1976-10-14 第78回国会 参議院 外務委員会 第2号
○説明員(石山陽君) 告訴状によりますると、ただいま御指摘のように、元韓国駐日公使でありました金在権、あるいは金基完という名前を使っているようでございますが、この方がアメリカのカリフォルニア州ロサンゼルスに在住しているということで告発なされておりますが、現在これらの所在につきましては警察、検察、ただいままでのところではそれをどこにという具体的な確認はできていないというふうに聞いております。
○説明員(石山陽君) 告訴状によりますると、ただいま御指摘のように、元韓国駐日公使でありました金在権、あるいは金基完という名前を使っているようでございますが、この方がアメリカのカリフォルニア州ロサンゼルスに在住しているということで告発なされておりますが、現在これらの所在につきましては警察、検察、ただいままでのところではそれをどこにという具体的な確認はできていないというふうに聞いております。
ところで、あのレイナード氏の証言の中では、東京で直接指揮した駐日公使金在権が、現在本名の金基完でカリフォルニアに居住しておるということも述べております。
(大出委員「駐日公使と在日米軍参謀長になるだろうと思うというわけですね。」と呼ぶ)になるだろうとは思いますけれども、私どもはまだこれはアメリカの意向を聞いたわけではございません。 それから事務局でございますが、これはこのための特別の事務局の設置は考えておりません。外務省のしかるべき課あるいは私どもの方の防衛課あるいは運用課といったところがその事務局の仕事をやるということになるかと思います。
それからメンバーという話がいまありましたが、日本側は、外務省のアメリカ局長、防衛庁の防衛局長、同統幕会議事務局長、米側が、駐日公使、在日米軍参謀長などの方々。それから次に、事務局のほかに必要に応じて作業部会を設置する。そういう構想があるでしょう。そして中身を聞きますが、問題は協議対象ということですね。
まず、事件が起こったときに、現場のグランドパレスホテルにまっ先にかけつけたのが金在権駐日公使だったというふうに言われております。金公使は、現場に残っていた梁一東氏から事情を聴取したけれども、日本の警察への連絡はだいぶおそくなってからで、私服が現場に到着したときはすでに金公使の姿はなかったと言われている。この事実は調査されましたか。
さらに、米国が、返還後においても、沖繩米軍の行動の自由並びに基地機能を維持しようとしていることは、ジョンソン国務次官、スナイダー駐日公使など、米高官の証言で明らかにされております。重大なことは、それが佐藤・ニクソン共同声明に基づいていると証言されていることであります。
○田中(恒)委員 官房長官もアメリカの駐日公使が五月の十二日に来たときに、国内では温州ミカンとの組み合わせで議論が非常に根深いけれども、何もアメリカにこの問題は責任を持たすものではないのだ、日本の国内問題だ、こういうふうなことを言っておる。新聞にも出ております。これは外務省の線に近いので、佐藤さんの線に近いのでありますから、総理大臣の意向、判断がそういうところのように思いますけれどもね。
また、アメリカ側もスナイダー駐日公使がこれを持って二月五日に帰国して、米側との首脳間での最終協議がなされておると聞くのでありますが今日までこの沖縄返還協定並びにその関連法律案についてどういう交渉の経過をたどっておるのか、御説明いただきたいと思うのであります。
○春日正一君 まあ、そういう努力に対して、七月九日の琉球新報を見ると、屋良主席に対してスナイダー駐日公使が、犯罪が起こらないように努力をするということを約束されたという報道も出てますし、それからウェストモーランド参謀総長ですか、あの人は、統計によれば米兵の犯罪の数は逐年減少しておる、この傾向が続くことを期待しているというようなことも言っておるのですけれども、しかし、実際にはふえているのですね。
さらにもう一つは、これは韓国の駐日公使か何かが、非公式か何か知りませんが、言ったということなんですが、もしアメリカの繊維規制が実施せられた場合、韓国に規制が及んだときには、その肩がわりを日本にしてもらいたい、そういうようなことを言ったということが伝えられておりますが、もしそういうことが——公式に来ていないとおっしゃると思いますが、少なくとも韓国はそのような希望を持っておると思いますが、それらをあわせてひとつ
ということは、少なくとも、いまの交渉いかんによっては、それがほかにも及ぶことでもあり、日本が弱腰であったというか、譲歩したから、われわれにも及んできたのだ、こういうようなことを韓国、台湾、香港、そういういわば、失礼ですが、発展途上国というのか、ともかく経済的に日本よりかそこまで来ていない国がそういうことを言ってくるだろう、そのはしりとして韓国の駐日公使がそういうことを言ったのではなかろうか、こういうように
