2010-03-10 第174回国会 参議院 政府開発援助等に関する特別委員会 第4号
そうした中、例えば青年海外協力隊が初めてアジアの国々に受け入れられたとき、国会で万歳の三唱があったという話も聞きました。それは恐らく、国際社会から日本が受け入れてもらえて、その社会の一員になれたという大きな感激だったのではないかと思います。
そうした中、例えば青年海外協力隊が初めてアジアの国々に受け入れられたとき、国会で万歳の三唱があったという話も聞きました。それは恐らく、国際社会から日本が受け入れてもらえて、その社会の一員になれたという大きな感激だったのではないかと思います。
一地方議員選挙ではあったんですが、私が当時旧民主党の初の地方議員ということで、初当選したときの写真が、神奈川版ではありましたけれども大きく取り上げられまして、その横には千葉景子参議院議員が一緒に万歳で写っていたということがございます。
えらい手柄のようなお話をされましたけれども、絶対に農水省の人たちは、黙ってこっちを見ていますけれども、万歳はしていないと私は思いますよ。泣いているかどうかは知りませんけれども。
ただ、非公共については、昭和六十年度以降これだけの額になったのは、実は農水省は初めてでございまして、農水省の職員の連中は万歳して喜んで、よく大臣やってくれた、よくこれだけ予算を認めさせてくれたといって喜んでいるということも事実ですので、ぜひその点も御理解をいただきたいと思います。
その折に、辺野古地区のおじいさんやおばあさんがたくさん出てきてくださって、万歳三唱をして迎えてくださいました。それは、自民党の国会議員の方が初めて辺野古にいらっしゃったということで、涙を流して、おじいちゃん、おばあちゃんがその浜辺で迎えられたということがありまして、私も一緒に同行いたしました。私は、あの海を守りたいという気持ちは変わっておりません。
協会は一〇〇%うれしく、万歳をしてしまうほどはしゃいでしまいましたが、国民は皆喜んでおります。全国からおめでとう、良かったですねという電話がりんりん鳴りまして、その日は大変でございました。 参議院の先生たちにもう一度申し上げます。国民はA案にみんな喜んでおります。国の宝、子供の命は自国の法律で救わなければなりません。
要介護度五だったのが、うちのおばあちゃん、四になった、三になって、おお、万歳なんですよ。ところが、逆に言うと、今、要介護度四でこれだけ見ていただいているのに、三に軽くなったら、今まで見てくれていたサービスが減るじゃないの、困るじゃないの、その声にも配慮しないといけません。
ところが、現実問題、僕なんかが地元へ帰りますと、民主党の方々が道路財源でできている道路の開通式に来られて、万歳というか、やっているわけですね。これは一体どうなのかなと。それで、僕はもうそのときにあえて、本当に失礼なんですが、来られている先生に言うわけですよ。先生、あなたはこの道路財源を反対しているんじゃないんですかと。いや、西田さん、地元の方は賛成ですよと、こう言うわけね。
前も委員と議論をしたかもしれませんが、私は何もフランス万歳というつもりは全くないのですが、十数年あるいは二十数年の間に、フランスの農業経営体の数がたしか三分の一になり、経営規模は三倍になりましたと。
ですから、委員御指摘のように、未解明の部分がある、その理由はかくかくしかじかということで今局長から御説明をしたとおりですが、委員がおっしゃるように、全容を解明した、どうだと、万歳万歳というふうに受け取られかねない書き方でございましたので、これは私の注意が足りませんでした。申し訳ございません。
いよいよ十一月一日ということで、一昨日でしたか、二十九日に「ときわ」が最後の給油活動をパキスタン艦船に行った、こういうことで、そのときに、パキスタンの船の甲板に船員が七十人だか六十人だかが整列されて、「自由のための燃料 ときわ ありがとう」、英語でこういう文字を書かれて、そして万歳までしたとかというニュースも聞いておりますが、いずれにしても、日本に対してパキスタンの方々が非常に感謝の意を表明された、
去年の自民党総裁選挙のときの開票の様子が地元紙に出ておりますが、下関市内で総理の地元後援会約四百八十人がテレビ中継されるその総裁選挙の結果を見守り、選出の映像が流れると、大きな拍手で包まれ、万歳三唱やくす玉割りが行われたと。そして、岡本豊之幹事長の携帯電話には安倍氏から地元の皆さまの御支援に感謝いたしますとのメールが届いたと地元紙は報じております。
そこに何と書いてあったかといいますと、ばあか、いなくなってよかった、万歳、ざまあみろと、こういう大変ひどい寄せ書きをいたしまして、そこに担任を含む先生方もサインをしたという事件であります。結果、この中学二年生は、自殺をするに当たって遺書を残しました。「俺だって、まだ死にたくない。だけど、このままじゃ、「生きジゴク」になっちゃうよ。」
牧理事は、選挙区の近くに小牧基地があって、イラク問題で自衛隊が出発するときに、日の丸の旗は振らなかったようでありますが、見送りに行って、万歳と見送ってくれた。しかし民主党はイラク派遣には反対と、非常に幅の広い政党なんだろうと思います。
背景には自治体の財政難で万歳合併、もうどうしようもないからって、モラルハザードです、一種の。どっかにくっ付いた方がいいやというんで、この苦難をもうだれかに引き取ってもらいたいという。こういう中で今回の合併がざっと進んだということは私は非常に不幸だったと思うんです。一番自分たちの区域は何が最適かということを考えることなく合併してしまったわけです。
テレビの前で万歳してしまいました。本当に、井脇さんがいつもおっしゃっている、教育とは魂の伝承である、ああいう感動を与えることがすばらしいことじゃないかなと思いながらテレビを見ておりました。 御質問にお答えをさせていただきます。 持続可能な社会を築くためには、国民一人一人が環境問題をみずからの問題としてとらえて、環境保全活動に取り組むことが重要であります。
〔万歳、拍手〕 午後七時四分 ————◇————— 出席国務大臣 内閣総理大臣 小泉純一郎君 農林水産大臣 総務大臣 麻生 太郎君 法務大臣 南野知惠子君 外務大臣 町村 信孝君 財務大臣 谷垣 禎一君 文部科学大臣 中山 成彬君 厚生労働大臣
戦争は八月で終わっているわけですけれども、少し、アメリカの顔をうかがいながらソ連が少しずつ少しずつ進んできて、最後に九月半ばになって、戦争が終わって一か月たってから初めてあそこに上陸してきて、万歳、万歳、これは我々の領土だと、こういうふうになってしまったわけで、ソ連人、今のロシア人も、あれは完全に我々の侵略であったということを認めているわけです。
万歳突撃や自決もあったと聞きます。 戦死者は、日本軍約二万人、米軍約七千人。その御遺骨はいまだ四割しか収集されておりません。嵐が過ぎて六十年、約一万三千のみたまが硫黄島でいまださまよっているのであります。天皇陛下が平成六年二月に硫黄島にお出ましくだされ、歌を詠まれています。