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487件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2004-05-18 第159回国会 衆議院 決算行政監視委員会第一分科会 第2号

その一次産業の林業は、エネルギー革命で、薪炭木炭需要壊滅木材業輸入材に押され、需給率が二割を切り、ほとんど業として成り立たなくなりました。水産業も、世界先進国だったのが、近年、韓、中ほか、アジア諸国からの輸入増大で、自給率五三%、年を追うごとに厳しさを増し、若者から見限られ、高齢化率もどんどん上がっています。

谷川弥一

2004-04-13 第159回国会 衆議院 環境委員会 第7号

私は、資源のない国日本において、これだけの海岸線を持つ国であるわけでございまして、風というのは資源であるという考え方を今後していきたいなと思っている一人でございまして、風力発電というのは、先ほど環境革命とおっしゃったエネルギー革命にもつながるかもしれません。このあたりのところ、御視察をなさってどう思われたか、御見識を賜れればと。

伴野豊

2003-04-23 第156回国会 参議院 金融問題及び経済活性化に関する特別委員会 第2号

私はこれからやらなきゃいけないのはエネルギー革命だと思っていまして、そのエネルギー革命というのは、やはり水素を使った燃料電池だと思うんです。  その燃料電池ただ車だけ走る社会かというと、そうではありませんで、例えば携帯電話なんかはカートリッジ式になるんだそうですから、あれになると一か月充電しないで済むぐらいになるんだそうですね

櫻井充

2002-07-17 第154回国会 参議院 総務委員会 第21号

ただ、皆様御承知のとおり、戦後のエネルギー革命それから当時はゴールデンシックスティーズとかいって非常にもてはやされたんですけれども、国の経済高度成長ということで若者がどんどんどんどん都会に出てしまって、過疎化が始まりました。  ただ、そうした中で、昭和五十六年ですけれども、村の再生を懸けてということで、第三セクター名田庄商会を設立しました。特産品の開発とか市場の開拓が目的でございます。

下中昭治

2001-12-03 第153回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第2号

そこで、今日まで多くの炭鉱が、あるときには坑内火災爆発事故、そしてまたあるときには日本エネルギー革命の中で、閉山を余儀なくされた。七百から八百とも言われております炭鉱が、今、北海道と長崎池島だけになって、そして池島閉山に追い込まれた。しかし、最後まで、そこまで生き延びてきたこの二つの炭鉱、この炭鉱についてどんなに評価をされておるのか、大臣の御所見を賜っておきたい。

高木義明

2001-12-03 第153回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第2号

しかしながら、昭和三十年代以降のエネルギー革命を背景に閉山が相次ぎまして、平成九年三月の三池炭鉱閉山後、御指摘のように、九州唯一炭鉱でありました池島炭鉱閉山によりまして、百三十年の長きにわたった九州における石炭産業の幕が閉じる、大変残念なことに相なったわけでございます。  

平沼赳夫

2001-10-18 第153回国会 衆議院 本会議 第7号

しかも、私自身、エネルギー革命により破壊的な打撃を受け、地域経済復興が最も困難な状況にあった旧産炭地、筑豊でありましたので、諸先輩とともに真正直に政治の在り方を勉強させていただきました。   私が育った時代は、世界恐慌による不況と治安維持法の猛威、国家主義の台頭、その結果、一九四五年八月十五日の敗戦直後、九月の卒業式に参加できたのは五十名中七名でした。   

綿貫民輔

2000-05-17 第147回国会 参議院 本会議 第25号

過去、石炭から石油へのエネルギー革命が起こったように、原子力も将来また新しい技術に取ってかわられることも十分予測されます。  しかし、エネルギーを考える視点は、いかに安い価格で、そして十分な量をいかに確保し、しかもいかに環境に優しいかということが極めて重要であり、情緒的な議論は本来成り立ち得ません。  

足立良平

2000-05-09 第147回国会 衆議院 法務委員会 第18号

もちろん、これまでの日本では、繊維革命と言われました化繊、いわゆる化学繊維大量生産システムが、木綿、絹から変化をしたということ、それから石炭から石油にかわったエネルギー革命あるいは製造業における生産設備大型化オートメーション化など、これまでも日本産業企業におきましては幾度かにわたって大きないわゆる企業革命というものが、あるいは企業構造改善というものが行われたわけでございまして、これまでのところ

