1973-03-28 第71回国会 衆議院 法務委員会 第12号
法務省刑事局長 安原 美穂君 法務省人権擁護 局長 萩原 直三君 公安調査庁長官 川井 英良君 公安調査庁次長 冨田 康次君 労働省労政局長 石黒 拓爾君 委員外の出席者 警察庁警備局公 安第一課長 鈴木 貞敏君 警察庁警備局警 備課長 室
法務省刑事局長 安原 美穂君 法務省人権擁護 局長 萩原 直三君 公安調査庁長官 川井 英良君 公安調査庁次長 冨田 康次君 労働省労政局長 石黒 拓爾君 委員外の出席者 警察庁警備局公 安第一課長 鈴木 貞敏君 警察庁警備局警 備課長 室
安部長 斎藤 一郎君 警察庁交通局長 片岡 誠君 警察庁警備局長 山本 鎮彦君 労働省職業安定 局長 道正 邦彦君 消防庁長官 宮澤 弘君 委員外の出席者 警察庁刑事局防 犯少年課長 奥秋 為公君 警察庁警備局警 備課長 室
法務省刑事局長 安原 美穂君 法務省矯正局長 長島 敦君 法務省人権擁護 局長 萩原 直三君 厚生省公衆衛生 局長 加倉井駿一君 自治大臣官房審 議官 近藤 隆之君 分科員外の出席者 警察庁警備局警 備課長 室
労働省労働基準 局長 渡邊 健二君 労働省職業安定 局長 道正 邦彦君 事務局側 常任委員会専門 員 中原 武夫君 説明員 警察庁刑事局保 安部防犯少年課 長 奥秋 為公君 警察庁警備局警 備課長 室
中村 波男君 星野 力君 国務大臣 運 輸 大 臣 佐々木秀世君 政府委員 運輸省鉄道監督 局長 秋富 公正君 運輸省鉄道監督 局国有鉄道部長 住田 正二君 運輸省航空局長 内村 信行君 説明員 警察庁警備局警 備課長 室
大蔵省主計局次 長 長岡 實君 建設省道路局長 高橋国一郎君 自治政務次官 三ツ林弥太郎君 自治省財政局長 鎌田 要人君 自治省税務局長 佐々木喜久治君 消防庁長官 宮澤 弘君 消防庁次長 山田 滋君 委員外の出席者 警察庁警備局警 備課長 室
久保 三郎君 斉藤 正男君 松本 忠助君 宮井 泰良君 田代 文久君 出席政府委員 警察庁刑事局長 関根 廣文君 運輸政務次官 加藤 六月君 運輸省鉄道監督 秋富 公正君 局長 運輸省航空局長 内村 信行君 委員外の出席者 警察庁警備局警 備課長 室
中山 利生君 別川悠紀夫君 木原 実君 土井たか子君 鈴切 康雄君 東中 光雄君 出席国務大臣 外 務 大 臣 大平 正芳君 建 設 大 臣 木村 武雄君 国 務 大 臣 (防衛庁長官) 増原 恵吉君 委員外の出席者 警察庁警備局警 備課長 室
このような釈明要求をしたという記事は全く事実に反しておりましたので、広報課長は、同日の午後、課長室に司法記者クラブ毎日新聞キャップの記者の来室を求め、課長補佐立ち会いの上で、口頭でその旨を指摘し、今後慎重に取り扱うよう注意を促したのであります。その記者は、御指摘の部分は確かに誤解を与える表現になっており、申しわけないという旨を述べました。
局の幹部が警察に頼んで尾行させたのであるということが発端になりまして、夕方からそういう問題で庶務課長室並びに局長室、こういうところに集団の抗議というものが非常に激しい形で行なわれておったわけでございます。しかもそのときに、いろいろ経緯がございますけれども、局長のほうから警察に出動をお願いする、最終的には六時十分ごろだと思いますが、お願いするという経過がございます。
総理府特別地域 連絡局長 山野 幸吉君 外務政務次官 田中 六助君 外務省アメリカ 局長 東郷 文彦君 外務省欧亜局長 有田 圭輔君 農林政務次官 小沢 辰男君 食糧庁長官 桧垣徳太郎君 委員外の出席者 防衛庁防衛局調 査課長 室
防衛施設庁施設 部長 鶴崎 敏君 自治政務次官 砂田 重民君 自治大臣官房長 宮澤 弘君 自治省行政局長 長野 士郎君 委員外の出席者 総理府特別地域 連絡局監理渡航 課長 守谷 道夫君 防衛庁防衛局調 査課長 室
華山 親義君 鈴切 康雄君 出席国務大臣 運 輸 大 臣 原田 憲君 出席政府委員 運輸大臣官房長 鈴木 珊吉君 運輸省船員局長 高林 康一君 運輸省自動車局 長 黒住 忠行君 海上保安庁長官 河毛 一郎君 委員外の出席者 防衛庁防衛局調 査課長 室
だって原研の職員が民主主義の立場に立ってやったことを、こういう調べ方をして、しかも、その署名簿を人を使って村会からひっぱり出して、その名簿によってその署名した人を一々マークして、そして課長室や室長室に呼んで、そしてこういう思想調査ともいうべき調査をやるということが、どうして非民主的でないと言えるのですか。私はこれは全く民主主義に反する行為だと、こう思うのですよ。
法務大臣官房経 理部長 辻 辰三郎君 最高裁判所長官代理者 最高裁判所事務 総局経理局長 岩野 徹君 事務局側 常任委員会専門 員 増本 甲吉君 説明員 警察庁警備局調 査課長 勝田 俊男君 防衛庁防衛局第 二課長 室
警察処置としましては、警視庁では総理の安全かつ円滑な出発を期することを基本方針として、午前八時警備課長室に総合警備本部を設置し、同本部長統括指揮のもとに、第一方面警備本部、第二方面警備本部、第三方面警備本部を設置し、警察官七千人を動員して総理の身辺警護、沿道の警戒、反代々木系学生らの不法事犯の検挙に重点を置いて警備に当たりました。
その取調の調書作成の部屋は両日とも戒護課長室で行いました。一時間は八日は午前十一時近く、九日は十時一寸前でした。」と証明しています。同日同時同卓で調書造りをした両者がこんな大きな相異したことをなぜ言ったのでしょう?呆れる外はございません。しかも「そんなもの描かしたことはなく、添貼したこともない。」と自己調書のなかったことを自ら証明してしまっているのではありませんか。
それであそこはいろいろ管理能力が劣悪であった、何か改革をしようとすると、課長室に職員が詰めかけてつるし上げを受けるというようなこともありまして、この機会にひとつ改善をしたいというようなことも申しておりますし、それから特に貯金課におきましては、取り扱い状況を総合いたしますと、便宜扱いによるものが相当多い、これは募集については、募集することができれば現金、証拠書の授受はときに明確を欠いてもいいのだ、また
それに、いつもいすを四、五脚置きまして、そこが課長の応接所兼課長室ということになつておるのであります。そこで、私が入つて行つたときは、森さんはその一つのいすの上に腰かけておりました。筧さんは御自分の課長のお席から立つておられたような記憶があります。
そのお下渡品は、一応当時の秘書課長室で特定人に見せまして、現政務次官室ですね。そこで久米という嘱託の鑑定人ですか、これによつて解体されたようですが、その当時の状況を詳細にひとつ述べてください。
○私市証人 秘書課長室ではございません。ただちに軍需次官室——現在の政務次官室に持ち込まれたわけでございます。当日閣議がございまして、閣議の席上へ一旦王冠三個を持つて参りまして……。