2014-04-18 第186回国会 衆議院 経済産業委員会 第11号
それからもう一つ、彼ら庶民のいにしえからの文化の中で、山塞文化というのがあると書いてあったんですけれども、これはどういう意味かというと、人里離れたような山の中で、模倣品であるとか、そういうものをこっそりとつくるような要塞、これを山塞と言うようで、そういうところで物がつくられて市中に出回っている。庶民の文化でそういうものをつくって今までもやってきたというのが、いにしえからあるようなんですね。
それからもう一つ、彼ら庶民のいにしえからの文化の中で、山塞文化というのがあると書いてあったんですけれども、これはどういう意味かというと、人里離れたような山の中で、模倣品であるとか、そういうものをこっそりとつくるような要塞、これを山塞と言うようで、そういうところで物がつくられて市中に出回っている。庶民の文化でそういうものをつくって今までもやってきたというのが、いにしえからあるようなんですね。
その原因として挙げられますのは、やはり猟友会の皆様の高齢化の問題でありますとか、捕獲圧の低下、食物連鎖の乱れ、あるいは、広葉樹林が皆伐に遭いまして、そのかわりに針葉樹林が大量に植林され、山林の中の餌が少なくなった、その結果、餌を求めて人里に出現するようになった、このようなことを指摘する研究者もいるところでございます。 その根本解決の一つの具体例といたしまして、やはり今の針葉樹林ですね。
実は、昨年私も、私の親戚が三重県の方の人里離れたところで農業をやっておりまして、その親戚の者がイノシシに大変田畑を荒らされているものですから、このままではもう農業を続けていく意欲が湧かないというような話をしておりました。
障害者がかわいそうな人だから人里離れた施設に保護してそこで一生を終えるということではなくて、一度きりの人生ですから、できる限り伸びやかに生きてほしいなと私は思っております。社会に出たら働いて世の中の役に立ちたい、そう希望する障害者は多いのでございます。誰かに喜んでもらってそれを自分の喜びとする、幸福感や達成感を味わう、この気持ちは障害があってもなくても同じであると思います。
私は、障害者は気の毒だ、そして、かわいそうな人だから保護しなければいけない、人里離れた施設へ保護して、そこで一生を終えてしまう、そういうことではなくて、障害があろうがなかろうが、人としての命の重さ、あるいは、人生は一度きりだということは変わりがありませんから。
○政府参考人(伊藤哲夫君) 警戒区域及びその周辺部におきましては、鳥獣捕獲の低下や人為活動の停滞によりイノシシなどの人里への出没が増加していると、こういう状況にあると認識しております。 このような中、環境省におきましては、昨年度、福島県が行うイノブタなどの生息状況調査やイノシシと豚との交雑状況を確認するための捕獲に対し、東日本大震災復興推進調整費を活用した補助を行ったところでございます。
○政府参考人(伊藤哲夫君) 警戒区域及びその周辺部におきましては、鳥獣捕獲の低下や人為活動の停滞によりましてイノシシの人里への出没が増加していると、こういう状況にございます。こういった中で、福島県におきましては狩猟を促進するための独自の報償金制度を設けて鳥獣被害対策を推進しているというふうに承知をしております。
山林が少し荒れてきたとか、荒廃水田、畑が少しふえてきたとか、そして、農地に人がいなくなってしまったことがやはり動物を異常に人里に近づけているとか、いろいろ言われていると思うんですが、なかなか決め手がないことも事実だと思っています。
で、残り二・五なんですけれども、このうちの、残っている部分の半分ぐらいは、やはり人里離れた山間部とか非常に孤立しているとかそういったところで水道整備が進んでいないというところと、あと残りの半分は、水道は行っているんですけれども、自分で井戸を使っていると、そういった形で水道事業を利用しない方がいるという状況でございます。
