2000-04-12 第147回国会 参議院 本会議 第15号
小渕さんをたたけなくなった反動と相まって、リリーフに出た森さんの評価はぼろくそである、蜃気楼、居抜き内閣、空中総理、失言、まだ何もやっていない段階で石をぶつけられているようでちょっと気の毒であると言っていました。 アメリカの例を引けば、アメリカのマスコミは、大統領就任後百日間はハネムーンピリオドといって新大統領がこの間何をどうしようとするのか温かく見守るのが暗黙のルールであります。
小渕さんをたたけなくなった反動と相まって、リリーフに出た森さんの評価はぼろくそである、蜃気楼、居抜き内閣、空中総理、失言、まだ何もやっていない段階で石をぶつけられているようでちょっと気の毒であると言っていました。 アメリカの例を引けば、アメリカのマスコミは、大統領就任後百日間はハネムーンピリオドといって新大統領がこの間何をどうしようとするのか温かく見守るのが暗黙のルールであります。
不磨の大典というのは実は蜃気楼ではないか、憲法と同じくおかしいところがあればどんどん直していくということが必要ではないか。同時に、いつか聞いた言葉でありますが、過ちを改むるにはばかることなかれというのがいつかございましたけれども、そうした気持ちで我々取り組んでいかなければいけないのではないか。そして、国会があくまで責任を負っていくのだというふうなことであろうと思います。
それで、この社会的合意というものは一体何を指して、何を基準にというようなことがこの論争の最初から、特に日本医師会の生命倫理懇談会の座長であった加藤一郎先生が文芸春秋に「社会的合意は蜃気楼だ」という有名な論文を発表されてから、この社会的合意をめぐってはもうさまざまな論争があるんですけれども、一体何をもって社会的合意と言うのかということによって随分違ってまいると思います。
しまいに、東大の元学長の加藤一郎先生は、社会的合意というのはしょせん蜃気楼にすぎないというようなことも言われました。この調査の結果はどういうわけか、脳死は人の死ではない、あるいは強いて言えば消極に解するという人が結構多いわけですが、そういう四割もの人が反対している。 私は、ここで先生方にお願いしたいのは、そういう四割の国民の意見というものを切り捨てにするおつもりかということなんです。
とりわけ、橋本内閣の行おうとする行政改革、五つの構造改革の姿が国民には蜃気楼のようにしか見えない現状において、加えて住専問題や厚生省スキャンダルなど、税の使われ方の不透明、不公正な事態が顕在化し、拒税同盟までつくられようという市民の声が充満する中では、本法案に反対することはまずます重苦しい選択をしなければならないのであります。
ですから、バブルは蜃気楼であって、蜃気楼が消えただけだ、何ら損失は生まれていないんだというのは、これはちょっと余りにも一方に偏り過ぎた見方であって、膨大な負債というものが残っているわけでございます。 先ほど総理もおっしゃいましたが、そこでどうでしょうか、アメリカは、総理、ブラックマンデー、一九八七年の十月十九日、起きたときに、早速何で株の大暴落が起きたのか、これを調べて公表しているんですね。
ですから、バブルという蜃気楼が消えた、国に何か損失が生まれたわけじゃない、こういう見方になるわけです、この経済白書の見方は。バブルは蜃気楼だ、ファンダメンタルズはしっかりしている、設備投資も二けたで続いていたし、土台がしっかりしている、失業率も物価上昇率もいろいろな点でそう悪い状態にない、だからバブルという蜃気楼は消えたのだ、もとへ戻ったのだ、こういう認識なんです。
新エネルギーについては、よくバレル三十ドルとか五十ドルとかいろいろ言われたんですけれども、非常に一種の蜃気楼を追っかけているような感じがありまして、三十ドルになるとまたさらに上がってしまう。
それから、加藤一郎先生などは社会的合意は蜃気楼だというふうにおっしゃったわけですけれども、私は決してそうは思わない。我々法律の世界では、社会通念とか慣習とかいろいろな言葉がございますけれども、例えば社会通念にしろ慣習にしろ、どういう形でいつできるのか、こういうのはわからない。しかし、慣習は現にあるし、社会通念というのも現にある。
あそこに、よりまわり波というのがあって、私たちの身長の二倍ほどもある大きい防波堤もこの波に遭ってぶち壊れて、海岸保全事業をやっている箇所は何カ所もありますし、つい数年といっても私の記憶ですと既に六年前でしょうか、なれた漁師が漁港の魚津市という蜃気楼が出るそこの補助港のところで、灯台のすぐ目の前で実は船がひっくり返って数名の犠牲者が出たことがございます。
