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79件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1993-04-28 第126回国会 衆議院 本会議 第24号

問題は、政府樹立後であります。政権維持するに必要な統治能力について、それを確立するのにはしばらくの時間が必要であると見なければなりません。正統の選挙された政権ができた以上は、いずれUNTACは引き揚げることは当然であるが、その政権が安定するまでしばらくは、経済と治安維持のために国連後ろ盾を必要とすると見るが、いかがでありましょう。  

塚本三郎

1993-04-28 第126回国会 衆議院 本会議 第24号

我が国といたしましては、選挙を経て、新憲法の制定、新政府樹立に至る時期がカンボジア永続的和平を確立する上で極めて重要な局面と認識をしております。このような状況のもと、種々の困難にもかかわらず、和平プロセス予定どおり進められるように、UNTACの努力を全面的に支持するとともに、カンボジア当事者間の対話の維持を図っていく考えであります。  

武藤嘉文

1993-03-24 第126回国会 参議院 予算委員会 第8号

政府委員澁谷治彦君) 選挙後の治安につきまして、制憲議会選挙の後、新政府樹立までの三カ月間における平和的状況が最も重要である。新政府樹立されるまでの間、当初予想されていたよりも規模の大きいUNTAC軍事部門及び文民警察維持が必要である。それから、安保理UNTAC終了後も新政府治安維持のために引き続き国際支援を望むかどうか検討する必要があるかもしれない。

澁谷治彦

1992-12-08 第125回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

カンボジアにおいては、局地的あるいは散発的な停戦違反事件が発生していると伝えられており、また、カンボジアにおける民主的政府樹立のため、来年五月までに実施される予定選挙に向けて準備が進む中、武装解除拒否姿勢を崩さないポル・ポト派を非難するとともに、一定措置をとることを主な内容とする安保理決議が十二月一日に行われたところでありますが、現在の状況としては、パリ和平協定に基づく和平プロセス基本的枠組

加藤紘一

1992-12-08 第125回国会 参議院 内閣委員会 第1号

カンボジアにおいては、局地的あるいは散発的な停戦違反事件が発生していると伝えられており、また、カンボジアにおける民主的政府樹立のため、来年五月までに実施される予定選挙に向けて準備が進む中、武装解除拒否姿勢を崩さないポル・ポト派を非難するとともに、一定措置をとることを主な内容とする安保理決議が十二月一日に行われたところでありますが、現在の状況としては、バリ和平協定に基づく和平プロセス基本的枠組

加藤紘一

1988-04-22 第112回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会外交・軍縮小委員会 第2号

アフガニスタンにおける真に民族和解政府樹立に向けて、軍事紛争当事者であったソ連政府国際的責任が問われているのであります。また、米国やパキスタンなど周辺諸国政府にもアフガニスタン内政への不干渉の責務が問われているのです。  ところで、最も焦眉の課題は、イラン・イラク戦争を早期終結させ、この地域に和解と恒久的な平和の秩序を回復することです。

福間知之

1982-07-07 第96回国会 衆議院 外務委員会 第21号

この政府樹立宣言の中でも「祖国再建を目指して、ベトナム侵略者からカンボジアを解放する共通の戦いに、」云々、こういうことになっていますね。つまり、ヘン・サムリンの政権に対置して三派が野合している。しかも彼らの目的がベトナムに対する宣戦布告であり、祖国からベトナム侵略者を追い出す。これは私たちは全く見解を異にしておりますけれども、それはそれとしてこういうしろものですね。  

野間友一

1982-07-07 第96回国会 衆議院 外務委員会 第21号

この政府樹立宣言要旨を見ますと、これは政府の体をなしていない、こう言わざるを得ないと思うのです。「参加した各派は、それぞれ与えられる国際的援助を受ける権利を含めて、それぞれの組織、政治的独自性、行動の自由を堅持する。」こういうしろものですね。まさに野合以外の何物でもない。政府のありかもわからない。

野間友一

1982-07-07 第96回国会 衆議院 外務委員会 第21号

この連合政府樹立宣言なるもの、これは新聞報道等を通じてしかわからないわけでありますが、まずお伺いしたいのは、この三派の支配する人民の数はどのように理解され、そして政府は一体どこにあるというふうにお考えなのか。何でもタイ領からきょうはカンボジア領へ入って旗上げするやの報道がありますけれども、この点はどうなんでしょうか。

野間友一

1979-09-07 第88回国会 参議院 本会議 第4号

深刻な危機を克服して八〇年代の希望に満ちた日本をつくる道は、対米追従と大資本擁護と縁を切った政権日本共産党が提唱している革新統一戦線の結成と民主連合政府樹立以外にありません。そのために国民とともに奮闘する決意を表明して、私の質問を終わります。(拍手)    〔国務大臣大平正芳君登壇、拍手

