1969-07-03 第61回国会 参議院 農林水産委員会 第28号
また昭和四十年において六十歳以上の経営主の農家が百六十万戸ぐらいあるわけでございますが、その中で相当多くの農家があと継ぎがいない、あるいはあと継ぎがいるけれども兼業を主にしているという、そういう農家があるわけです。
また昭和四十年において六十歳以上の経営主の農家が百六十万戸ぐらいあるわけでございますが、その中で相当多くの農家があと継ぎがいない、あるいはあと継ぎがいるけれども兼業を主にしているという、そういう農家があるわけです。
あと継ぎがよそにおる人たち、息子さんが都会へ出ておるような場合には、結局いままでの法律によると、村へ帰らないと不在地主になるわけですね。だから、そういう場合には経営規模の拡大が、それをチャンスにしてできる、こういう見通しと希望を政府は持っておったはずだ。
こういうふうなことであれば、すでに漁村の若い人はあと継ぎになる意思がなくなっている。これをこのまま推移していきますと、あとでは、金を貸すといっても借りる人もなくなる、魚がおってもとる人もなくなる、これははっきりしているわけであります。今日突如としてこういう現象があらわれたのではなく、長く漁業政策というものを投げやりにした結果が、こういうふうなことになってあらわれているのであります。
それから農家戸数のほうも、最近の実績に照らしまして農家戸数の減る率を出しまして、それに基づき、また相当年輩の農家であと継ぎが農業に従事していないという場合が相当多いわけでございますから、そのうちのある部分が農業から離脱するという、そういう前提を立てまして昭和五十二年に農家戸数は四百五十万程度になるであろうという、そういう想定をいたしたわけでございます。
時間がございませんから、これを伺っておしまいにしたいと思いますけれども、やっぱりおかあさんたち、こう言ったんですよ、今度通学路というのが解けちゃうというのは、小笠原さん、猿投町みたいな大きな新聞をにぎわすのがなかったから、だから解消されたのではないか、こういう不安を持っていらっしゃった方もあるわけなんで、どうしても、いろいろありましょうけれども、まず私たちの未来をになってくれる、民族のあと継ぎの子供
そこはやはり陛下に対する御進講の担当者の人格の反映というものが陛下の天分にプラスしたものである、かように思っているのですが、やはり今後象徴天皇となられる皇太子並びに皇太孫、浩宮さんたちの教育に対しても、私は重要国事事項を御担当される御地位にある象徴天皇のあと継ぎになられるような方に対する御教育というものについても、宮内庁はいまの王道を、仁の道を、仁、義、礼、智、信、人倫五常の道をお教えになる、四書五経
やはり農家のあと継ぎが農村を見捨てていくという条件の中には、農業経営がおもしろくないということもありますが、農村が、青年が求める文化的な欲求に対してこたえるものを持っておらないというような点も私はあると思うのです。
ただしかし、そこの二十歳前後の長男があと継ぎになってやっているんですけれども、今度の八幡、富士の合併について非常に不安感を持ってきた。いままでの取引の価格が高いのか安いのか実はわからない。安定はしているけれども、他の物価に比較して高いか安いかどうもわからない。そこで、どうも合併によって高くなるんじゃなかろうか、こういう素朴な感じ方を披露しました。
また、藤原重徳さんは、七十歳の祖母、母は四十五歳、三男が十七歳でいま高校二年に在学中でございまして、これも兄貴が家督を継ぎ、国鉄の臨時雇いとして農業のあと継ぎをするので、他へ進学あるいは就職をする希望を持っておりましたが、農業を営みたいというので、いま説得をしておると遺族の方々が言っております。お父さんは、これはすでになくなっておりまして、これも何かの事故でなくなられたと聞いております。
そこで、大平さんは池田さんのあと継ぎ、こういわれておるのであります。そういう立場から率直に、池田内閣時代における高度成長経済政策に対する何が功であり、何が罪であったか、こういうシビアーな批判と反省をひとつこの際お聞かせいただきたいと思います。
といろいろな問題が出てくる、それは経済の領域における問題と社会問題としての提起といろいろあると思うのでありますが、高度成長の陰には必ずそういう熱が出るのだ、そういうタイムラグができるのだ、あるいはひずみができるのだということになれば、私は一つの国の政策としては、そういう面に対する社会政策的な手が伸びなければならない、それがこの人間開発という一つの問題提起でないかと思うのでありますが、通産大臣は池田さんのあと継ぎ
