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184件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2006-12-04 第165回国会 参議院 決算委員会 第3号

山本孝史君 御存じかと思いますけれども、岸元首相満州国の今で言う通産大臣兼副首相をお務めでございました。戦後は岸内閣を組閣して、その中国敵視政策によって一九五八年五月には日中国交断絶となり、中国残留孤児らの帰国を遅らせることになりました。さらに翌年、一九五九年には、未帰還者に関する特別措置法を制定し、約一万三千人の邦人がいることを知っていながら戦時死亡宣告を行いました。

山本孝史

2006-11-28 第165回国会 衆議院 総務委員会 第7号

この岸さんの答弁というのは、一九五七年五月七日の参議院内閣委員会で、侵略を阻止するという性格のもの以上を持つということは憲法が禁止しておる、つまりそれは自衛の範囲を超える、憲法違反だ、ただ核兵器と名がついたら一切いけないのだということは私は行き過ぎだと思うというのが岸元総理答弁でした。  

吉井英勝

2006-10-12 第165回国会 参議院 予算委員会 第2号

岸元総理の、内閣の下で官房長官とか法務大臣とかを務めさせていただきました。その節は大変お世話になりました。  そういうことを言いたいというわけではなくて、その揆一の父親、愛知敬一といいまして、東北大学で物理学を学んでおりました。その物理学者としてアインシュタイン博士と親交を持たせていただいておりました。そのアインシュタイン博士が仙台に来たときに幼少時代揆一がお会いをして、そして言われたそうです。

愛知治郎

2006-10-05 第165回国会 衆議院 予算委員会 第2号

そこで、まさに安倍総理総裁選に当たって出されたこの「美しい国へ」の中で、安倍総理は、祖父に当たられる岸元総理についていろいろと述べられております。その中でも、やはり六〇年安保の改定に当たっての岸元総理の態度は、今考えてみても正しかったし、また誇らしいものだ、こういうふうに言われております。私は、それは一つの見方であり、見識だと思います。  そこで、もう一つお聞きをいたします。  

菅直人

2006-10-05 第165回国会 衆議院 予算委員会 第2号

また、祖父に当たられる岸元総理は、この満州国の経営に非常に高い位置で当たられた時期があった方であります。  つまりは、一方では侵略であるというのを認めながら、そしてまた、岸元総理について戦後のある部分については高い評価をされながら、もう我々は大人なんですから。つまりは、その同じ人物がその前の時代にやったことについても、今、開戦の詔書の署名は間違っていたと言われました。

菅直人

2006-10-05 第165回国会 衆議院 予算委員会 第2号

○菅(直)委員 私がお聞きしているのは、岸元総理がどうお考えになったかということをお聞きしているんじゃないんです。我々も、もちろん肉親であるかないかは別として、安倍総理の場合だと祖父に当たられますが、岸元総理がかつてやられた六〇年安保についての評価をされた、現代の認識の中であれは正しかったと、それはそれとして一つ認識だと思います。  

菅直人

2004-02-06 第159回国会 参議院 イラク人道復興支援活動等及び武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会 第4号

山本正和君 これは岸元総理憲法議論やあるいは日米安保条約議論の中で度々言っておられる。その中に、軍隊を出動させると、海外に出すと、いわゆる派兵というと。しかし、その後、政府がいろいろなことを解釈していって、法制局長官がPKOのときに先ほど長官が言われたような話をしたんですよ。私どもはその議論をずっとやってきているわけだから、昔から。  

山本正和

2003-05-15 第156回国会 衆議院 憲法調査会統治機構のあり方に関する調査小委員会 第3号

そういうことを離れて、先ほど集団的自衛権解釈、典型的な例はこうだとかいうようなことで岸元総理答弁等をお示ししてありますけれども、そういったように、そもそも我が国の防衛と、直接外部からの武力攻撃我が国にないというような状況において他国を防衛する、俗っぽく言えばそういうことですが、そういうことが許されるかということになりますと、これは憲法九条の一項から二項全体を、解釈を根本から一回、整合性をとるためにひっくり

津野修

1999-03-30 第145回国会 衆議院 地方行政委員会 第10号

こういう中で、先日、広島県の高等学校長協会会長であられる岸元先生参議院予算委員会参考人として証言されておられるわけでございますけれども、その中で岸元先生が言っておられるのは、学校現場での君が代の斉唱等をめぐりまして、校長先生たちが、広島県の部落解放同盟、これはほかの県の部落解放同盟とはちょっと違うようでございますけれども、広島県の部落解放同盟あるいは教職員組合の人々から大衆団交を受ける、そしてその

