2014-07-15 第186回国会 参議院 予算委員会 閉会後第1号
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 言わば、今、小池委員が言われたように、それは、サマワにおいてはこれは復興支援活動でありまして、言わば後方支援とは別の活動ではありますが、その中においても自衛隊の皆さんはそうした危険の中に身を置きながら日本国を代表して立派に仕事を完遂していただいたと、このように思っております。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 言わば、今、小池委員が言われたように、それは、サマワにおいてはこれは復興支援活動でありまして、言わば後方支援とは別の活動ではありますが、その中においても自衛隊の皆さんはそうした危険の中に身を置きながら日本国を代表して立派に仕事を完遂していただいたと、このように思っております。
陸上自衛隊は、サマワの宿営地を高さ三メートルの土塁で囲み、宿泊施設をコンクリート壁と鉄板で固めるなど、要塞化しました。 それでも、ここに示しましたように、二年半の派遣期間にこれだけの攻撃があったことを防衛省は認めております。攻撃回数十四回に及びます。迫撃砲弾やロケット弾など二十三発に上ります。うち四回、四発のロケット弾は宿営地の敷地内に落下をして、コンテナを貫通したこともございます。
ですから、例えば、イラクの例でいえば、イラク特措法のもとで自衛隊はサマワに出ました。しかし、この考え方、新しい考え方に基づけば、場合によっては、戦闘行為が行われていなければ、ファルージャにだってバグダッドにだって、その町中にだって行くということですよね。ですから当然リスクは高まるんですよ。
○安倍内閣総理大臣 まず、サマワでの活動は、これは後方支援ではなくて復興支援であるということは改めて申し上げておきたい、このように思います。その中において、安全確保がなされているということで、サマワに行ったわけであります。
例えばイラク戦争とアフガニスタンの戦争も、実際はサマワでとまった。これは、憲法九条のもとで非戦闘地域と戦闘地域というこの分け方をしたから、サマワでとまったんです。それを、戦闘地域まで行ったらどうなるか。イラク戦争の場合ですと、二〇〇三年の三月に始まって二〇一一年の十二月まで戦争しているんですよ。
○石川博崇君 私自身、個人的なことで恐縮ですけれども、二〇〇四年から二〇〇五年にかけて、イラクのサマワにおいて陸上自衛隊の駐屯地で勤務をさせていただきました。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) イラクのサマワに派遣した例は、これは戦闘行動に参加することを目的に参加したのではなくて、既に戦闘が終わった段階においてイラクの国の再建に協力をしたということでございます。
そして、その後のサマワにも、これは復興活動ということになるかもしれませんが、現に行っているわけであります。 同時に、このアフガニスタンについて言えば、アメリカからは、我が国が持っておりますCH47をアフガニスタン本土に派遣して、負傷をした兵隊の輸送をしてほしいといったような要請もあったわけであります。
日本が自衛隊を出したのは、戦闘が終わった後の、いわばイラクという国の再構築のためにサマワに自衛隊を派遣したわけでございまして、戦闘行動に参加をしたわけではありませんし、そして、そもそも、先ほど私が申し上げましたように、安保法制懇で出された二つの案のうち、我々は、今のケース、イラク戦争のようなケースには参加しません、いわば武力行使を目的とした戦闘には参加しませんということは明確に申し上げたとおりでございます
私が二〇〇三年にイラクに行っていたときに、当時、陸上自衛隊がサマワに入ったときに、事前に、自衛隊が来る数カ月前に私は行っていたんですけれども、そのときに現地の部族の人たちと話をしたときに、日本の自衛隊はヤバーニの国だからしっかり俺たちが守ってやる、自衛隊を現地の人たちが守ってやるとおっしゃっていました。
私が数えましたら、サマワから陸自が撤退した二〇〇六年七月以降は米兵は六三・二%に上るんですね。 空自は物資も輸送しております。そのうち、拳銃、小銃、機関銃などの武器は延べ何丁運んだのか。また、輸送物資総量のうち軍事物資の量と占める割合はどれだけですか。
そこで、実は民主党としては、前回の国会でもそうでしたけれども、まずは自衛隊が出ているようなところ、PKOや国緊とかそういったところでしっかりとその経験を積んで、そして数年でも結構です、その後にそのほかの地域に行かせる方が、自衛隊にとってもそして実際に自衛隊に命を預ける邦人にとってもいいのではないか、そして、このやり方ならば、以前サマワの話がございました、記者を運んだ件ですね、そういった件もカバーできるのではないか
