1956-12-04 第25回国会 参議院 運輸委員会 第5号
○説明員(権田良彦君) お答え申し上げます。その点は先ほども御説明申し上げましたが、この運輸審議会に諮問をいたしますると、運輸審議会の方では件名表に登載をいたしまして、これを官報において一般に公告をいたします。
○説明員(権田良彦君) お答え申し上げます。その点は先ほども御説明申し上げましたが、この運輸審議会に諮問をいたしますると、運輸審議会の方では件名表に登載をいたしまして、これを官報において一般に公告をいたします。
○説明員(権田良彦君) お答え申し上げます。先ほど御説明いたしました通りに、私鉄の運賃値上げにつきましては、その申請を待って、個々に、ケース・バイ・ケースに慎重に審査してその答えをきめる、こういう政策方針に立っておりますので、この線に沿って処分をいたしたわけでございます。
○権田説明員 御指摘の点はごもっともでございまして、在来ともこういった内航及び鉄道輸送との調整ははかって参っておるのであります。それの仕組みといたしましては、だいぶ前からでありますが、省内には輸送連絡の機構がございます。これを定例的にいたしておりますが、さらに海陸調整部会というものを持っておりまして、それでこの問題についても数回協議をいたしております。
○権田説明員 ただいまも御説明申し上げました通りに、運輸省といたしましては緊急的にはこの急場をしのぐために、まず昨日来御説明いたしておりますように、でき得る限り内航海運も使う、またでき得る限り短距離のものはトラックに移すという措置を講じまして、鉄道と内航海運と自動車とを合せた緊急対策を立てておるわけでございます。
○権田説明員 お答え申し上げます。日本国有鉄道で使っております船は御承知のように連絡船だけでございまして、これは青函、宇高その他連絡航路に充当されておるのでございますが、その他私の申し上げました内航海運というのは、民間業者によりますところのスティール・ボートあるいは機帆船を使いたい、こういう意味でございます。
○権田説明員 それでは私から簡単に御説明を申し上げます。ただいまお手元に現下の緊急輸送対策と書いてございます刷りものをお配りいたしておりますので、それに従いまして簡単に御説明を申し上げます。
運輸事務官 (大臣官房企画 課長) 有田 毅君 運輸事務官 (海運局内航課 長) 小田部 康君 運輸事務官 (海運局海運調 整部長) 辻 章男君 運輸事務官 (鉄道監督局 長) 権田
眞鍋 儀十君 早稲田柳右エ門君 井岡 大治君 下平 正一君 山口丈太郎君 出席国務大臣 運 輸 大 臣 吉野 信次君 出席政府委員 運輸政務次官 伊能繁次郎君 運輸事務官 (大臣官房長) 朝田 静夫君 運輸事務官 (鉄道監督局 長) 権田
会計検査院より上村第五局長、運輸省から伊能政務次官、権田鉄道監督局長、国鉄側から十河総裁、片岡監察局長、石井経理局長、佐藤施設局長、岡工作局長、高原建設部長、今井管財部長、河島資材局燃料課長。以上であります。質疑は通告順に行います。吉田賢一君。
運輸事務官 (海運局長) 粟澤 一男君 運 輸 技 官 (船舶局長) 山下 正雄君 委員外の出席者 運輸事務官 (事務次官) 荒木茂久二君 運輸事務官 (大臣官房長) 朝田 静夫君 運輸事務官 (鉄道監督局 長) 権田
、その考え方が実際上行われておるならば、ここにこの大混乱は来たさなかったのでございますが、すでに資料を提供いたしましたように、宮田前福岡陸運局長、現東京陸運局長のごとく、自動車運送協議会の答申は尊重しなければならぬということが道路運送法においてはっきり書いてあるにもかかわらず、その答申があって一カ月もたたぬうちに、しかも東京へ栄転のその前に、新規許可をするというような暴挙をあえていたし、さらにまた権田前東京陸運局長
そのときに福岡から飛んで来た飛行機の座席を掃除して、権田節子というエア・ガールが乗つておりましたが、この人たちのお世話になつて無事に北海道に着いて、一週間の日程で全北海道の震災地を親しく慰問をし、同時に調査をして帰りました。あの権田節子というエア・ガールの乗つておつた、われわれが世話になつて北海道に飛んだその人たちが乗つておつた飛行機が、不幸にしてもく星号で、その人たちを含めて全員死亡した。
○栗田委員 権田さんにお尋ねいたしますが、今下川君の御質問で、この再販売価格の維持契約に対しましては考慮するという御意見のようでしたが、この点どういうことなのか、もう一回お聞かせ願いたい。
両村は、農協の建物は本支二基ずつ四基、職員三十四名あり、学校も小学校、倉田側に三ノ倉は三百九十五人の生徒に十四人の先生と、権田が二百七十五人の生徒に十人の教師、相満分校の小学校の三つと、別に中学三百七十一人の生徒に対しての教師十四人の学校があり、鳥渕側にやはり東部百五十六人の生徒に八人の先生、中部百四十六人の八人の、西部二百三十九人の九人、三小学校と中学二百七十六人に十一人の先生、こういつた小学校と
丁度この中部班が行進を権田口から東交を先頭にメーデー行進がプラスバンドで行進を始め出しまするや、全学連、都学連並びに自由労組、勿論朝鮮人も入つておつたと思いまするが、これらの一つのグループ約七千人くらいが別の団体を形成しまして、これはこの信濃町停留所の巡査派出所のあの辺から出まして、権田口から出ました普通のメーデー部隊等を追越しまして、馳け足でもつてその先頭に立つてどしどしメーデーとは全然別個な梯団