松浦清春

2000-03-23 第147回国会 参議院 経済・産業委員会 第6号

それがエネルギー革命によってだんだんと縮小せざるを得なくなった。実は私が昭和五十年、福岡県議会に初めて当選をさせていただいたとき、今日でもしかりでございますが、やはり県政におきます最大課題産炭地対策ということであったわけでございます。  産炭地をめぐりますと、ボタ山の姿、それから炭住ですね、炭鉱に働く方々がずっと長屋に住んでおられた。

吉村剛太郎

1999-05-26 第145回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第5号

さて、本町池島炭鉱は、石炭から石油へのエネルギー革命による相次ぐ国内炭鉱閉山、急激な為替の円高等、日本経済社会の激変の中で、幾多の困難にも耐え、今や九州で唯一残る、海上を基地とした炭鉱であります。また、海上ボーリング物理探査等の結果、西彼杵炭田には、今後操業を継続することが十分可能な埋蔵量があるとされているところであります。  

山道幸雄

1999-03-17 第145回国会 参議院 本会議 第9号

また、一九六〇年代のいわゆるエネルギー革命時代我が国は大変な努力をして石炭産業合理化を進めながら、エネルギー供給中心石炭から石油へと転換していったのであります。三次にわたる石炭対策だけでもおよそ二千八百億円、今年度予算に換算いたしますと三兆円という膨大な予算をつぎ込んだのであります。  政府は、産業構造変化とその未来展望のもと、大胆にその予算を振り分ける勇気を持たなければなりません。

山本正和

1998-10-01 第143回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第3号

ですが、昭和三十年代のころから本格化いたしましたエネルギー革命に伴いまして、国内炭需要の減少により、石炭鉱業は相次いで合理化閉山が進められてまいりました。国内最大炭鉱でありました三井三池炭鉱が昨年三月に閉山を余儀なくされまして、国内坑内堀炭鉱は、太平洋炭鉱長崎池島炭鉱の二鉱を残すのみとなったのであります。通産大臣も御承知のとおりであろうかと存じます。  

吉川貴盛

1997-12-09 第141回国会 参議院 労働委員会 第3号

ですから、ビッグバンでもう大変な大失業が起こってこれから大ごとになるから政府はその対策委員会を立ててというと、これは市場に対する影響がどういうことになるんだろうか、その結果がかえって悪いことになるんじゃないかということを実は私は考えたり、あるいは北拓や山一の方々を含めて、かつてのエネルギー革命のときの石炭関係雇用対策本部のようなものをつくった方がいいのかなと考えたり、非常に悩ましい御質問だとお答えしたのは

伊吹文明

1997-06-12 第140回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第5号

これについてはもう生田参考人が先ほど申されましたので、私はそのことは簡単にいたしますが、まず、(1)のところを見ていただきますと、生田参考人が言われたのは、私の整理でいえば、エネルギー革命視点であります。  エネルギー革命とは何かというと、人類の主要エネルギー源転換でございまして、先ほど既にお話がありましたように、第一次エネルギー革命というのは再生産可能な薪炭から石炭への転換が起こった。

深海博明

1997-06-12 第140回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第5号

それから、私が申し上げたのは事実としての話でございまして、第二次エネルギー革命というような形で、石炭がなくなったわけではないのだけれども、いわば質的な意味で、流体エネルギーで、固体エネルギーと比べればハンドリングだとか、あるいは石炭は燃やすと灰が出るけれども全然出ないとか、いろいろな意味での優位性と、それから価格的な要素、先ほどの話にもありましたように、例えばメジャーズが意図的に安くしたからだとかいろいろな

深海博明

1997-06-12 第140回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第5号

いただきましたレジュメの〔Ⅱ〕の(1)の②、③のところに第二次エネルギー革命第三次エネルギー革命とございまして、そして第二次エネルギー革命のところで、石炭から石油流体革命とございます。確かにこの時期、そうでした。  私、先ほどこのレジュメを拝見していて、一九六二年に石炭鉱業調査団、団長は有沢広巳先生でしたが、「石炭が重油に対抗できないということは今や決定的である。」

児玉健次