平沢勝栄

1999-03-10 第145回国会 参議院 予算委員会 第13号

矢野哲朗君 岸元先生の勇気ある行動、私も評価をさせていただきたいと思います。  本題に入ります。  このたび、石川校長卒業式の前日、去る二月二十八日に自殺に追い込まれました。岸元先生校長協会会長といたしまして自殺に至る経緯について御存じのことが多々あると思います。できる限り具体的に御説明を願いたい。

矢野哲朗

1999-03-01 第145回国会 参議院 予算委員会 第7号

岸元首相初代会長を務めたこの議員同盟は、いわゆる自主憲法制定あるいは憲法九条の改正などをスローガンに掲げて、自主憲法制定国民会議とともに憲法改正運動を進めてきた団体であることは公知の事実であります。  ここに、同盟の規約とそれから趣意書がありますが、どう書いてあるかといいますと、この憲法基本原則は堅持されねばならないと一応はした上で、こう言っています。

橋本敦

1998-03-19 第142回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第1号

まさにこれは、岸元総理ではありませんけれども、声なき声であります。  ですから、ぜひひとつ、私が冒頭申し上げましたように、大臣東京都の御出身でありますから、恐らく大臣性格からいって、これは東京に持ってきたいけれども、いや群馬かなという、心の隅にあるいはあるのではないかなとこのように私は推察をするわけであります。

小林多門

1996-02-05 第136回国会 衆議院 予算委員会 第6号

昔は、岸元総理が覚書で、おれの後継者は、大野伴睦に譲ると書いた。だけれども、総理大臣の一筆も当てにならなかった。なれなかったんです。いわんや役人同士の一筆というのは、とてもじゃないけれども当てにならないように思いますが、これは僕は、法律以上に重かったと思うんですけれども、大蔵大臣どうでしょうか。

笹川堯

1995-09-27 第133回国会 参議院 決算委員会 閉会後第5号

説明員吉田茂君) 御指摘のような通知につきましては、ただいま先生から御指摘がありました昭和五十五年の故大平元総理昭和六十二年の故岸元総理葬儀がありまして、その際も同様に通知を発しております。基準といたしましては、このことが閣議で了解されるというケースにおいて通知を発しておるわけでございます。

吉田茂

1991-03-13 第120回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第3号

佐藤総理大臣のもとでできたわけでありますし、岸元総理もこの問題に関しては大変御熱心でいらっしゃったわけです。地方自治に精通されておられますし、また自治体の財政が厳しいことも大臣十分御承知だと思いますけれども、こういった中で、これからの部落問題、また、同和行政に対する決意のほどをお聞きしたいと思うのです。

松本龍

1991-02-20 第120回国会 衆議院 建設委員会 第3号

承知のとおり、今言われました同対審答申、一九六五年、昭和四十年に時の佐藤総理大臣の深い御理解、また後ろに絵が飾ってあります岸元総理なども非常に御熱心でいらっしゃった。そういった中で、同和問題は人類普遍の原理であり、人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題であるというふうに言われております。

松本龍

1988-05-09 第112回国会 衆議院 決算委員会 第5号

岸元首相葬儀費については、政府と政党の区別を明確にすべきものと考えます。  警察庁の経費は十分予見されるものと考えられ、当初予算において措置すべきものであります。その額が六十一年度六十七億、六十二年度五十億を超えており、現下の財政事情における各省庁配分のバランスを崩す結果ともなっています。  首相海外出張についても、主要国首脳会議等十分予見できる経費であります。  

新村勝雄

1988-05-09 第112回国会 衆議院 決算委員会 第5号

新村委員 次に、六十二年九月十六日の岸元首相葬儀費でありますが、岸氏の功績ということについてはこれはそれでそれなりにですが、内閣と自民党の合同葬という形になっておりますが、これは国務と党務の混同という印象を与えておるようですけれども、内閣なら内閣だけの葬儀とすることがいいのではないかと思うのですけれども、その趣旨はいかがですか。

新村勝雄

1987-12-01 第111回国会 衆議院 本会議 第3号

私もその当時初めて国会に議席を得ましたが、お亡くなりになりました岸元総裁が、派閥解消は天の声である、こう言われました。若い私はそれに何の抵抗もなく、立派だな、こんな感じを受けたことも正直事実でございます。しかし、その後保守合同というものが定着いたしますと、あるいは考えようによれば、ルーツというような問題が年とともに風化したのではないか。

竹下登