2006-12-04 第165回国会 参議院 決算委員会 第3号
どうぞ、おじいさまの岸元首相が満州国あるいはその後の中国残留孤児にどのようにかかわってこられたかという足跡を是非お調べをいただきたいと思います。 それでは、会計検査院の検査官についてお尋ねをしたいと思います。
どうぞ、おじいさまの岸元首相が満州国あるいはその後の中国残留孤児にどのようにかかわってこられたかという足跡を是非お調べをいただきたいと思います。 それでは、会計検査院の検査官についてお尋ねをしたいと思います。
○山本孝史君 御存じかと思いますけれども、岸元首相は満州国の今で言う通産大臣兼副首相をお務めでございました。戦後は岸内閣を組閣して、その中国敵視政策によって一九五八年五月には日中国交断絶となり、中国残留孤児らの帰国を遅らせることになりました。さらに翌年、一九五九年には、未帰還者に関する特別措置法を制定し、約一万三千人の邦人がいることを知っていながら戦時死亡宣告を行いました。
岸元首相が中国残留孤児問題に少なからぬかかわりを持っておられるということは御存じでしょうか。あるいは、岸元首相から中国残留孤児のことについて何かお聞きになったことがございましょうか。
だから私は、ここで二つ伺っておきますが、改めて、あなたは岸元総理と同じように、憲法上は自衛のためなら核兵器も禁止されていないという立場なのかどうか。もう一つは、やはり核兵器というのは憲法違反だとはっきり言って、その立場を法律上も政策上も貫くべきだと思うんですが、この二点を伺います。
この岸さんの答弁というのは、一九五七年五月七日の参議院の内閣委員会で、侵略を阻止するという性格のもの以上を持つということは憲法が禁止しておる、つまりそれは自衛の範囲を超える、憲法違反だ、ただ核兵器と名がついたら一切いけないのだということは私は行き過ぎだと思うというのが岸元総理の答弁でした。
岸元総理の、内閣の下で官房長官とか法務大臣とかを務めさせていただきました。その節は大変お世話になりました。 そういうことを言いたいというわけではなくて、その揆一の父親、愛知敬一といいまして、東北大学で物理学を学んでおりました。その物理学者としてアインシュタイン博士と親交を持たせていただいておりました。そのアインシュタイン博士が仙台に来たときに幼少時代の揆一がお会いをして、そして言われたそうです。
そこで、まさに安倍総理が総裁選に当たって出されたこの「美しい国へ」の中で、安倍総理は、祖父に当たられる岸元総理についていろいろと述べられております。その中でも、やはり六〇年安保の改定に当たっての岸元総理の態度は、今考えてみても正しかったし、また誇らしいものだ、こういうふうに言われております。私は、それは一つの見方であり、見識だと思います。 そこで、もう一つお聞きをいたします。
また、祖父に当たられる岸元総理は、この満州国の経営に非常に高い位置で当たられた時期があった方であります。 つまりは、一方では侵略であるというのを認めながら、そしてまた、岸元総理について戦後のある部分については高い評価をされながら、もう我々は大人なんですから。つまりは、その同じ人物がその前の時代にやったことについても、今、開戦の詔書の署名は間違っていたと言われました。
○菅(直)委員 私がお聞きしているのは、岸元総理がどうお考えになったかということをお聞きしているんじゃないんです。我々も、もちろん肉親であるかないかは別として、安倍総理の場合だと祖父に当たられますが、岸元総理がかつてやられた六〇年安保についての評価をされた、現代の認識の中であれは正しかったと、それはそれとして一つの認識だと思います。
○山本正和君 これは岸元総理が憲法の議論やあるいは日米安保条約の議論の中で度々言っておられる。その中に、軍隊を出動させると、海外に出すと、いわゆる派兵というと。しかし、その後、政府がいろいろなことを解釈していって、法制局長官がPKOのときに先ほど長官が言われたような話をしたんですよ。私どもはその議論をずっとやってきているわけだから、昔から。
そういうことを離れて、先ほど集団的自衛権の解釈、典型的な例はこうだとかいうようなことで岸元総理の答弁等をお示ししてありますけれども、そういったように、そもそも我が国の防衛と、直接外部からの武力攻撃が我が国にないというような状況において他国を防衛する、俗っぽく言えばそういうことですが、そういうことが許されるかということになりますと、これは憲法九条の一項から二項全体を、解釈を根本から一回、整合性をとるためにひっくり
○岸元學君 高橋さんは組合が違うのです。教職員組合にもいろいろありまして、だから、高橋さんの勤められているところ、また高橋さんの所属している職員団体はそういうふうにおやりになったのでしょう。 以上です。
○岸元學君 一定の成果はあると思います。
例えば、広島県の岸元先生、参議院の予算委員会の参考人として述べられておりますけれども、もう時間がありませんから簡単に言いますけれども、国旗掲揚、国歌斉唱もやめろという強要をされた、もし実施するなら街宣車で卒業式をひねりつぶすぞ、こういうようなことも言われたと。
