運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
53件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1963-02-19 第43回国会 衆議院 法務委員会 第4号

われても、もうないのだという、そういう考え方には立っておらないのでございまして、この主任弁護士でありますか、担当の弁護士か知りませんけれども、磯部弁護士に対しても、私はそういうことを申し上げまして、新しい事実や証拠があったならば、そういうことをもって法廷で主張することは十分主張すべきじゃないかということを申し上げておるのでございまして、そういうことのすべてが尽くされた上、なおそれを世論がどうであるとか、救援会

中垣國男

1962-12-07 第41回国会 衆議院 法務委員会 第8号

こういうことでありまして、そのほか平沢のことなどにつきましても、これはもう率直に申し上げますと、隠しマイクというようなああいう事件がありまして、その前から平沢に対しましてはいろいろ面会等が、たとえば妻子とかあるいは両親もしくは三親等と申しますか、そういう身内の人よりも、報道関係であるとか、あるいはそういう第三者の救援会方々とか、非常に面会の人が多いということが前からいろいろと言われておったのであります

中垣國男

1962-12-07 第41回国会 衆議院 法務委員会 第8号

ちょうど最近でございますが、いろいろ平沢救援会等が活発な活動をするようになりまして、面会が非常に多い、なおまた報道関係者面会要求等も多いというようなことで、他の死刑囚に対する影響等も非常に心配されておりましたし、また刑務所内の秩序というような点につきましてもどうかと思われるような点が実はあったのです。

中垣國男

1962-11-10 第41回国会 衆議院 法務委員会 第7号

菊池恵楓園の中にありますいわゆるハンセン病患者特別刑務所に長らく——もちろん裁判中から判決確定後ずっと留置され、公判中第一審で国選弁護人でまことに簡単に死刑判決が下され、その後、無罪を主張し続けながら刑務所に収容されておりまして、その後大臣が五、六名かわられましたが、そのたびに東京文化人その他から死刑執行の猶予について藤本松夫を救う会という、文化人方々中心にしましてできておる会、日本国民救援会

坂本泰良

1960-10-24 第36回国会 衆議院 地方行政委員会法務委員会連合審査会 第1号

坂本委員 この治安確立同志会は、徳田球一氏を襲撃した古賀一郎氏が副会長であり、さらに淺沼委員長山口ニ矢に殺害をされまして、その後この治安確立同志会と同じところに山口ニ矢救援会本部、こういう看板がかかっておるわけでございます。従いまして献金は昨年の七月四日ですが、引き続いてこの治安確立同志会が暗躍をしまして、そうしてさらに今度の山口救援会木部を作っておる。

坂本泰良

1959-03-24 第31回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号

細田委員 いろいろ御熱心な討議がされたのですが、実は小塚さんを指導いたしました昔の軍事教練青年指導員というのが私の親戚でありまして、これが嘆いているのには、十年たっても、十五年たっても降参をしないというふうに仕込んだような責任を感じておるということで、これらの連中が中心になりまして、八王子ではこの救援会を組織しておるわけであります。

細田義安

1958-10-29 第30回国会 衆議院 予算委員会 第2号

それからこれがどういうところに入っておるかという点につきましても、何度もお断わりするようでございますが、これは情報のうちから比較的確度の高いものと思われるものを選ぶわけでございますが、日本共産党に対しまして約一億六千万強、それから在日朝鮮人連合会及び在日朝鮮人教育会というようなところに約四億二千万、それから日本国民救援会という組織がございますが、これに約四千六百万円、次に原水爆禁止日本協議会というところに

愛知揆一

1958-10-29 第30回国会 衆議院 法務委員会 第9号

在日朝鮮教育会には四億二千万円、国民救援会には四千六百万円、原水爆反対協議会には一億五百万円、その他二億円。原水爆反対世界大会、こういうことは今世界の人は日本国民の非常に崇高な運動だと見ておる。非常に共鳴者が多いのです。そういうものを国際共産主義の脅威で原水爆反対協議会に一億五百万円、こういうようなことも言われております。

志賀義雄

1955-07-01 第22回国会 参議院 法務委員会 第12号

それは率直に申し上げますと、先ほども申し上げましたように、日韓間の話に基きまして、ある者を仮放免いたすということの話が出ましたときに、当時俗に民戦と申しておりますが、朝鮮人のいわば左翼的な団体外郭団体であると認められます解放救援会からその仮放免者の世話もするから引き渡してくれというお申し出があったのでございます。その当時それはお断り申し上げました。

