運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
54件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1961-04-26 第38回国会 衆議院 内閣委員会 第31号

日本政府不拡大方針であったのにもかかわらず、現地の軍はどんどん事件拡大していった。シナ軍だってそうである。マッカーサー元帥だって、三十八度線を乗り越えていこうとして、戦略上の理由で勇ましいことをやりかけた。ところがこれはト大統領によってばっさり首を切られたですね。あなたの場合は、ト大統領のような場合とは違って、そういうところにばっさり首を切るほどの力がないのです。

受田新吉

1961-03-22 第38回国会 衆議院 農林水産委員会 第17号

ですから、総体的に政府の考え方は、とれから十年間は農地は現状維持である、あくまでも現状維持方式でいく、ただ、毎年一万五千町歩とか二万町歩壊廃地ができるが、それだけは補充していく、どこまでも拡大しない、不拡大方針現状維持でやっていく、これは間違いないんじゃないですか。間違いあるとすれば、この前の大臣の農政の基本施策の答弁というのは、これは全くでたらめだったということになります。

芳賀貢

1961-02-24 第38回国会 参議院 本会議 第9号

第二次大戦にあたり、連合国大西洋憲章カイロ宣言において戦争目的を明示いたしまして、領土不拡大方針を明らかにとっております。そこで、特定の戦略的地域は保持したいが、領有することは許されない、このような目的と現実の調整から信託統治制度が生まれ、条約第三条になったと私は考えますが、どうでございましょうか。

田畑金光

1960-04-14 第34回国会 参議院 文教委員会 第10号

時の若槻内閣は、事件不拡大方針をとったが、軍部はこれを無視して軍事行動を続けたため、内閣は同年十二月総辞職した、次の犬養内閣は、日華の直接交渉によって問題を解決しようとしたが、軍部にはばまれて成功せず、この間、戦火上海に波及して、三二年一月上海事件が起こされた。同三月、軍部内閣の反対を押し切って、かいらい政権である満州国を作り上げた。

加瀬完

1960-04-14 第34回国会 参議院 文教委員会 第10号

しかし、日華事変満州事変日華事変という中に戦争不拡大方針があった。あるいは平和裏に解決したいという念願が日本人の一部の中にもあったんだということを書いて置かなくっては、善隣友好の大きな世界史目的としている教育の目標にもはずれてくるのではないか。こういうものを特別にはずさなければならない理由は私はないだろうと思う。

加瀬完

1956-05-31 第24回国会 衆議院 予算委員会 第16号

また戦争中においても、その当時の敵国側は、常に領土不拡大方針ということを宣言をして参ったのでございます。そこでわが方としては、わが方の戦前の領土、すなわち南樺太、千島、それは北千島及び南千島を含む、それから歯舞、色丹、これを全部要求したのでありますが、交渉の経過の途上、いろいろ努力をしてみましたけれども、それは全部の主張を貫徹することは困難である。

重光葵

1956-05-24 第24回国会 衆議院 外務委員会 第49号

ソ連が参加しておる大西洋憲章によっても、領土不拡大方針というのは明瞭になっておるわけであります。  さてそれでは南千島はどうであろうかといいますと、いまだかつてロシヤはもちろんのこと、日本以外のいかなる国の領土であったこともないのであります。一八五五年、下田で調印された日露通条約によっても、ロシヤから南千島の国後、択捉の二つの島が日本領土であるということは確認されております。

重光葵

1956-04-10 第24回国会 参議院 内閣委員会 第25号

あるいは満州事変が起って——満州事変関東軍なら関東軍で起されたのですけれども、それが不拡大方針にもかかわらず、どんどん拡がっていく、これはある程度のこうした実力軍隊ができれば、それは自分で大きくなっていく。あるいは大きくなるために事件もこしらえていくだろう。これは警察だって軍隊だって同じです。それが軍隊であるだけに、実質軍隊であるだけに私は危険なものを持っておると思うのです。

吉田法晴

1956-02-11 第24回国会 衆議院 外務委員会 第4号

また連合国はこの今次戦争について領土不拡大方針を掲げていたこと、また太平洋憲章カイロ宣言ヤルタ協定ポツダム宣言はすべて過去において日本が暴力により略取した領土を返還せしめるという趣旨であり、日本国民連合国自国領土的拡大を求めているものでないことを信じて疑わない。日本の固有の領土たる南千島をソ連自国領土であると主張することは、日本国民一人として納得し得ないところであります。  

森下國雄

1955-07-27 第22回国会 衆議院 本会議 第48号

われわれは、近衛内閣の日支事変不拡大方針軍部によって踏みにじられ、ついには無謀なる太平洋戦争に突入した苦い経験を持っておるのでございます。この苦い苦脳を、現世に、またわれわれの子孫にも再び繰り返させないためにも、本法案には強く反対せざるを得ないのでございます。  第三の理由は、最近のジュネーヴ会議をめぐる国際情勢の動きであります。

田万廣文

1950-12-06 第9回国会 衆議院 外務委員会 第4号

国際連合不拡大方針にもかかわらず、朝鮮事件中共軍の介入によりまして、遂に南北朝鮮の内乱から中共対国連の全面的な衝突に移行し、ここにまつたく新しい宣戦布告なき戦争の新段階に突入いたしまして、戦火は今や鴨緑江の国境を越えて、遠く満州、中国にも波及せんとするかの様相を示しておるのであります。

佐々木盛雄

1949-07-08 第5回国会 衆議院 考査特別委員会 第17号

鈴木証人 時期的にはそれが符合いたしましたが、すでにその前日において私たち不拡大方針をとり、当時の東神奈川をもつておつた横浜支部委員長にも來ていただいて、その前日すでにやめるように努力することを申しているわけであります。從つてあの指令は自主的な立場において行われたものであると考えております。

鈴木市藏