それは加藤一郎さんも蜃気楼だと書いているわけです。だから、そういうことを待っては百年河清を待つというふうに私は思います。 これは、前の今井厚生大臣それから林厚生大臣、すべてそういうふうに私にお答えになりました。国民的合意がなければだめ、それがはやったと言うとおかしいですけれども、それが一般の風潮になりまして、一言言うと合意、合意、合意とくるわけですよ。
最後に、もう時間も大分迫ってまいりましたので、国民的なコンセンサスということをひとつお聞きしたいと思いますが、文芸春秋で加藤一郎さんが、コンセンサスを得るなんというのは蜃気楼だというようなことを言っておられます。 まず、昨年十月に総理府から世論調査の結果を発表されましたが、それについてちょっとお聞きしたいと思います。
何か蜃気楼みたいにひっかかっちゃまた次々いくような話をちょっとされておりましたが、総理大臣やっぱりこれはできなかったんですからね、しかも見通しはもう全くない、そのことに対してはやっぱりここでは遺憾の意を私は表明をしていただきたい。一生懸命我々がこの数字の検討をしておるんですが、お願いをいたします。
○澤田公述人 富山県のホタルイカあるいは蜃気楼あるいは売薬ということで割に御存じかと思いますが、滑川市の市長澤田寿朗でございます、 衆議院予算委員会の諸先生方には、地方行財政の諸問題につきまして、日ごろから特段の御理解と御尽力を賜っておりまして、衷心から厚く御礼を申し上げる次第でございます。
そして、海辺には幽幻の青白き輝き、ホタルイカの群舞と夢の世界を描く蜃気楼があらわれ、見る人々をして、その幻にありし日の先生の姿を永遠に思い浮かべるでありましょう。 ここに、住栄作先生の御功績をたたえ、その愛された人となりをしのび、心から御冥福をお祈り申し上げ、哀悼の言葉といたします。(拍手) ————◇—————
○参考人(川口幹夫君) 「季節はずれの蜃気楼」をお褒めいただきましてとってもうれしゅうございます。なかなか地方の局でドラマをつくるというのは難しいんでございますけれども、あの番組の場合は名古屋、富山が協力をいたしまして非常に土地の御協力を得まして、いい形でドラマの制作ができたことを御礼申し上げたいと思います。
身近な例で恐縮でありますが、先般「委節はずれの蜃気楼」というドラマ番組が二十回にわたって放送されまして、私の郷土の方で大変な好評を得たわけであります。ローカルカラーをふんだんに取り入れられ、これをしかも全国に紹介された好評もさることながら、地域の人たちの生活や文化が見直され再認識された意義も極めて大きかったと思うわけであります。
そうすると際限なくイタチごっこのように中業というものが続いていくのか、そして、「防御計画の大綱」というものは達したかに見えては蜃気楼のごとくまた次の目標に向かって進んでいかなければならないのか、この辺の説明はどうなさいますか。
○田代富士男君 次に、景気の問題でちょっとお尋ねいたしますが、景気と減税の関係ですが、最近、蜃気楼景気という言葉が産業界に流行し始めておりますが、この蜃気楼のようなのがただいまのわが国の景気で、回帰期待を裏切られどおしという状態ではないかと思いますが、これに対してどうお考えになっているのか。
○長田委員 最近は、産業界の一部では蜃気楼景気なんだと言われておる。オアシスがあるけれども、実際問題、経企庁の言うとおりいっていない。そういうことで、先行き見通しという点では、国民は甘い言葉にずいぶん悩まされたというのが実情だろうと私は思うのです。そういう点で、昨年来の景気を支えてきたのは内需じゃなくて、やはり輸出であったことが数字を見ても明らかであります。
○長田委員 長官、最近蜃気楼景気というのが何か一部流行語になりつつある。産業界の一部であるようでありますけれども、そういうことが言われております。オアシスがあると言われて期待を持たした、しかし実際はそれはオアシスじゃなかったんだ、そういうようなことで蜃気楼ということが言われておるようであります。
「人間回復の橋」を蜃気楼にしてはいけません。自分のお隣に障害者が来たとき、だれもとまどいを感じないような社会、わだかまりなく障害者にだれもが手を差し伸べる社会、そんな社会をつくらなければなりません。御所見を伺います。 ここでもう一つ超具体的な提案をします。一度、長島のハンセン氏病療養所をお訪ねになりませんか。 ところで、経済運営と財政のことについては、すでに多くの質問と答弁がありました。