そういうことが実は余り研究が十分にはされてないということでございます。 私のお答えできるところはそのくらいでございます。
日本の企業が今日国際社会の中でやはり環境に対しても責任があると思うんですけれども、そういう点でも合成洗剤の面では環境に責任を持つ製品を余り研究されていない。そのモラルが非常に欠けていると思うんですけれども、その点について今後やはり御指導いただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
今ここで構造協議が問われている中で、アメリカ人目体を我々からすると余り研究されていない。アメリカの方はかなり日本を研究してきているという最近の経過です。そういうことから、先ほど出ましたけれども、今まで日本は敗戦という中でとにかく成長だけ、アメリカも力をかしてやろうということで、この図の赤い部分で、日本は成長をしてきたと思うんです。
○政府委員(西廣整輝君) つもりもないようなことを余り研究したこともございませんので、私も明確なことは申し上げられませんが、余り例のないことなので直ちにはお答えできないというようにお答えしておきたいと思います。
今のように、大学が自分の立場を中心にして、例えば採点する能力ですね、これをどう高めたらいいかということ等も余り研究もしてくれていないように思うんです。そういう状態でこの入学試験を実施するということは、やはり私たちは学生の立場に立って物を考えなきゃなりませんし、その意味においては学生にかわって大学側にいろいろとサゼスチョンをしなきゃいかぬと思うんです。
私も当時の科学技術の特別委員会で、平泉君が長官をしておられましたが、二時間余り研究調査のことについて議論をいたしたことがありますが、その直後、日米共同研究になりまして、広島放影研、長崎の放影研支所、こういうことになりました。しかし、この調査の中で、軍の秘密にかかわる問題でもございましたので、アメリカ側においても開発については十分縦横の連携がとれていなかった。
この脱税を防ぐということに対して、日本の国会、日本の政府あるいは日本の大蔵省は余り研究していない。世界各国は、どうやって脱税を防ぐか、もう夢中になって研究している。 先ほど申し上げたように幾つものやり方があります。例えばフランスの場合は、各家庭、各世帯ごとに必ず申告書が送られてまいります。それからカナダの場合は、大蔵大臣は赤ちゃんにまで申告書を送るということになっております。
具体的な調整のあり方については、現在研究を進めているところでありますが、この分野については余り研究が進んでおりません。現時点ではっきり申し上げることはできませんが、いずれにいたしましても、日米が共同して対処する場合に、指針に書かれてあるとおり、自衛隊と米軍というのは「それぞれの指揮系統に従って行動する。」ということになっておりまして、そのとおりやっております。
そういうものを十分情報をお集めいただいて、そして余り研究者に大きな負担がかからないように、あるいはしょっちゅう企業にもらいに行くというようなことのないように、恥ずかしくない学会開かせていただくように、ひとつ文部省の方でお調べいただき、援助の方をお願いいたしたいと、こう思います。
ですから、つまり民間会社が大学以上の基礎研究をやっているということもないわけではないという事例を幾つか知っていることは知っているんですが、しかし同時に、会社は多分研究というのは大蔵省で税をまけてもらえるわけでしょう、損金の方へ入れてもらえるということがあって、本当は余り研究してないんだけれども、研究しているようなことを言っているというおそれはないんでしょうか。
今もいろいろと答弁がありましたけれども、直下型地震については余り研究がよくされていない、よくわからないんだと、こういう答弁が何回かなされている。日本は世界から見て有数な地震国なんですから、そんな直下型地震のメカニズムが一体どうなっているかなんということが今もってわからないのだなんという答弁を、この国会の当委員会でしゃあしゃあと述べるその神経が私は納得できない。
簡単に申しますと、現在例えば晴海のロボットショーなど毎年ございますけれども、そういうところで見られますロボットは、大学、研究機関ではほとんどと言っていいほど余り研究されていないものでございまして、民間企業が自分たちの努力で実用化したものがほとんどでございます。一方、大学、国公立研究機関で開発いたしましたものは、まだ実用化されておりません。
私が調べたところでは、通産省も建設省もどうも余り研究していないようです。しているのかもしれませんけれども、余り聞きませんね。そういうようなことを研究して、少々塩分があってももう実際に大丈夫であるという方法を開発しないと、私は今後大変な問題になると思うのでありますが、この点はいかがですか。
日本と豪州との関係を考えますと、ちょうど日本とアメリカの関係を逆にしたようなもので、日本はアメリカのことは非常によく知っているけれども、アメリカ人は日本のことを余り研究しようとしていない。それとちょうど同じことが日本と豪州との間に言えて、豪州の人たちは日本のことは非常によく研究しているように思うんです。ところが、日本の学者で豪州のことを研究している人は余りいない。
○三浦(隆)委員 主に種間雑種のことでのお話があったわけですが、動物段階では余り研究されておらないという御答弁でありました。
すでにいままでにも研究を進めておりますので、その結果といたしまして、まだ余り研究が成果は上がっていないのではないかというお話でございましたが、むしろこの研究につきましては比較的開発的な内容を含んでおりますので、比較的短期間でもおもしろい成果が出つつございます。
従来、この選挙権の議論がなぜなされてこなかったかというと、普通選挙はもう来るところまで来ていまして、投票自書主義が差別であるかないかという大変学究的な問題が残っているだけで、ほとんど選挙権というのは権限であろうと公務であろうと余り研究する値打ちのない分野に置かれている。 たとえば杉原泰雄教授の表現をかりますと、選挙権が権利だということは「われわれの法的常識・法的確信」である。
そういう自転車のあり方あるいは道路、自転車道のあり方、利用の仕方、そういうようなことにつきましても余り研究が進んでおりませんでしたので、これも五十六年度におきまして、学者先生方にもお願いいたしまして、そういうものについての検討をする。