1959-11-28 第33回国会 衆議院 社会労働委員会 第7号
特に私の調査したところによりますと、相澤博士は昭和十五年から二十五年の間東北大学の講師を勤めているりっぱな医者であります。また大精神病院の院長を勤めた、いわゆる精神医学につきましては相当の権威者であると、私は調査して承知しておるのであります。
特に私の調査したところによりますと、相澤博士は昭和十五年から二十五年の間東北大学の講師を勤めているりっぱな医者であります。また大精神病院の院長を勤めた、いわゆる精神医学につきましては相当の権威者であると、私は調査して承知しておるのであります。
従って、それに関連してさっき竹谷委員からお話があったように、冬季の間、東北方面を、ともにあわせてやってみるとか、あるいはまた、この法の目的であるところの内地方面に冬季の間貸付をするという場合等も、もう少し具体的な研究をあなた方としてはしておられるだろうと思うから、その点をもう少し詳しく具体的に説明してもらいたい。
その後その事業は――阿賀野川とか、あるいは猿ケ石とか胆沢とが、その他五つか六つの相当大きな何万キロワットかの発電をする事業でございましたが、それらはあげて電源開発の事業ということになり、その一部は完成をし、一部は建設中かと思いますけれども、これらの電気関係の事業のために、三カ年間東北興業は社運を傾倒してこの事業をやろうというので、研究調査に当った。その費用が二千百万何がしになったのでございます。
二十年までの間、東北興業の仕事で、だんだん進んでおりますものは、そういった態勢で、そういった産業にウエートがかかって進んでおるわけでございますから、その中から拾い上げて、現在姿を変えて育成しているものの数というものが少いことは、申し上げるまでもないのであります。
○保利国務大臣 松岡委員が長い間東北の雪害、積雪地帯の振興のため率先提唱されて、それがかつて積雪調査所を生み、今日の農林工業指導所、農業総合研究所の設置運営となつて、東北地帯の農村経済の上に非常に大きな役割を果して来ておることは、私も承知をいたして来ておるところでございます。
それが果していいか惡いかということはいろいろ議論の対象になると思いますけれども、とにかく今まで何十年の間、東北には火力が置かれてなかつたということについては、企業形態の問題もありましようが、又それ相当の理由もそこに存したのではないかと思われるのであります。従つて本日同僚の委員からも東北に大いに火力を援助すべしという御意見が出ました。
その原因は、戰時中、また敗戰後においては、当面の戰災復旧に汲々として、手が伸びなかつたというようなことで、長い間東北、北海道に対する施設整備の手がまわらなかつたということが根本原因でありましたことと、非常に早く寒氣が参りまして、すでに私のおりました当時において、帶廣、名寄、旭川、池田等においては、夜零下二十七、八度というようなきびしい寒氣でございました。
それから第四番目は本年の七月から八月三日までの間、東北地方水害の被害者並びに九月中旬の関東の風水害による被害者が生活必需品を購入するために必要な資金一人につき一千円、一家族を通じ五千円までは拂戻しを認めるという制限をつけて貯金の拂戻しが行われております。
災害復舊のため國庫から支出される補助費及び府縣の負擔する災害復舊費の合計金額の範圍内で、必要な金額に限り右の補助費が支出されるまでの間、東北地方に店舗を有する普通銀行等から一時つなぎの資金を融通すること。右の融資は極力當該銀行等の自已資金によるものとするが、必要やむを得ない場合には日本銀行において資金の斡旋または供給を考慮すること。