こういう中で、先日、広島県の高等学校長協会の会長であられる岸元先生が参議院の予算委員会で参考人として証言されておられるわけでございますけれども、その中で岸元先生が言っておられるのは、学校現場での君が代の斉唱等をめぐりまして、校長先生たちが、広島県の部落解放同盟、これはほかの県の部落解放同盟とはちょっと違うようでございますけれども、広島県の部落解放同盟あるいは教職員組合の人々から大衆団交を受ける、そしてその
○国務大臣(有馬朗人君) 先日の予算委員会で岸元広島県高校長協会会長のお話を伺いました。 その中で、県立世羅高校長の自殺事件のことにも触れながら、広島県における研究現場の困難な状況を率直に話されたものと真摯に受けとめた次第でございます。
加えまして、岸元先生のきょうの御出席に心から感謝を申し上げまして、質問を終わりたいと思います。ありがとうございました。
○参考人(岸元學君) 今回の卒業式にかかわる状況を見ますと、私は教育介入という以外に言葉を選ぶことはございません。以上です。
○矢野哲朗君 岸元先生の勇気ある行動、私も評価をさせていただきたいと思います。 本題に入ります。 このたび、石川校長が卒業式の前日、去る二月二十八日に自殺に追い込まれました。岸元先生、校長協会の会長といたしまして自殺に至る経緯について御存じのことが多々あると思います。できる限り具体的に御説明を願いたい。
岸元首相が初代会長を務めたこの議員同盟は、いわゆる自主憲法制定あるいは憲法九条の改正などをスローガンに掲げて、自主憲法制定国民会議とともに憲法改正運動を進めてきた団体であることは公知の事実であります。 ここに、同盟の規約とそれから趣意書がありますが、どう書いてあるかといいますと、この憲法の基本原則は堅持されねばならないと一応はした上で、こう言っています。
まさにこれは、岸元総理ではありませんけれども、声なき声であります。 ですから、ぜひひとつ、私が冒頭申し上げましたように、大臣は東京都の御出身でありますから、恐らく大臣の性格からいって、これは東京に持ってきたいけれども、いや群馬かなという、心の隅にあるいはあるのではないかなとこのように私は推察をするわけであります。
昔は、岸元総理が覚書で、おれの後継者は、大野伴睦に譲ると書いた。だけれども、総理大臣の一筆も当てにならなかった。なれなかったんです。いわんや役人同士の一筆というのは、とてもじゃないけれども当てにならないように思いますが、これは僕は、法律以上に重かったと思うんですけれども、大蔵大臣どうでしょうか。
○説明員(吉田茂君) 御指摘のような通知につきましては、ただいま先生から御指摘がありました昭和五十五年の故大平元総理、昭和六十二年の故岸元総理の葬儀がありまして、その際も同様に通知を発しております。基準といたしましては、このことが閣議で了解されるというケースにおいて通知を発しておるわけでございます。
岸元総理は、一九六〇年五月十日の衆院安保特別委員会で、この条約の締結が米極東戦略の一環として日本を縛りつけるという前提は間違っている、この条約はあくまで日本の平和と安全を確保するためのものであり、また現行条約の不合理を改めようとするものであると述べています。
佐藤総理大臣のもとでできたわけでありますし、岸元総理もこの問題に関しては大変御熱心でいらっしゃったわけです。地方自治に精通されておられますし、また自治体の財政が厳しいことも大臣十分御承知だと思いますけれども、こういった中で、これからの部落問題、また、同和行政に対する決意のほどをお聞きしたいと思うのです。
御承知のとおり、今言われました同対審答申、一九六五年、昭和四十年に時の佐藤総理大臣の深い御理解、また後ろに絵が飾ってあります岸元総理なども非常に御熱心でいらっしゃった。そういった中で、同和問題は人類普遍の原理であり、人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題であるというふうに言われております。
岸元首相の葬儀費については、政府と政党の区別を明確にすべきものと考えます。 警察庁の経費は十分予見されるものと考えられ、当初予算において措置すべきものであります。その額が六十一年度六十七億、六十二年度五十億を超えており、現下の財政事情における各省庁配分のバランスを崩す結果ともなっています。 首相の海外出張についても、主要国首脳会議等十分予見できる経費であります。
○新村委員 次に、六十二年九月十六日の岸元首相の葬儀費でありますが、岸氏の功績ということについてはこれはそれでそれなりにですが、内閣と自民党の合同葬という形になっておりますが、これは国務と党務の混同という印象を与えておるようですけれども、内閣なら内閣だけの葬儀とすることがいいのではないかと思うのですけれども、その趣旨はいかがですか。
私もその当時初めて国会に議席を得ましたが、お亡くなりになりました岸元総裁が、派閥解消は天の声である、こう言われました。若い私はそれに何の抵抗もなく、立派だな、こんな感じを受けたことも正直事実でございます。しかし、その後保守合同というものが定着いたしますと、あるいは考えようによれば、ルーツというような問題が年とともに風化したのではないか。