したがって、平均給与は高いけれどもあと継ぎが思わしく出てこないということは当然だと思うわけであります。教えていただいたところによりますと、一般官庁は三十八・三歳なのに気象庁のほうは三十八・七歳だということで、わずかに〇・四歳しか違っておりません。
青森県はこの問題について独自の調査をしておりまして、出かせぎ専業世帯が二七%に及ぶこと、出かせぎ農林業者は五五%を占めること、出かせぎ者の七八%が世帯主またはあと継ぎであること、新規出かせぎが一七%に及び、出かせぎ者は平均五年ぐらいで更新していると推定されることなどを明らかにしております。両県とも、昭和三十五年ごろから四十年ごろまで出かせぎが急増し、以後おおむね横ばいとなっております。
それまでは子供のあと継ぎもはっきり農業やることにきまっておった。そういうふうな一つの計画に基づいて削減されていく、そこに未来の家庭に希望を失っていくような家庭もあっちこっちに聞いておりますし、また私たちのだれもが身近かに知っておりますあの成田周辺等静かな農村が、一挙に大都市に変わってくるということで、これはまたいろいろな焦躁の問題が、御存じの全学連のあの紛争等にも変わってきているんじゃないか。
つまり、われわれのいいあと継ぎをつくっていくという共通の目標はみんなあると私は思うのであります。そこで、お互いに協力し合っていくということが何よりも望ましいことだと思っておるのであります。したがって、いろいろな面においてあるいは対立するとか抗争するとかいうような姿は決して好ましい姿とは思っておりませんがただ、不幸にして今日までの経過から申しますと、なかなかそのようになっていない。
しかし男系の男子となっておりましても、たとえば、ちょうどあと継ぎされる方が非常に小さいとかいうような特別の事情があった場合に、臨時に女子の方がなっておられますが、ずっと見ますと男系の女子、ある天皇さんのお子さんとかその系統の方が皇后さんになっておられたり、あるいはまたいろいろそういう関係の方が継いでおられる場合がある、これが例になっております。それで男系という点は動いておらないわけです。
私が知っている古来の名門、歴史と伝統を持つすばらしい名門の育ちに非常におもしろいあと継ぎがおりまして、どんどん売りさばいて何にもないようにしているのを私は何軒も知っておるのです。いま維新百年を記念して資料を収集しようと思ってやっておるのに、全然なくなっている。この間から当たってみると、維新の功臣が持っていたというものが全然ない、こういう家もある。
私は、今度の事件をめぐって、頭脳明晰な福田幹事長も、これはちょっとしくじったという感を深くしておりまして、これでは、佐藤さんのあと継ぎになることに、国際情勢を誤った。と申しますのは、日本は海の国でありまして、貿易と船に依存している国でございます。貿易を人体にたとえますと、吐く息は輸出、吸う息は輸入、呼吸なくしては日本は存在しません。
この文句は特定郵便局の人事について、しかもこのとき主要な部分としてなっておったのは、もう一回たらい回しされるのじゃないか、小山八州というのが三十歳になったら、必ずこれはたらい回し人事で局長任用の人事の対象になって、必ずあと継ぎに武石の局長になるのじゃないか、こういうことが主要な部分になっておりまして、そうして、そのことも含めて問題の解決に当たったことは事実なんです。
これを補うためには、一方においてはできるだけ近代化して、そして労力の節約をはからなければなりませんが、もう一方においては、ああいうりっぱな美しい天然資源を相手にして働いておられる山村のあと継ぎたちが、誇りを持ち、楽しみを持って父祖代々の仕事に従事してもらうようにしむけていくということは、いろいろな意味において私は国家として非常に大事だと思います。
もう一つの傾向は、やはりいわゆる社会保障的な考え方で、ことにいまのように置かれた農村のあと継ぎが永続して農業を守っていただくために、年金的な気持ちでやっておるものもあります。
もう一つ、そういう長期的な政策と並んで、価格政策が大事であることはもちろん申すまでもありませんが、私は、農業を守っていただく若人たち、あと継ぎの人たちの話を聞いても、両方が大事だということは考えております。しかし、政策面について非常にウエートを置いてわれわれが努力しなければならないのが、農政ではないか、こう思っております。
このことは全く同感でありまして、私ども農林省におきましても、生産対策や価格対策を整備いたすと同時に、やはり農村のあと継ぎをなさる若者たちの近代的生活環境を整備するということが非常に必要であります。四十二年度予算におきましても、後継者育成資金の金額を非常にふやしたばかりでありません。