2016-05-25 第190回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第7号
アメリカの場合は、ほろ馬車文化があってそういう文化に親しんでいるということもあるのかもしれませんが、余りにも日本ではそこら辺がちょっと工夫がないのかなというふうに思います。
アメリカの場合は、ほろ馬車文化があってそういう文化に親しんでいるということもあるのかもしれませんが、余りにも日本ではそこら辺がちょっと工夫がないのかなというふうに思います。
このルールの部分も、日米間の関税交渉がまとまれば、TPP馬車論というお話も何度もしましたけれども、ルールという荷物を積み込んでTPPへ動き出すということでありますから、これはいよいよ危ないところに来ているなというふうに感じていますが、澁谷審議官、いかがでしょうか、私の解析は。
しかし、TPAがなくても妥結した二国間FTAもあるということでありますから、米国サイドが米国議会の要求を最大限に日本にのませるということができれば、以前予算委員会でも申し上げましたけれども、TPP馬車論というお話がありまして、日米の関税協議は馬車の馬であると。
○徳永エリ君 TPP馬車論というのを伺いました。馬車がいわゆる市場アクセスなんですね。この関税の分野が決まって、馬がどのくらい馬力があるのか、何頭立てなのかが決まらないと、なかなかルールという荷物は積めないという話が聞こえてきました。 今お話がありましたけれども、妥結を急いで、よもやアメリカの要求を全てのむということはないということを確認させていただきたいと思います。
その中で、TPP馬車論という話が出てきました。馬がどのくらいの力があるのか、何頭立てかによってどれだけの積荷を積めるかということが決まってくるということが言われているそうで、その馬の部分が物品市場アクセスだと。特に、アメリカと日本の間でどうなるかと。
ということで、宮殿自体は大きな被害というものはございませんでしたけれども、その他、例えば宮内庁庁舎は壁が剥落するなど大きな被害を受けましたし、それから、赤坂御用地内の一部庁舎、あるいはいろいろな、馬車等の車庫、それから物置、こういったものは全半壊または大破、それから学習院ですとか芝離宮の洋館等も焼失をいたしました。
卑近な例を言うと、きのう大使が皇居へ行くときに馬車で行ったのも、イギリスでもありますけれども、あれは別にして、イギリス以外では日本だけじゃないでしょうか。
そして、また、あと資料三にちょっとございます、まあ釈迦に説法でありますが、私も海外で仕事をやっていた経験が多いものですから、特にロンドンのブラックキャブ、御存じだと思いますけど、要するに、英国紳士がシルクハットをかぶったまま馬車に乗った名残でということで、今でも頭上のスペースがないとロンドン交通局は走行を認めない。
かつて、一九〇一年十二月に、田中正造氏が当時の明治天皇陛下に、馬車をとめて、そして、足尾鉱毒事件にかかわってさまざまな被害が出ているということを直訴された事件がありました。これは、田中正造議員も、議員を二カ月前に辞職して、そして直訴に及んだということでございます。
もともとは、私の子供時代も太田大臣の子供時代も大体同じでありますが、最初は、自動車が今日のようにたくさん走るなんということは余り考えないで、子供の時代は、馬車とか牛車、それから、各自宅では自転車があればいいぐらいの話でありましたから、そんなに今日のようにモータリゼーションということは考えていなかった。したがって、道路も、生活のための道路ということで発展してきたのではないかと思うんです。
十分御存じかと思いますが、そこは、電気自動車と馬車しか走ってはいけないというところでございまして、観光の名所で、観光立国を目指す我が国にとっても重要な参考になるところだと思うんです。 私も、北海道に三年間勤務したことがあって、全域を担当していたので、そんな機会の中で知床半島そして羅臼岳に登りまして、その頂上から眼下に北方領土国後島を見おろしました。
私は、もう今から十六年前ですか、八頭馬車の細川政権のときから、いしずえ会の事務局長ということを岡田外務大臣がされたときから、ぶれない人であると。これは世間でもそうなっているんですけれども、一度こう言ったことはなかなか変えられないというのが大臣の特徴ではなかったかなと思うんですが、ただ、移設場所については、これは残念ながら変遷されているんですね。
○大久保勉君 単純化しましたら、いわゆる金利と為替の二頭立ての馬車ということで、金利が力がなくなったら為替の方で引っ張ってくれるから何とか収益はもっていると。ところが、平成十九年の経常利益が七十七億円、平成二十年が二十八億円。ですから、やはり金利が動かなくなって非常に困っているという状況です。
二つの馬車がずっと走り続けることは、そろそろ一頭立てにして、少しずうたいが大きい形にしながら一つの馬車になるように、私もこれから努力したいと思います。
これは一八八〇年代のニューヨーク市、馬車が通っています。そして、空をふさぐかのような電線の、秩序なきというか、これを見てください。ニューヨークは今、五番街などすばらしい町になっていますね。 私は、電信柱とか、電柱を街路樹にかえたらいいと思うんですよ。どんなに町が美しくなることか。それによってどんなに雇用が生まれることか。
私たちが一緒になって馬車を引いて国頭の山の中に逃げ込んでいた馬を二週間に一遍ずつ来て、この馬に弾薬を積んで南部戦線に弾薬を運ぶからこの馬をくれと言って持っていって、実はつぶして食ったんです。食料の強奪ですよ、これは。 田母神さん、沖縄の人が沖縄の言葉で話し合うと、なぜスパイとみなされて日本軍に殺されなければいかぬのですか。
だから、普通の土を持ってきて埋めては全部めり込んでしまうので、ここに排水をあけてその地下水を吐かすことによって、そしてこの海のビーチコーラル、これを県内から徴用した馬車百台ぐらいで砂利を運んで、ここの埋立工事を私たちはやったんですよ。 そういうことを目の当たりにしている立場から、皆さんのこのでたらめな答弁を許すわけにはいかない。 昭和四十七年五月十五日といえば沖縄が復帰した日です。
つまり、馬車が走っている道がそもそもなかったので、用地がそもそもないところから始めなきゃいけなかったわけですね。そういう意味では、基礎インフラとしての道路というものはやはりまだまだ不足しているはずなので、それをきっちりつくる手当てが必要だということです。 最後に一言だけ。一般財源化の問題は地方の方が有効かもしれませんが、インフラというのは将来に残すものですね。
ローマに行かれた方はおわかりだと思いますけれども、いまだに馬車のわだちがある。本当に、道というものがああいった広い帝国を長年にわたって支えた重要なものだ。 あるいは、シルクロード。今でも正倉院の中には、はるかユーラシア大陸を渡ってきた宝物がいっぱいあります。文化とか技術の伝達路だったということがわかります。
まず、道路が本格的に議論されたのは、ヨーロッパのように馬車の歴史がなかったわけでありますから、エチオピアからローマに通ずるアッピア街道というのがありますけれども、あれは二千年前にできたわけでありますから、そういうことについて、日本の場合には、馬車の歴史がなかったから急速に道路を整備しなきゃならなかった。とりわけ自動車が飛躍的に発展した。国民車構想ができたのは池田内閣であります。