1977-04-13 第80回国会 衆議院 農林水産委員会 第17号
青森県の藤坂の農業試験場が口を酸っぱくして言って歩いて、東北のこの地で稚苗はまだ無理だ、だから皆さんは稚苗をやめなさい、中苗にしなさいと言って指導して歩いたのです。その指導が必要なんです。皆さんのこの表でいくと、青森県の五十一年の稚苗が六%、岩手県が五六%。田植え機械のメーカーの好きほうだいに任せて、あのやりやすい稚苗をつくらせてどんどん機械で稚苗を植えたところは、岩手県は五六%だ。
青森県の藤坂の農業試験場が口を酸っぱくして言って歩いて、東北のこの地で稚苗はまだ無理だ、だから皆さんは稚苗をやめなさい、中苗にしなさいと言って指導して歩いたのです。その指導が必要なんです。皆さんのこの表でいくと、青森県の五十一年の稚苗が六%、岩手県が五六%。田植え機械のメーカーの好きほうだいに任せて、あのやりやすい稚苗をつくらせてどんどん機械で稚苗を植えたところは、岩手県は五六%だ。
耐冷品種の育成、耐冷作物の選定、栽培法というようなものを試験するという意味で設けられたわけでございますが、その後幾つかの変遷を経まして、昭和二十二年に育種事業につきましては青森県農業試験場の藤坂支場に統一されまして、遠野の方は水田経営に当たるということで、育種については研究をやめたということでございます。
藤坂の試験場に行ったら、シモキタというわせを二〇%植えさせたかった。 〔委員長退席、今井委員長代理着席〕 だが、秋田に行くと、キヨニシキが山を登ったという言葉がある。そこで、標高三百、四百、五百のところで、去年のあのいい作を見たために、ここで中生種から晩生種のものすごい種数を突っ込んだ。大臣は指導したと言っているが、指導が逆に何にも通っていない。こういう点で何らかの反省があるのか。
いまは県立の農業試験場藤坂支場になっているが、これができてから四十年経過しているのです。十年間は地上滑走の時期でしたよ。それが藤坂五号、フジミノリ、レイメイあるいはシモキタというふうになって、フジミノリとレイメイはきょうだいなんだから、日本の作付面積の中で最大を占めた時期がある。その後にうまい米づくりというものが始まって、一種の政治的弾圧みたいなものが下っているのですよ。
○小山(義)政府委員 藤坂五号は先ほど申し上げましたように非常にいい特性を持っており、つくりやすい多収の品種であるということは事実でございますが、現時点で考えますと、味が悪いこともまた事実でございます。ただ、そういう非常にい特性を生かして、味もよくして、より新しい品種をこれを土台にしてつくり出してきたということが先生の御指摘になる点だと思います。
○安嶋政府委員 御指摘の教科書の記述はただいま先生からお話があったとおりでございますが、書いてあります内容につきましては、まず第一に藤坂五号につきましては、農業技術協会編の「実用農作物品種解説」という本によりますと、その生態的な特性といたしましては冷害を受けるおそれが非常に少ない……(津川委員「局長、いまの農林省の考え方について皆さんはどうするかということです」と呼ぶ) 〔今井委員長代理退席
耐冷性品種の育成ということで青森県の藤坂支場に昭和二十八年から、それ以前から実施しておりましたところの耐冷性研究の強化ということで育種の指定試験を置きまして、四十一年には人工気象装置の設置等をいたしまして耐冷性育種の基礎を固め、現在優良遺伝種を軸といたしました計画的な育種を軌道に乗せつつあるところでございます。
そこで藤坂、皆さんも御存じのとおり、田中稔前々場長が冷水かけ流しかんがい法でやっていますね。反別三十アール、地下からわいてくる冷たい水をかけてずっとやっていく。あれが人工気象室と並んでそれ以上に自然の条件のもとにおいて一番いい試験研究をやっている。三十アール、これには百種類ぐらいしかやれない。土地が足りない、人手が足りない、予算がない。