また、三月四日には、バーチャー駐日公使の政府に対する申し入れがありました。それからビッグスリー首脳の来日が近々予想されておる。こういう傾向から考えて、昨年のこの合意書よりもっと早めなければならないというふうな情勢も出てくるかと思います。けれども、通産省としてはどう考えておられるか。あるいはこの時期の見通しについてはどうか、お尋ねしたいと思います。
○佐藤説明員 日米航空協定につきましては、御承知のように本年の八月十日から東京におきまして、わがほうは外務省北米局長、運輸省航空局長を首席代表といたし、米側はバース駐日公使を首席とする代表団を編成いたしまして交渉を継続したわけでございますが、九月二十二日までの間、途中米側代表団の都合による三週間の中断期間をはさみまして交渉が行なわれました。
○大出委員 朝鮮日報の二月四日の内容によりますと、韓日交渉、米の調停表面化ということで、エマーソン駐日公使が駐日代表部を訪問をして、懸案の大綱をともかく今回は妥結をするようにということで、外相会談に先立って日本側にも慫慂してあるからということでの内容が新聞報道されているのでありますが、この事実についても御存じないとおっしゃいますか。
この条約は、昨年九月三十日、自由世界の親玉である米国務省のバンディ国務次官補の、「米国は日韓両国の国交正常化に慎重かつきわめて深い関心を払っており、相談にも乗るし反応を示すこともあるだろう」との東京声明にもあるとおり、米国の要請や、あるいはエマソン駐日公使の活躍で急がれたものと思われるのであります。しかも、このアメリカは、アジアにおいて一つの立場を堅持しているわけであります。
しかも、このためにエマーソン駐日公使はたいへんな活躍をしております。昨年の八月、九月ごろから真剣になって日韓会談、第七次会談の再開を走り回ったし、今日でもそのことを言い、先般、この二日の日には、はっきりと日韓の早期妥結をするようにということを言っていっているじゃないですか。韓国の新聞では、そのことは非常に大きく取り上げられておりますよ。
また、ラスク国務長官、フェルト米太平洋艦隊司令長官またはエマーソン駐日公使等からも、それぞれ深い遺憾の意を表明せられたと聞くのでありますが、このことがはたして事実であるとしますれば、前例の有無にかかわらず、あるいは法規典礼等にとらわれず、これらのあたたかき米国民の意思を代表せられましたジョンソン大統領、ラスク国務長官等々の方々のこのあたたかき心を遺族の方々に対しあるいは被害者に対して伝達せらるるならば
去年の五月二十二日の読売新聞に、安藤アメリカ局長がアメリカの駐日公使と話し合っている、日米文化センターを作ってこの金を財団法人的なものに積み立てておいて、利子でもって運用したいというようなことが報じられている、そういう事実はあったのかということを私が質問したのに対して、安藤政府委員はそういう具体的な問題についてはちっとも入っていません、読売の記事は非公式なものだということで一応否定されましたが、今のお
○鈴木市藏君 五月二十二日ですかの読売に、安藤アメリカ局長ですか、アメリカの駐日公使と話し合っているところを見ると、これで日米文化センターを作るとか、あるいはこの金を財団法人的なものに積み立てておいて、利子でもって運用したいというようなことが報じられておりますが、そういう事実はあったのですか。
チリーとかアルゼンチン、メキシコ、それからイギリスなんかあまりほしくないから、総理はたまたまイギリスに居合わせたからやるんだと、こういう名目で前の駐日公使にやったと、そういう事実があるのですが、これは私は調べればわかると思うのですが、この七十三の勲章を配給したことが閣議というか――閣議としてはしろうとばっかり集まっているのですから、勲章について大して別に権威があるのじゃないから、そういう諮問機関もない
それで新聞紙の報道によりますと、この反響が非常に大きくて、カイロにおいては日本はアラブ連合の盟友だというようなことを言っておりますし、また、当日その発言された日本の駐アラブ連合大使は現地において非常に英雄視されておるというような状況、ところが、逆にイラン、レバノン、イスラエルなどの親西欧派の在日大公使からはいろいろな抗議や問い合せがあったことが新聞紙に出ておりますし、レバノンの駐日公使は「イラク事件
最近二月ほどの間、この空気が多少冷却したのは事実でございますが、これはいろいろ日韓両国をめぐる国際情勢の変化というようなことから多少冷却したのでありますが、その後最近におきましては、たとえば米国大使のいろいろあっせんの努力、あるいはそれに時期を一にいたしまして金駐日公使が帰国いたしまして、いろいろまた本国政府と打ち合すというようなことから、漸次再開の空気が醸成されてきたのではないかとわれわれは観察いたしております