1985-06-05 第102回国会 衆議院 文教委員会 第16号
ただ、時間がありませんから端的に言いますと、つまり、大臣も言われましたけれども、画一主義というこのことから個性が没個性化になっていく。したがって、教育基本法で言う個性の尊重、個性の尊厳というものを出してくる。それを生かすために自由化とか弾力性、こういう形で議論されてきておると私は理解するわけです。
ただ、時間がありませんから端的に言いますと、つまり、大臣も言われましたけれども、画一主義というこのことから個性が没個性化になっていく。したがって、教育基本法で言う個性の尊重、個性の尊厳というものを出してくる。それを生かすために自由化とか弾力性、こういう形で議論されてきておると私は理解するわけです。
そこには大変没個性的な学習体系が同時に組み込まれてしまう。こういう体系の中に派生してきた教育産業というものも、考えてみますと、この教育産業の肥大化というものも決して喜ぶべき現象ではないと実は思っておるわけでございます。
経済的には、大企業中心の高度成長政策から福祉優先の低成長政策へ、社会的には、没個性、没連帯社会から個性豊かな自主的、自立的連帯による共同社会への転換が強く求められております。こうした中で、政府は、昭和四十八年度にはこの年を福祉元年と位置づけたのであります。この初心は尊重し、貫かれなければなりません。
(拍手)ささいなことかもしれませんが、漢字制限による教育方法が、人間の思考能力よりも音感に重点が置かれ、マル・バツ式記号答案方式が記憶と判断の正確さを養った反面、主体性のない、没個性的、非情操的、唯我独尊的人間をつくったのではないかという声を無視することができないのであります。
何か管理社会的な、画一的な没個性的なそういう外部的要因が非常に出てくるんじゃないか。これを突破しまして、ほんとうに創造性のある英知、それから個性ある人間能力を多種多様に発展させるための制度は、一体どうなければならないかというのが私たちの課題だと思うわけでございます。