内田藤雄

1955-06-17 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号

臼井委員長代理退席委員長着席〕  そこで、日本赤十字社日本平和連絡会日中友好協会日本労働組合評議会日本仏教連合会日本仏教鑚仰会日中貿易促進会議、、平和推進国民会議日本国民救援会華同胞帰国協力会海外戦没者慰霊委員会、東寺、東京華僑総会、こういう団体が発起人となりまして慰霊実行委員会を結成し、ただいま申し上げたようなことを心の底から国民のざんげ行として遂行して参ろうということに

大谷瑩潤

1954-08-16 第19回国会 参議院 厚生委員会中国人俘虜殉難者遺骨送還に関する小委員会 閉会後第1号

それから日本仏教讃仰会、次は日中貿易促進会議、それから在華同胞帰国協力会、それから日本平和推進国民会議日本国民救援会それから海外戦没者慰霊委員会、これはたしか佐藤尚武先生委員長或いは安藤正純先生その他も関係されて、日本丸を出して南方或いはアッッの遺骨を収集したときの民間側団体でございます。

赤津益造

1954-04-26 第19回国会 参議院 文部・人事・法務連合委員会 第1号

それは或いは研究機関として或いは救援会の自給というものによつて或いは人事院が当時政府を通じてなされた声明などの保証によつてそうした、不安が除かれているのである。ところが今それらをあたかもすべて御破算にしてしまうかのごとくに、教育公務員というものを、地方公務員として扱われていたものを、国家公務員として扱うことは、教育国家公務である性質上これは望ましいことであるのか、望ましくないことであるのか。

羽仁五郎

1954-04-13 第19回国会 参議院 文部委員会 第20号

要するに中共から何がしかの金が来たというのは、国民救援会に来た、準備会に来ているのだ。国民救援会に来ているのを、日教組のほうと相談して分けてもらうということについては、そういうものをどう分けるかということについては日教組は関知しない、これは私が明白に言つているわけです。日教組に来たのではなくして国民救援会に来たのだ。これははつきり私が育つたことを本人がここで言うのです。

岡三郎

1954-03-03 第19回国会 衆議院 文部委員会 第12号

○伊藤(郷)委員 次のお尋ねは、ちよつとこみ入つておるかと思いますが、この武佐事件に送られた金は、中共国民救援会から日教組を通じ中標津武佐中学闘争資金として届いておるといたしますと、これと第二の法案についての関係をお尋ねしたいと思うのでございます。この金は中共国民救援会の金ではございますが、日教組中標津へ送つてよこした。

伊藤郷一

1953-08-06 第16回国会 衆議院 法務委員会 第32号

いわば正当な手続を経ないで人に渡した、その文書救援会の方から松本被告の方へ送つて来た、それを池上四番が書いて松本に送つて来た。文書を検閲したところがそういつた相当強硬な文書でした。その文書が強硬であろうが内容が穏当であろうがそんなことはかまわない、密書を出したということについて処罰をやつたのであります。文書を正当なルートによつて出そうとしたことを処罰したことはありません。

川上悍

1953-06-23 第16回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号

その団体と申しまするのは、日本赤十字社日本平和連絡会日本中国友好協会日本労働組合評議会日本仏教連合会日本宗教連盟日中貿易促進会議日本仏教鑚仰会、在華同胞帰国協力会日本平和推進国民会議日本国民救援会、海外戦没者慰霊委員会棗寺東京華僑総会中国留日同学総会、これらの団体から見えまする方々によつて構成されておりまするので、まことにお話をまとめまする私の力がないのではございまするけれども

大谷瑩潤

1953-06-23 第16回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号

中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会委員長大谷瑩潤、同事務局長菅原恵慶日中友好協会赤津益造国民救援会難波英夫平和推進国民会議津田正登日本労働組合評議会柳本美雄日本仏教仰会・仏教界代表山理理婦人団体連合会大沼ハナ平和連絡会帰国協力会阿部行蔵日本赤十字社代表工藤忠夫儀式執行主任仏教連合会壬生照順儀式執行委員・日中親善曇鸞大師奉鑽会佐々木晴雄花園慰霊実行委員会代表金一秀華僑遺族代表

大谷瑩潤

1952-06-17 第13回国会 衆議院 本会議 第55号

それで、中国の人民救援会がありせんして、一口三千円で日本に送る金をとりまとめ、ナシヨナル・シテイ・バンクを通じて、日本国民救援会にその配付方を依頼して来たので、国民救援会では金を受取り、日中友好協会にその実際の仕事をまかせ、この友好協会によつて、第一回分五百世帯、第二回分七百世帯、それぞれ二百五十万円前後に上る金が、日本にいる家族に届けられたのであります。

苅田アサノ