2001-10-25 第153回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第3号
貴重な地方の権力を、あるいは企業者の営業の自由を奪い取って、全部中央の官僚体制のところへ持ってきたというところに原因があるので、それはもう憲法がその直し方を教えているわけですから、そのとおりやっていただければいいということでございます。 それで、本論ですが、憲法は、言うまでもなく、官僚については全くの、官僚というのはほとんど東京に住んでおりますね。
貴重な地方の権力を、あるいは企業者の営業の自由を奪い取って、全部中央の官僚体制のところへ持ってきたというところに原因があるので、それはもう憲法がその直し方を教えているわけですから、そのとおりやっていただければいいということでございます。 それで、本論ですが、憲法は、言うまでもなく、官僚については全くの、官僚というのはほとんど東京に住んでおりますね。
○最相参考人 ヒト胚保護法にさかのぼるのが無理というのはちょっと意味がわからないんですが、結局、見直し規定などを入れずにもう一度戻って最初から構築し直す方がいいのではないかという御意見ですね。私もそれがベストだと思います。それができるのなら、そうしていただきたいです。
算定方式等々では減額率が例えば五〇%を三〇%にするとかいう直し方もあると思うんですよ。いろいろあると思うんですが、ここはひとつ抜本的な改革を、これは通産大臣でございますが、昨日の答弁に続きましてお願いをしたいと思っております。
若干の遊び地があれば安全なところというのは随分あるわけでありますから、幾らがけを直しても、やはり人力、人の直し方というのは限界があると思うんですね。そういう意味で、むしろその方がまた金もかからない場合もあるのではないか。 私の地元でも、海岸線にへばりつくように、本当に、普通のところに住んでいる人にはこんなところに住めるのかなと思うところに住んでおります。
○山本(孝)委員 本法で直す方が附則に書くより法律上明らかになるので、どちらのお考えなのかというのが質問なんですよ。今はお答えになれないんですか。
さて、私のこの人権規定についてのとらえ直し方というものにつきまして、実は九三年の夏に関西大学の「法学論集」に書きました。以下、短い時間ではございますが、そこに書きましたものを中心にそのとらえ方というものを述べさせていただきたいと思います。 まず一のところで、この人権の法的性格について、従来どういう枠の中に位置づけられていたのか、それを整理し直してみました。
一つの直し方としては、もう一度給与スライドに戻すか、それからいま一つの直し方とすれば、年金だって五年ごとに再評価しているんですから、それと同じように何年かたまった分をどこかで別の改善で入れていく、そういうような格差調整、これをやるというのも一つの案かと思います。この辺、いずれもなかなか難しいというお答えが出ることはわかっておりますけれども、しかしひとつ前向きに検討していただきたいと思うんです。
国連総会におきます演説が私の気持ちと違う演説をしたかと言われれば、それは全くそうではなくて、私は、外務省の優秀な方々はいろいろと原稿を書いてくれますけれども、恐らく私は一番原稿を直す方であろうと思います。
でき上がってしまったものをどうするかというのが実は一番頭の痛い問題でございまして、もし可能ならば、要するにでき上がったものを直す方を先にするか、それとも今まだ足らないから足らない方を先にするかということが実は頭の痛い問題でございますが、これは個別の問題として対応させていただきたいと思っております。そういう意味で、奈良県内に幾つかの箇所があることも十分承知しております。
だから、こういうことであれば私は速やかに直す方がいいんじゃないかと、日本に住んでおる一住民として本当に日本のためにそう思っておるのでございます。
農協そのものが先に直すのではなくて、人勧に準じて市町村が直して、そしてその市町村の直し方を見て、基準にして農協なりほかの関係団体が直してくる、そういう一つのパターンができているわけなのです。
○国務大臣(宮澤喜一君) それは逆の側からのお尋ねでございますので、結局、先ほど申しましたように、現在の物品税といったようなものは、現在の姿は何と申しますか物品の選び方がかなり選択的であり、見ようによっては恣意的だと言われる点があるかもしれないようなひずみやゆがみを持っておりますので、これは直す方がいいと考えております。これは間接税自身の持っております理由からでございます。
○説明員(畠中信夫君) 全般的な労働時間の趨勢にかんがみまして、特例の対象となっておる業種につきましても労働時間の原則である一日八時間、一過四十八時間というものに引き直す方が労働時間の短縮という観点から望ましいという趣旨からでございます。
だから、今直したところで、また同じ状態のものが判決の中に出てくる可能性が直し方によっては考えられてくるのではないでしょうか、こういうことを聞いているわけですね。
むしろ正面ぴかぴかの方はもう抑えて、後方ぼろぼろの方を直す方に五九中業の考え方を持っていくのかどうか。その点をお尋ねして、この質問を終わりたいと思います。
それを日本の教育がちゃんと教えているか、それは教えていないと思いますが、これを直していく場合には、直し方として私はやはり事実上そういうことを体験する人がふえる以外に方法がないというふうに思います。
一方、このトンネルを全部掘り直すという計画がありますために、直す方もほんの応急手続をしてごまかしごまかしやっている。そういうことで、地元のあれももちろんでございますが、現場の諸君のいわばむだな労力を使っているという面も考えまして、これは相当問題地域だというふうに見てまいりました。
もし私が言うとおりだというならば、やり方はあると思うのですけれども、文部省のいまの心境から言えば、進出を侵略に、皆さんそうおっしゃるなら、それは自分も共同声明、共同コミュニケの精神を体してそうしましょうと、それはいいです、しかし、制度そのものは守っていきたいから、制度に沿った直し方をする以外にないのですよ、だから二年待ってください、どれだけ待ってください、そういうことなんでしょうか。
でもその前に、サラ金の悲劇が発生する土壌、それを直す方が私は政治家の役割りだと思っております。その努力をしないで、ただ悲劇が出たら救ってやるという考え方で、四十三条をなくせという考え方だけで今日の悲劇はなくならぬ、私はこう思っております。
直し方、なかなかむずかしい、直そうったってそう簡単に直らないのだと、先ほどからのお話を聞けばそうおっしゃっておられる。しかし、それはなかなかできないかもしれないけれども非常に重要な問題だということは間違いないと思うのです。