上田耕一郎

1979-04-24 第87回国会 参議院 外務委員会 第8号

特にイスラエルのシナイ半島からの撤退及び西岸ガザ地区における自治政府樹立に関する交渉の進展に左右されるところこれまたきわめて大きいと見ております。前者については、現在のところ、特に大きな問題は予想されませんが、後者の自治政府の態様、権限等について両国間に意見の隔たりがあって予断を許さないものがございます。

園田直

1976-07-28 第77回国会 衆議院 外務委員会 第13号

各党ごと議員を「掌握すべき者」と「打倒排除すべき者」に区分し、「掌握すべき者」については「聯合政府樹立にのみ利用し得る者、」「聯合政府樹立より共和国成立に至る過渡期においても利用し得る者」とに区分する。ここに言う「打倒、排除」とは、その議員の党内における勢力をそぎ、発言権を低下せしめ、孤立に向わせることを言う。「掌握」又は「打倒」は、調査によって明らかとなったその議員の弱点を利用する。

中山正暉

1975-06-17 第75回国会 参議院 地方行政委員会 第12号

共産党自衛隊警察官への宣伝活動を特別に重視すると言っていますが、それはどういうことですか、こういう赤旗読者質問をし、赤旗紙上で回答をしておるわけですけれども、それによりますと、共産党は一九六八年七月の参議院議員選挙のとき、「自衛隊員のみなさんへ」、「警察官のみなさんへ」と、二つのアピールをつくり、自衛隊員警察官に直接広く呼びかけた、民主連合政府樹立現実的課題となっている現在、こうした宣伝活動

三井脩

1974-03-26 第72回国会 参議院 外務委員会 第5号

最後に一点だけ伺っておきますが、それはさっきもちょっと触れましたラオス連合政府につきまして、ラオス連合政府樹立への条件が整って、双方の話し合いが具体的に進んでおるというふうに伝えられておるのであります。私は、ストックホルムからの帰り道にぜひともビエンチャンに寄るつもりでおりますが、この機会に現在のこのラオス連合政府の状態について、今後の見通しについて政府見解を伺いたいと思います。

西村関一

1973-03-29 第71回国会 衆議院 内閣委員会 第10号

民主聯合政府」樹立を、大衆が許容する温床を作りあげること、このための世論造成、これが本工作を担当する者の任務である。   「民主聯合政府」反対の論調をあげさせてはならぬ。しかし、いかなる方式とを問わず、マスコミ自体に「民主聯合政府」樹立の主張をなさしめてはならない。これは、敵の警戒心を呼びさます自殺行為にひとしい。

中山正暉

1970-04-06 第63回国会 参議院 予算委員会 第16号

かねてこの派は武装蜂起して臨時革命政府樹立ということを目標に掲げております。そして昨年の四十四年の秋、大阪戦争あるいは東京戦争と呼びまして街頭等暴力活動をいたしました。そして十一月五日に例の大菩薩峠におきまして軍事訓練中、これが当局、警察のほうで探知しまして五十数名を検挙いたしました。そういう関係からかなり検挙者――今日まで二百数十名の検挙を見ております。

内田達夫

1965-11-01 第50回国会 衆議院 日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する特別委員会 第8号

石橋委員 相手の国の独立政府樹立の日をもって無効とするというならば、朝鮮民主主義人民共和国は一九四八年の九月八日に独立しているのです。政府成立しているのです。そうすると、北の分についてはその日から無効だというのですか。北と南と無効になる日が違うじゃないですか。

石橋政嗣

1965-11-01 第50回国会 衆議院 日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する特別委員会 第8号

というのは、韓国政府樹立宣言をしたのは一九四八年の八月十五日、北のほうが政府樹立宣言をしたのはそのあとの九月九日、だからそのときにはもう無効になっているからいいじゃないか、これは便義主義というやつです。少なくともそういう便宜主義は通用しないということが第一と、特に総理にお聞きしたいのは、北については白紙でございますと終始一貫述べているのです。

石橋政嗣

1965-10-28 第50回国会 衆議院 日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する特別委員会 第5号

こういうような事実が反映されたために、ソ連協議対象団体選定の基準を信託統治の支持に置くべきだと、アメリカ側はこれに反対して臨時政府樹立に協力する意思のある限りすべて協議に参加させるべきであることを主張し決裂した。こういうのが実情です。この段階で米ソ共同委員会が第二次会談をその後約一年ぶりに持った。一年ぶりに持って、七月五日から協議に入っておる。

石野久男

1965-10-28 第50回国会 衆議院 日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する特別委員会 第5号

一九四六年の一月十六日に始まってから五月二十一日再開、そしてそれが歩み寄りが出て、七月五日にはもう臨時政府樹立の話合いができた。ところがそこまで行って、委員会と民主的な団体あるいは政党との関係などで話し合いが持たなくなったときに、だれがどういうふうにしてこの委員会をこわしたのですか。

石野久男