運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
43件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1976-10-14 第78回国会 参議院 外務委員会 第2号

説明員石山陽君) 告訴状によりますると、ただいま御指摘のように、元韓国駐日公使でありました金在権、あるいは金基完という名前を使っているようでございますが、この方がアメリカカリフォルニア州ロサンゼルスに在住しているということで告発なされておりますが、現在これらの所在につきましては警察、検察、ただいままでのところではそれをどこにという具体的な確認はできていないというふうに聞いております。

石山陽

1975-12-16 第76回国会 衆議院 内閣委員会 第10号

大出委員駐日公使在日米軍参謀長になるだろうと思うというわけですね。」と呼ぶ)になるだろうとは思いますけれども、私どもはまだこれはアメリカ意向を聞いたわけではございません。  それから事務局でございますが、これはこのための特別の事務局の設置は考えておりません。外務省のしかるべき課あるいは私どもの方の防衛課あるいは運用課といったところがその事務局の仕事をやるということになるかと思います。  

丸山昂

1975-12-16 第76回国会 衆議院 内閣委員会 第10号

それからメンバーという話がいまありましたが、日本側は、外務省アメリカ局長、防衛庁の防衛局長、同統幕会議事務局長米側が、駐日公使、在日米軍参謀長などの方々。それから次に、事務局のほかに必要に応じて作業部会を設置する。そういう構想があるでしょう。そして中身を聞きますが、問題は協議対象ということですね。

大出俊

1973-08-30 第71回国会 参議院 法務委員会 第19号

まず、事件が起こったときに、現場グランドパレスホテルにまっ先にかけつけたのが金在権駐日公使だったというふうに言われております。金公使は、現場に残っていた梁一東氏から事情を聴取したけれども日本警察への連絡はだいぶおそくなってからで、私服が現場に到着したときはすでに金公使の姿はなかったと言われている。この事実は調査されましたか。  

渡辺武

1971-05-14 第65回国会 衆議院 農林水産委員会 第27号

田中(恒)委員 官房長官アメリカ駐日公使が五月の十二日に来たときに、国内では温州ミカンとの組み合わせで議論が非常に根深いけれども、何もアメリカにこの問題は責任を持たすものではないのだ、日本の国内問題だ、こういうふうなことを言っておる。新聞にも出ております。これは外務省の線に近いので、佐藤さんの線に近いのでありますから、総理大臣意向、判断がそういうところのように思いますけれどもね。

田中恒利

1970-07-13 第63回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 閉会後第2号

春日正一君 まあ、そういう努力に対して、七月九日の琉球新報を見ると、屋良主席に対してスナイダー駐日公使が、犯罪が起こらないように努力をするということを約束されたという報道も出てますし、それからウェストモーランド参謀総長ですか、あの人は、統計によれば米兵の犯罪の数は逐年減少しておる、この傾向が続くことを期待しているというようなことも言っておるのですけれども、しかし、実際にはふえているのですね。

春日正一

1970-03-16 第63回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第3号

さらにもう一つは、これは韓国駐日公使か何かが、非公式か何か知りませんが、言ったということなんですが、もしアメリカ繊維規制が実施せられた場合、韓国規制が及んだときには、その肩がわり日本にしてもらいたい、そういうようなことを言ったということが伝えられておりますが、もしそういうことが——公式に来ていないとおっしゃると思いますが、少なくとも韓国はそのような希望を持っておると思いますが、それらをあわせてひとつ

田中武夫

1970-03-16 第63回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第3号

ということは、少なくとも、いまの交渉いかんによっては、それがほかにも及ぶことでもあり、日本が弱腰であったというか、譲歩したから、われわれにも及んできたのだ、こういうようなことを韓国、台湾、香港、そういういわば、失礼ですが、発展途上国というのか、ともかく経済的に日本よりかそこまで来ていない国がそういうことを言ってくるだろう、そのはしりとして韓国駐日公使がそういうことを言ったのではなかろうか、こういうように

田中武夫

1969-03-22 第61回国会 参議院 予算委員会 第17号

また、三月四日には、バーチャー駐日公使政府に対する申し入れがありました。それからビッグスリー首脳の来日が近々予想されておる。こういう傾向から考えて、昨年のこの合意書よりもっと早めなければならないというふうな情勢も出てくるかと思います。けれども、通産省としてはどう考えておられるか。あるいはこの時期の見通しについてはどうか、お尋ねしたいと思います。

田渕哲也

1965-09-30 第49回国会 衆議院 運輸委員会 第6号

佐藤説明員 日米航空協定につきましては、御承知のように本年の八月十日から東京におきまして、わがほうは外務省北米局長運輸省航空局長を首席代表といたし、米側はバース駐日公使を首席とする代表団を編成いたしまして交渉を継続したわけでございますが、九月二十二日までの間、途中米側代表団の都合による三週間の中断期間をはさみまして交渉が行なわれました。

