1999-02-16 第145回国会 衆議院 予算委員会 第14号
かつては、米英鬼畜であるとか、撃ちてしやまんとか、東洋平和のためならば何で命が惜しかろうとか、そういう中で、気違いじみた日本国民の動きが実はございました。
かつては、米英鬼畜であるとか、撃ちてしやまんとか、東洋平和のためならば何で命が惜しかろうとか、そういう中で、気違いじみた日本国民の動きが実はございました。
それは、例えば日本が戦争時代に鬼畜米英と言っていたと同じように、アメリカも対日キャンペーンで、日本人なんというのは人間じゃないというようなネガティブキャンペーンをやっていたことが母親の世代から埋め込まれて伝わっているというような部分もあるわけですけれども、戦後になって日本が経済というところにだけ比重を置いて国づくりをしてきた。
加害者なんというのは私は鬼畜に等しいと思っている。そのプライバシーを何で保護する必要があるのか。 私は、そこが、やはりさっきのもとと末という論議と同じですけれども、加害者である総会屋の方よりも、むしろ半ば被害者とも言うべき総務部の連中、彼らは一生懸命会社を守ろうとやったわけですよ。いいとは言いませんよ。しかし、そういうことを考えないで、渡す者と取る者と全く同じだ。今になって初めて威迫を加える。
仮想敵国のことをいえば、かつて鬼畜米英ということや中国ということの中で、いわゆる恐怖心を呼び起こすことは、私は恐怖政治につながるのじゃないかという思いをしております。
今新聞等報道機関によりますオウム真理教の問題でありますが、悩める人を救うのが宗教の使命であると私は思うのでありますが、悪逆無道で残虐無比、極悪非道、悪鬼の行状、悪行三昧、鬼畜の振る舞い、もう言語に尽くしても足りない。 この中で、大量交通機関をねらってこのようなサリン事件が起きていることについては、本当に遺憾にたえない。交通網のこういう中で、連休には百万人に影響が出ている。
違いに目を向けておりますと、ちょうど私ども、戦時中に鬼畜米英などと言いまして、アメリカ人、イギリス人は人類の範囲の外にある動物である、こういう発想になっていく。これは、とりもなおさず人種主義に基づいたナチズムもまさにそうであったし、さればこそ、あの人道に反する人間の大量殺りくなどということを平気でやり得たのは、そこにあったのではないかと思うのであります。
これでは戦前の鬼畜米英と同じことになって、大変情緒的で危険だ」、こういうことを言っている。これはマスコミ批判をしているのですね。小沢さんのはマスコミ批判ですから、ちょっと違うかもしれません。こういうことも言われております。この問題は非常に重要だと私は思います。
私もこのニュースを見ておりましてやっぱり日本も変わってきたな、今まででいえば、あの第二次世界大戦のときでもそうですけれども、鬼畜米英というようなことで、やっぱり日本人という意識が非常に強い中で、弦念さんの当選というのは、僕はいろんなことを示唆しておるのではないか。
日本人を憎み続ける教育はやめてもらわないと戦時中の鬼畜米英の教育と同じだと述べて、韓国の教育に問題があるとの見方を示したという報道があります。 この官房長官の記者会見のコメントと政府筋のコメントとは相通ずるものがあるんですか。同じ内容のものなんですか。それとも内容としては違うんですか。
私も鬼畜米英とののしり、聖戦と称して四年間兵として従軍させられました。戦争の愚かさと悲惨さを身をもって体験しました。」途中を省きますが、「私の小遣いから一万円、家内が生活費から一万円.ここに二万円同封いたします。わずかのものですが、貧者の一灯として活動費の一部に充ててください。」私は非常に感動と責任を覚えました。これは単に私が宣伝しているんじゃないんです。
つまり、今まで鬼畜米英と言っていた先生方が急に米英は民主主義の神様であるというふうに言い出されまして、そこから私は先生は信用しなくなったのでありまして、それで自分が教師をやっているのは非常に矛盾しておりますが、ともかくも十五歳のときの体験が一生を支配する、こういう意見もございます。
私なんかまだ国民学校六年生でしたから、いろいろな体験はいたしましたが、だれしもがああいう状況、鬼畜米英と教え込まれているから、鼻をそがれたり腕を切られたり爪を抜かれたりするよりも、玉砕する、自決をした方がいい、学校教育現場では徹底的にそれしか仕込まれなかったのですからね。そういう中で起きたああいう不幸な悲劇、事件なのです。
アメリカこんちくしょうというので昔の五十年前の鬼畜米英みたいな気持ちになって、反米ナショナリズムというものだけは絶対に起こしてはいかぬ。アメリカも冷静だけれども、日本もやはり同じように冷静に対処しなければえらいことになるという考え方を持っております。 それで畠山さん、あなたはこの間大変御苦労されて、我々がお盆で休んでいる間にアメリカヘ行ってこられました。向こうへ行ってあなたが説明をしてきた。
それはやはり鬼畜米英というありようで、アメリカ、イギリスが世界で非常に理不尽な振る舞いをしておる、このまま許しておいたら我々の生存すらおぼつかなくなるから、若い力を結集してこれに決然と戦っていかなければならないという教育を受けまして、鬼畜米英が何なるものかということも構わずに、ただ愛国心ということではなくて、幼いながら持っていた正義感というものだけでそういうふうに教育されていったのだろうと思うのです
子供というのは物おじいたしませんから、鬼畜にも別に見えませんでしたので、そばへ行って何やら言っているうちに、何となくジャバという言葉が聞こえたので、それじゃジャバにいたのならばオランダかと。その当時ですからLの発言なぞできるはずはありませんし、オランダ、オランダと言ったに違いありませんが、彼らの耳にはどうも母国のことを言われたように聞こえたんでしょう、大変喜んでくれたんです。
あのとき、これはまさに軍服を着た鬼畜ではないのかといったような印象が、どんどん県内に渡っていった。長官も沖縄の身ぐるみ土地闘争、知っておられるかもしれませんが、五十万の動員ということをやりましたが、ほとんどこういったのが原点なんです。 私、聞きたいのは何かといいますと、ヘーグ陸戦条約の中に、もちろん異常な状態でありますが、占領軍は、「私有財産ハ之ヲ没収スルコトヲ得ス」とはっきり書いてある。
これは、我々も実際に、少年時代は鬼畜米英なんということを言われて、やはり人間というのはそういう情報の中で一つの価値観、映像というものができ上がっていくわけですから、これは恐しいことだと思うんですね。そういうものが一体どういう形で米国で使われておるんだろうかなと。
これは戦時中に我々は一方的にしか情報を聞いてなかったもので、鬼畜英米なんて言っていたわけですね。ところが、ふたをあけてみたらとんでもなかったというのと同じで、一方的に何かたばこの害毒ばかり言われて、大丈夫だというふうなデータが全然示されてないんですね。これは脅迫みたいなものでおどかされている。
さすが新聞も「サラ金“鬼畜の取り立て”」という見出しになっているわけであります。
それでも我慢して、鬼畜米英とか言っていた。毎朝学校に行くと、ちりを拾わされて宮城遥拝、束の方向に向かって、天皇陛下は向こうに住んでいるから全部最敬礼です。今度教室に行ったら、天皇の写真が飾ってあるから御真影に向かってまた最敬礼、これが戦前の教育じゃないですか。そういう教育をしたからこそ、日本軍隊は中国大陸や朝鮮やアジア諸国でああいう残虐行為をやったんだ。