これは青森県の藤坂の試験地で育成されたものでございます。四十六年度から奨励品種に決定いたしております。決定するにつきましては、先ほど申し上げました農家の委託までも含めた四カ年の結果やっておるわけでございますが、ムツニシキの特徴としまして、耐冷性がフジミノリ——これはねらいはフシミノリの代替でございます。
というのをかけまして、これがだんだん品種になりつつあるわけでございますが、これはレイメイの血を入れておりまして、またそのPIのナンバー5のほうには外国等の遺伝子を入れまして、ただいまムツニシキで問題になっておるような点もカバーできるような品種の育成をやりたいということで努力を続けておりまして、先ほどお話しの世代の交代を早めるということによって、これまでのように十年とか期間をかけないで、いい品種が出るような努力を特に藤坂
その農民の熱望と農業技術者のたいへんな努力の結びつきが私は藤坂五号が生まれた、そしてそれを親にして今日レイメイ、フジミノリ等が出てきて、耐冷性の米もようやくできるようになってきた。私は今年の春、中国へ行ってきたときに、非常にその問題を中国、周恩来が問題にしておる、日本には冷害に強い米がある。
しかるに、最近、藤坂の冷害試験場が新品種を創成いたし、これは相当前からでありますが、今日ではこの地帯は稲作も冷害にかからないという確信が持てる段階に達しているわけでありまして、そこで、いまこの地方の人々の希望は——ビートというのはいいそうだからビートでいこうじゃないかというので、これをやってきたのがいままでの現実でございます。
過般藤坂の試験場では農林当局のお考えによって新しい設備が設けられて、地元としては非常に感謝いたしているわけでありますが、北海道はわれわれのほうとはまた別な一つの傾向あるいは条件があるようであります。
たとえば藤坂という試験場があって、田中稔博士があそこの試験場長をやって、今日冷害に耐え得る品種を創成して、北海道あたりの相当の寒冷地帯でも稲作ができるようになってきた。かくのごとき画期的な新品種の創成というところに、私は学問の偉大さを考えさせられる。ソ連へ参りましたら、ソ連のある方面へもこの品種が行って、いまはほとんど世界的になっていると言うても過言でないような実情であります。
農作物災害の防止、この関係の経費は三千万円でございますが、水稲、大豆等の冷害防止とか果樹、桑樹等の凍霜害の防止関係の継続経費のほか、水稲の耐冷性品種の育成のために、北海道上川試験地の営農指定試験地及び青森県藤坂試験地の耐冷性検定装置等について重点の経費を計上しております。 次に、農業用施設等の保全、これは農業土木試験場等の関係の経費でございまして、主として地すべり防止関係の経費でございます。
しかし、私は全般に見まして、青森県の例を見ますと、藤坂五号と農林十七号をかけましたフジミノリが四二%と、非常に顕著に耐寒性のわせ化をしておるというふうに考えていいと思います。
○米内山委員 藤坂試験地のことを例にとって御質問申し上げたいと思いますが、あの施設は、昭和六年から九年に及んだ昭和初期の冷害対策の仕事としてつくられて、ことしは三十年になるわけです。その間、藤坂五号からトワダ、さらには今日フジミノリ、さらに次にまだりっぱな稲ができようとしておりますが、あれは御承知のとおり、試験研究費と申しますか、事業費は、十分の十、全額国の負担で今日までまかなわれてきておる。
そのために、昭和二十八年のときには、先生も御承知のように、藤坂五号という品種ができておりまして、これは非常に冷害に耐えて、好評と申しますか、有名になった品種でございます。
その中には、夏は農協でもみ貯蔵中の耐冷性品種、いま御指摘になりました藤坂五号系のフジミノリ、こういうものが四百五十四トン含まれておったわけであります。こういうふうに種もみの保管、確保、また配付につきましては万全を期して今日に至っております。