例えば、イラク特措法の議論であれば、自衛隊が出ておりましたサマワの地域は、あれは戦闘地域なのかどうかとか、あるいはバグダッドの上空は戦闘地域なのかどうかとか、そんな議論をしていたような記憶がございます。
○柳澤参考人 私は、この問題について、かねてから私の個人的な見解として申し上げておりますのは、第一次安倍政権で同じようなテーマが俎上に上がったわけでありますが、あのときはちょうど、自衛隊はサマワからは撤退しておりましたけれども、引き続き航空自衛隊がイラクに派遣されておりました。
実は、今月の一日から、私どもの同僚でございます石川博崇参議院議員、外務省に勤務されて、シリアに五年間、イラクのサマワに一年半おいでになったアラビア語と中東の専門家でございますけれども、党として派遣をいたしまして、シリアには入れませんけれども、ヨルダン、またイラクに行って、その難民の状況とか、あるいはどうしたらこの解決を図っていけるのか、こういうようなことで派遣をして、この間、党への報告をしていただいたところでございます
○小野寺国務大臣 意気込みというような内容では多分ないんだと思いますが、いずれにしても、今回、アルジェリアの事案、今委員が御指摘ありましたその事案の発生した後、その検証をするさまざまな議論の中で、やはり御指摘がありました、自衛隊の輸送可能なところが空と海だけであって、陸路ができないということ、それから、従前、これは自衛隊で経験した内容でありますが、サマワの自衛隊の基地から飛行場まで輸送しなければいけない
ちょっと具体的に伺いますが、一九九四年に自衛隊による在外邦人等の輸送を可能とする法改正が行われて以降、これまでに実際に輸送が行われたのは、今回のアルジェリア人質事件を除けば、二〇〇四年四月に、イラクのサマワからクウェートまで報道関係者を輸送した事例があるのみであります。先ほど防衛大臣も触れておられました。
自衛隊はサマワに行って頑張られたと思いますよ。でも、あれが撤退してからもずっとやっている人たちがいっぱいいてるんです。 一方、これは「職業は武装解除」という本で、三十六歳の瀬谷ルミ子さんという方がお書きになって、彼女は、プロフェッショナルなんだけれども、武装解除専門なんです。
私も現地に行っていましたけれども、サマワの宿泊地で、警備のために、ヤマハのヘリ型UAV、現状使っているFFOSより小型化したものが使われていたと思うんですね。このときは、砂漠という環境にかかわらず、高い稼働率を実現しています。この事実は間違いないですか。一機は事故で消失していると思いますけれども、いかがですか。
日本がサマワに復興支援をやったとはいえ、一方で、航空自衛隊は、米軍の兵士もバグダッドに運んでいたわけであります。占領軍の一員として日本政府がイラクで活動した、この問題については極めて重要だということを私は申し上げておきたいと思います。 ただ、去年の民主党政権のイラク戦争に関する検証結果、「イラクに大量破壊兵器が存在しないことを証明する情報を外務省が得ていたとは確認できなかった。」
その後、数カ月後に、サマワに自衛隊が初めて足を踏み入れるということがございました。そういった紛争地での弾が飛び交う現地の緊張感は、私自身、本当に肌で感じてきました。
三点目については、代表的なものとしての湾岸戦争時の議論を経て、カンボジアPKO派遣、そしてイラク戦争時におけるサマワへの特措法に基づく自衛隊派遣です。 前者は、紛争終了後に再燃しないようにとの意図を持って当たる平和的行為として、後者は、あくまで後方からの人道的支援として位置づけられ、正当なものとされてきました。
我々も、イラク派遣中は、自爆テロ等もサマワでありましたから活動時には武器弾薬を携行していました。シリアの派遣隊員、現在も自爆テロが発生したダマスカス、あるいはザバダニに任務で出かけています。武器弾薬の携行はどうなっていますか。
外務大臣から、外国における災害、騒乱、その他の緊急事態に際して、生命または身体の保護を要する邦人等の輸送の依頼がありましたのは、平成十六年四月に、サマワにおいて日本人を含む外国人の拘束事件が多発する状況の中で、イラクからクウェートまで、C130Hにより邦人十名を輸送したことがございます。
オーストラリアの関係は、私も相馬ケ原の部隊に参りましたときに、サマワで御一緒をして、そしてまた大変オーストラリアから高い評価を日本の自衛隊はいただいたと、こういう報告を以前受けたところでございますし、ますますオーストラリアとの防衛協力というのは大事になってきておるところでありますので、是非この法案を成立を図って、この2プラス2の会議もできるだけ早く行いたいということでございますので、御理解をいただきたいと