1986-03-20 第104回国会 参議院 文教委員会 第2号
単なるからかいと受けとめるのかどうなのか。何かその辺のところが私にとっては非常にまだあいまいもことしておって、ここから上はいじめでここから下はいじめではないというような基準はどうしてもつくりにくいような感じがしますけれども、ただ一つだけ言えることは、昔は兄弟が多くおりましたから、御家庭の中でも切磋琢磨する機会はあった。
単なるからかいと受けとめるのかどうなのか。何かその辺のところが私にとっては非常にまだあいまいもことしておって、ここから上はいじめでここから下はいじめではないというような基準はどうしてもつくりにくいような感じがしますけれども、ただ一つだけ言えることは、昔は兄弟が多くおりましたから、御家庭の中でも切磋琢磨する機会はあった。
しかも、その養子という文字がつくことによって、いろいろ御意見はございましょうけれども、養子に対するやゆとか批判とかからかい言葉というのがたくさんございますわね。これはもう江戸時代からずっとあります。いまだにあります。そうしますと、本日の委員会でも問題にされておりますけれども、いじめなんという問題はそこからも出てきますわな、あいつは養子だという言葉一つで、それから大きな会社へ参ります。
それから、繰り返さないために、やはりマスコミのからかい半分の報道じゃないと思うんですが、心配しているからああいう見出しになるんで、「幾十億円の無駄使い」とか、「大空に消えた幾十億円」というのは決してやゆ的ではないと思う。かみしめねばならぬと思います。繰り返したくないために、繰り返さないための技術的なチェックポイントは何かということが一つ。
先ほども田中委員のほうからお話に出ましたけれども、きのう京都から代表が京都の水道の水持ってきて、ほんとうは議員さんに飲んでもらおうと思ってきたけれども、飲んでもらおうとは言わぬけれどもにおいだけかいでみてくれ、私は鼻が全然悪いものですから私にかがせても何にもならぬわけですけれども、しかし、まあ自信持ってくさいからかいでみてくれと言っているのだからうそじゃないと思いますよ、そういうふうな状態になっている
これは完全にからかいですよ、ある意味においては。あんなおそい飛行機にF86Fが何で五分間もついて写真をとる必要があるんですか。しかも百五十フィートですよ。これはスピードをおそくするために全部着陸態勢をとって、そうして一緒に並行していって、しかも、この航空大の飛行機の直前を横切って、今度は左側の写真をとる。その間、一機がうしろから監視をしている。これはスクランブルの態勢ですね。
きな目で、日本の経済が輸出停滞その他に基づいて、せっかく底入れしかけたのにまたこれが延びそうだということでありますので、先刻来ずっと御答弁いただいておりますように財政主導型でどんどん公債を発行し、そうしてその金を公共投資、特にこれまでと違った意味での社会福祉あるいは生活関連施設に投入いたしまして、欧州その他の国国から、日本はフローの国ではあるがストックの国ではないじゃないか、こういうふうな批判なりからかいを
こういうからかい的な、やゆ的なことばを吐いたということが伝えられております。 それからもう一つ、先ほど川島局長は、捜査に協力しないというお話でありましたが、麹町警察署長が、現場検証を求めたわが党本部の職員の要請に応じて二階に上がろうとしましたときに、その署員の一人が、用があれば署へ来いと言って、上がろうとする署長を引っぱりとめたという事実があります。これは報告がいっているのか。
しかしながら、新聞などでは、どろぼうを見てなわをなうなどとからかいを受けましたけれども、しかしいまこれをとやかく言いましてももとの姿にならぬわけでございますので、大体来週早々に中央防災会議を開いていただこうと私要求いたしまして、その席までには大州科学消防の要綱を提示いたしまして、本筋の御了解を得ますとともに、なお次の国会にはその意味の大幅な改正法の審議をいただく、もちろん現在の科学知識の粋を集めて検討
予防的の措置を講じなければ、流血の惨が起こってからかいにばたばたしてもあとの祭りです。だから私はきょうは特に、こういう状態でございますのであなた方に御警告の意味で御質問をしておるわけです。 それからもう一つ重大な問題が起こっております。それはこういう資本家側の態度というものは連鎖反応を他の資本家に起こしております。
○山田節男君 私の今お聞きしている点は、これは吉田総理が国会に行けば猿は幾らでもいると言つた、これは私は吉田総理としては一つのユーモアだと言うかも知れないが、併しこれは明らかにユーモアであるというよりも、やはりこれはからかいであり、自分の面上に陣するものだと思う。
教育の育成はその簡單に毎年方針をかえて養成し得る問題でないというように私ども考えております、そういう点からいつて、こういう定員の問題を去年と今年とかえる、また來年もどうなるかわからかいという状態に置くようなやり方は、決して教育を重要視するゆえんではないと考えるわけであります。