また、耐寒性品種とわせものの栽培が望ましいといわれているが、藤坂五号やその系統のものはどれほど配付できたか、また、現在なおその手持ちがありますか、いかがですか。 政府は冷害対策本部を設置いたしましたが、看板をかけ、印刷物を配布しただけではないですか。末端の指導は普及員や試験場職員が当たるわけですが、これに対する予算措置はとられているでしょうか。
それから、青森県の農事試験場の例の藤坂試験地、これはやはり農林省の指定試験地でありますけれども、ここでフジミノリというものが本年育成されたわけであります。こういうものが東北地帯を中心として育成されておる。
一方、冷害に関しては、青森県農事試験場では、藤坂五号等の耐冷品種、保温折衷、ビニール畑苗代の普及奨励等により、前年度の冷害を局地的にとどめ、県内平均ではかえって豊作であったことからも、これら冷害予防対策とともに、稲作中心経営から酪農兼営に切りかえるよう研究試験の充実を期待し、また、青森県林檎試験場も草生栽培による酪農兼営に今後の指導の重点を置いており、これら試験研究に対する国の予算の裏づけを強く要望
また一例を申し上げれば、青森の藤坂の試験地のごとき、そこで風洞試験というようなものを昭和二十八年の予算でとりまして、これらが着々と効果を上げておるというような事実もございます。
このため、本県としましては一、テンサイ栽培試験費の助成、二、水稲及び畑作物の増収をはかるための試験研究機関の整備、特に現存の藤坂冷害試験地の拡充、三、農村工業指導所の設置、四、農業改良資金の拡充強化、五、積雪寒冷期間における農村労働力利用施設費の補助などをさしあたり要望いたすものであります。
御案内の通り、米の品種の改良ということでも藤坂五号が非常に問題になるのでありますが、藤坂五号の品種がどういうことででき上っているかということを検討してみますと、従来は適地適作、気候、風土、土壌に合わした品種を選んでいくのが観点でございます。しかし、藤坂五号が取り上げられて、大きな価値ある状態になっておるゆえんのものは、あれは化学肥料の進歩に合せて品種を選んだということでございます。
昨年の実例に徴しますると、まだ藤坂五号等は昨年の冷害で初めて農民にその優秀性が認識されたような点等もございまして、非常に農民の要望が強かった。そういう点で御指摘のような価格の暴騰というものもあったかと存じますが、やはり種の事業は原々種圃、原種圃、採種圃、こういうふうに一貫してやっておりまして、急激にふやされないような点もございまして、そういう問題か起つたかと存じます。
たとえば藤坂五号でありましても、何十種類かの試験をした結果生れて来ることもありましよう、あるいは数種類の試験で生れて来ることもありましよう。これくらいのもので出て来るのだという考え方で新しい品種が生れて来るものではないのです。試験場を主管しておられる改良局は、この辺は十分理解しておられるはずです。差額だなんという観念はどこから出て来るのですか。
これは相当普遍化して、どこでも村に一箇所か二箇所採種圃なんというものかできて参りますと、その中から相当優良な選別された種もみを採種され、これがだんだん普遍化して行くものでありますが、まだ奨励の端緒にあるようなものは、たとえば藤坂五号でありましてもたびたび失敗した例もあるのでありまして、こういう点から見ますと、今までの食糧庁や改良局で考えておられるような安い単価で種もみを集めるということは、悪い品種をあえて
われわれ一行は同地に待ち合せましたる淡谷代議士を加えまして、一日午前八時同県下調査のために出発いたしまして、東平間、野辺地、天間林、浦野館、大深内の各町村を視察して藤坂農業試験場に至り、同所において気象状況及び作況につき説明を受けたのであります。
たとえば昨年の冷害対策等においても大臣は青森県まで出かけられまして、しかも藤坂の試験地等にも立ち寄つて、東北地帯におけるところの単作地帯の農業の中において、わが国の農政をどうしなければならぬかということを身をもつて確認して来られたというこの事例が、昨年の救農国会等を推進するところの一つの基盤になつたというふうに私は考えておるわけであります。