○国務大臣(川端達夫君) おっしゃるように二つの側面があると思いますが、特に、やっぱり地産地消、送電コストに関しては昔で言うパンケーキの問題というのが一定制度上は解決したんですけれども、やはり自然再生エネルギーというのはどうしても人里離れたところとか集落が小さいところとかいうところに多くエネルギー源を持っているという特徴がありますので、可能な限り、そこで、まさに自然の中でエネルギーをつくり、その中で
被災地の首長たちが最近声が出ていますのは、例えば岩手県は、土地が広大でありますので、あと二年で片づけるという政府の方針にこだわらずに、人里離れたところにまとめて置いて、そして現実的な範囲で年数をかけて進めたらどうかという声も出ております。
さて、これからこの災害公営住宅をつくるときの案として、よく地元で言われているのは、全く高台の人里離れたところにつくるのではなくて、できるだけ、今回例えば、被災地でも、津波はこの津波でも一メートルぐらいしか来ないような地域、やはりこういうところに市街地をつくって、新たにここに公営住宅をつくりたいという声があります。
特に、現地につきましては、水位計、人里離れたところでありますのでなかなか人が入れないということもありまして、ヘリコプターで水位計を上空から落としまして、上流の状況の確認、あるいは閉塞の状況を確認するためのカメラの設置、こういったものを設置し、観測体制の強化ということも併せて図っているところでございます。
耐震性が重要であることは否定しませんが、人里離れたところにある風車と人間が住む住宅が同じ基準である必要があるのですか。こうした過剰規制も見直すべきではないですか。 最後に、エネルギーというときには、電気だけではなく熱もあります。
これらは、大きな産業が大きな町にできるとか、あるいは人里離れたところで工場で何百人が働くのと違って、普通に町の中で、町の家に伺うサービスであり、家にいる方々が歩いて通ってくるサービスです。 つまり、地元に雇用、あるいは自営業を含めた就業をこれからも、高齢社会になっても、よほどのへき地でない限りかなりの過疎地でも維持することができます。
里山という、奥山、里山、人里という、何か日本のゾーニングといいますか、原生林があって、里山があって、そして人里がある、そういう日本の古来からの住まい方、そういうことをしっかりやっていくためには、やっぱり農林水産業も含めて大きな役割を果たしているというふうに思っております。そして、生物多様性の保全にも大きく貢献をしているということは、私も認識を一にしております。
人口減少等により、手入れの行き届かない、先ほど言われた里地里山がクマ類にとって生息しやすい環境になっていること、また、「熊撃ち」という本を去年読みましたけれども、狩猟者の減少や高齢化によって狩猟の頻度が減っていること等、いろいろ考えられますけれども、特に今御指摘のように、本年については主要なえさであるドングリ、ブナとか、ナラ枯れとかいう言葉がありますけれども、そういう全国的に不作のためにえさを求めて人里
そうすれば、動物も奥山にえさがなくなる、だんだん人里に近づいてくれば割と安易にえさにありつけますから。 そういう面では今非常に厳しい状況でございますので、私は、この過疎対策というものについて、これまで過疎対策特別措置法というものが十年ごとに更新されてきております。その都度、法律の名前を一部変えながらやってきておりますけれども、全然歯止めが利いておりません。
これは国土交通省所管の登録機関で関係しているのか知りませんけれどもね、やっぱりそれ委託委託で民間業者が預かって運んでいるわけですから、それが人里離れたところに捨てているようなことも報告されているし、記事にもなっているという、そういう世界の話ですわ。昔からですけれども、これは。
人里近い部分というのは比較的小規模な山の崩落。ここには、治山の視点で、砂防堰堤みたいなのをついて崩落の拡大を防ぐ、そういう努力をされている。その工事の跡を目にすることができるんですけれども、一歩山の奥に足を踏み入れてみますと、もうほとんど手がついていない。二年三年たっていくと、ああ、あそこもまた崩落しているな、そういう状況なんですね。 こういう流れというのは、全国的にもそうだろうと思うんです。