佐藤光夫

1965-03-25 第48回国会 衆議院 内閣委員会 第21号

大出委員 朝鮮日報の二月四日の内容によりますと、韓日交渉、米の調停表面化ということで、エマーソン駐日公使が駐日代表部を訪問をして、懸案の大綱をともかく今回は妥結をするようにということで、外相会談に先立って日本側にも慫慂してあるからということでの内容新聞報道されているのでありますが、この事実についても御存じないとおっしゃいますか。

大出俊

1965-02-26 第48回国会 衆議院 本会議 第11号

この条約は、昨年九月三十日、自由世界の親玉である米国務省バンディ国務次官補の、「米国日韓両国国交正常化に慎重かつきわめて深い関心を払っており、相談にも乗るし反応を示すこともあるだろう」との東京声明にもあるとおり、米国の要請や、あるいはエマソン駐日公使活躍で急がれたものと思われるのであります。しかも、このアメリカは、アジアにおいて一つの立場を堅持しているわけであります。

大柴滋夫

1965-02-15 第48回国会 衆議院 予算委員会 第12号

しかも、このためにエマーソン駐日公使はたいへんな活躍をしております。昨年の八月、九月ごろから真剣になって日韓会談、第七次会談再開を走り回ったし、今日でもそのことを言い、先般、この二日の日には、はっきりと日韓早期妥結をするようにということを言っていっているじゃないですか。韓国新聞では、そのことは非常に大きく取り上げられておりますよ。

石野久男

1964-04-09 第46回国会 衆議院 本会議 第22号

また、ラスク国務長官フェルト米太平洋艦隊司令長官またはエマーソン駐日公使等からも、それぞれ深い遺憾の意を表明せられたと聞くのでありますが、このことがはたして事実であるとしますれば、前例の有無にかかわらず、あるいは法規典礼等にとらわれず、これらのあたたかき米国民の意思を代表せられましたジョンソン大統領ラスク国務長官等々の方々のこのあたたかき心を遺族の方々に対しあるいは被害者に対して伝達せらるるならば

安藤覺

1963-03-15 第43回国会 参議院 大蔵委員会 第18号

去年の五月二十二日の読売新聞に、安藤アメリカ局長アメリカ駐日公使と話し合っている、日米文化センターを作ってこの金を財団法人的なものに積み立てておいて、利子でもって運用したいというようなことが報じられている、そういう事実はあったのかということを私が質問したのに対して、安藤政府委員はそういう具体的な問題についてはちっとも入っていません、読売の記事は非公式なものだということで一応否定されましたが、今のお

鈴木市藏

1962-08-30 第41回国会 参議院 大蔵委員会 第6号

鈴木市藏君 五月二十二日ですかの読売に、安藤アメリカ局長ですか、アメリカ駐日公使と話し合っているところを見ると、これで日米文化センターを作るとか、あるいはこの金を財団法人的なものに積み立てておいて、利子でもって運用したいというようなことが報じられておりますが、そういう事実はあったのですか。

鈴木市藏

1959-11-30 第33回国会 参議院 外務委員会 第8号

チリーとかアルゼンチン、メキシコ、それからイギリスなんかあまりほしくないから、総理はたまたまイギリスに居合わせたからやるんだと、こういう名目で前の駐日公使にやったと、そういう事実があるのですが、これは私は調べればわかると思うのですが、この七十三の勲章を配給したことが閣議というか――閣議としてはしろうとばっかり集まっているのですから、勲章について大して別に権威があるのじゃないから、そういう諮問機関もない

大和与一

1958-07-31 第29回国会 参議院 外務委員会 閉会後第1号

それで新聞紙報道によりますと、この反響が非常に大きくて、カイロにおいては日本アラブ連合の盟友だというようなことを言っておりますし、また、当日その発言された日本の駐アラブ連合大使は現地において非常に英雄視されておるというような状況、ところが、逆にイラン、レバノン、イスラエルなどの親西欧派在日公使からはいろいろな抗議や問い合せがあったことが新聞紙に出ておりますし、レバノン駐日公使は「イラク事件

井上清一

1955-07-16 第22回国会 衆議院 農林水産委員会 第42号

最近二月ほどの間、この空気が多少冷却したのは事実でございますが、これはいろいろ日韓両国をめぐる国際情勢の変化というようなことから多少冷却したのでありますが、その後最近におきましては、たとえば米国大使いろいろあっせん努力、あるいはそれに時期を一にいたしまして金駐日公使が帰国いたしまして、いろいろまた本国政府と打ち合すというようなことから、漸次再開空気が醸成されてきたのではないかとわれわれは観察いたしております

中川融