1977-05-18 第80回国会 参議院 本会議 第13号
この福田総理の言う「一層の貢献」と申しますのは、沖繩基地群をその重要な拠点としたシーレーン、いわゆる海域分担のうち南西航路帯の哨戒警備は、近い将来防衛庁が恐らくはつなぎ導入するであろう悪名高いロッキードエアクラフト製作P3Cが沖繩基地に配備され、岩国のアメリカ軍P3Bが主として日本海方面を担当し、沖繩に配備されている現用のP2J九機と新たに購入されるP3Cとが南西列局、バシー海峡以北をという、いわゆる
この福田総理の言う「一層の貢献」と申しますのは、沖繩基地群をその重要な拠点としたシーレーン、いわゆる海域分担のうち南西航路帯の哨戒警備は、近い将来防衛庁が恐らくはつなぎ導入するであろう悪名高いロッキードエアクラフト製作P3Cが沖繩基地に配備され、岩国のアメリカ軍P3Bが主として日本海方面を担当し、沖繩に配備されている現用のP2J九機と新たに購入されるP3Cとが南西列局、バシー海峡以北をという、いわゆる
この前の戦争のときに、バシー海峡かなんか、あの辺で非常に沈められた。ですから、まずまずその辺まででいいんだと。一体その先はどうなるかという質問に対して、何にもそれは答えることになっていないわけなんですね。なっていないでしょう。それじゃ、そのあとはアメリカに依存したらいいじゃないか、冗談言っちゃいけない。アメリカにはそれだけの能力がありませんね。
こういった三つの国が連合して手を握って、ひとつ台湾海峡、バシー海峡それからロンボク海峡、こういうところを締め上げてやろうじゃないかと言ってやり出したら一体どうなるのか。私は大臣が北京と交歩を開くために政治生命をかけられたこと、わかります。しかしその陰にあって、私たちはそういう事態が起こらないように懸命な努力をしてきたのです。
あるいは現在の台湾のバシー海峡でありますか、そういったところから北両岸、片方で百マイル、あるいは片方で二、三百マイル、そういったところが実際的であろうというふうに思います。いずれにせよ、特定のマイル数をそこで指定するというのは、必ずしも適当ではないのではないかと考えました。
たまたま、アジアにおけるベトナムの問題があり、あるいは伝えられるところによると、北極海の原子力潜水艦、地中海の原子力潜水艦、これらがバシー海峡ないし日本海に彼我ともに移動した。
○藤田進君 いま、外務大臣のところへ届いている各国の兵力の配備状況、ことにバシー海峡一帯、この日本沿岸あるいは日本海等を含む、一説には、ソ連も原子力潜水艦のもうつとに配置をそれぞれ前線地帯に行なったというし、アメリカまたしかり、今日の花形である原子力潜水艦、かつ、これは原子砲を持った威力のきわめて大きい隠密性のあるこういうものの動き、あるいは中国は北ベトナム国境地帯に大挙兵力を集結しているというようなこともあるわけですが
そうしてバシー海峡に、沖繩に、現在いまだ帰らないところの白骨が累々としてある。この一切の根源というものは、実はこのような粗製乱造の教育にあったということを、私は痛烈に感じておる、(拍手)忘れることはできない。少くとも、戦後の教員組合運動が、このようなものを絶対しないという立場から始まったことは、言うまでもないと思う。ところが、このようなすし詰め学級の解消の問題は、実は大へん金がかかります。
この船はこう来て、バシー海峡を通過いたしますけれども、まっすぐ日本に行かないで一度南へ下りまして、このスケールはこれのちょうど二倍になっておりますから、この大きさをここへ持って参りますと、台風の大きさはこうなります。台風の外側をずっと回りながら、台風が通過したあと北へ上るわけであります。それからここに赤い船があります。この赤い船は東邦海運の利根川丸であります。七千トン。
もちろんフイリピンでは、スペインとアメリカの条約をつくりましたときに、バシー海峡を境にして島嶼の帰属をきめたというような関係があつて、一部にはこの公海に対して誤解した考えが行われておるようにも存じまするけれども、第三海洋丸に関する限り、公海自由の原則とは直接関係がないものと私ども了解をいたしております。
硫黄島のみか、南洋の島々、磯の崎々、バシー海峡、沖縄その他あらゆる太平洋の海域から、これらの声が未だに聞えて来るのであります。広島、長崎の惨禍については、もはや私はここで多く繰返す必要はない。我々の愛する同胞が、その夫が、息子が、弟が、兄が、これら肉身の悲憤にも似た悔恨の情を持たない日本人が果して今日一人でもあるであろうか。
このような遺書を私に残しまして、彼はバシー海峡の海底に八つて今日帰つて来ない。私たちの多くの同僚の女教師たちにはこのような数々の愛する教え子たちをあの戰争で失いました。又私たちの先輩の婦人たちも多くの自分たちの子供をあの戰争の中に失つた。そうしてここに何を得たか、これは一つの政治への目覚めであつたと思う。