1974-05-29 第72回国会 参議院 災害対策特別委員会 第10号
学者がほぼ一致して、必ずくると言い切るだけの学問的根拠がそろっているのにかかわらず、合理的な地震対策がとんと動き出さない日本に対する皮肉な言い方だということをいっている記事があります。それから木村耕三気象庁の前観測部長は、大地震がおそろしくてとても首都圏には住めませんとそう言って郊外に家を建てた、こういうことも書かれております。
学者がほぼ一致して、必ずくると言い切るだけの学問的根拠がそろっているのにかかわらず、合理的な地震対策がとんと動き出さない日本に対する皮肉な言い方だということをいっている記事があります。それから木村耕三気象庁の前観測部長は、大地震がおそろしくてとても首都圏には住めませんとそう言って郊外に家を建てた、こういうことも書かれております。
これをどのような学問的根拠、背景のもとにきめたかということにつきましてはここでは省略させていただきます。ただ、その背景には膨大な研究、調査、検査の資料があったということを申し添えておきます。 それから第二点といたしまして、水銀の暫定的規制値というものを定めてございます。
そうかといって、しかしこれは、藤本先生の論文というのは相当学問的根拠があるんだろうから、その点についてはやはり正式に何らかの解明をすべきではないだろうか。ところが嶋崎先生、これまた考えようによりまして、あっちこっちでいろいろな論文を発表されますね。
○滝沢説明員 そういうことについては、からだの放射能の影響が他人に及ぶということの学問的根拠はございません。
いまの学問的根拠があるかどうかというお話でございますけれども、私からちょっとお答えする能力がございませんので、お許しいただきたいと思います。
そこで、二人で二回にわたって対談をしているけれども、ただ晴天乱気流を否定するにとどまって、学問的根拠も示されず、二年以上にわたってその回答を出さない、反論もしない、そうして放置しておくということは、私はまことに無責任じゃないか、こう思うのです。この点非常に遺憾だと思うのです。 そこで、きょうおいでいただいております北岡所長にお尋ねするわけでございますが、どうして回答をしないのか。
これは別に学問的根拠があって言うわけでも何でもありません。
またこういう中小企業対策を進めていく、あるいは充実していく上においてどうしてもやはり学問的根拠が必要なんですけれども、中小企業の専門家というか、学者というものがほとんど見当らない。実は私、役人になるときに商工政策というのを高文で選んだわけなんですが、上田貞次郎先生の著作も読んだことがあります。
そういう立場からいうならば、先生が鑑定書としてお出しになりましたその主張をされる学問的根拠といいますか、そういうものは一応の価値があるといたしましても、最高裁の判旨の中において取り入れられましたものは、先生の主張というものが退けられておる、こういうふうにわれわれは受け取るのであります。
しかも過去の検査があるのだから、その検査の中でこういう症状が出た人というものは、医学的に見たら二回だけの検査ではだめなのだ、やはりそれを四回なり六回なりやらなければだめだという何も学問的根拠がないのに、国民の税金を二回から四回、四分の一程度ふやしたらいいだろうということでは権威がないと思うのです。
したがって、今日、もちろん学問的根拠ではいろいろの問題がありましょうけれども、明治以来なれてまいりましたこの日、われわれが建国の日であると考えてまいりました日、国民が神話として、あるいは伝説としてこれが尊敬せられている日をもって建国記念日とするという考え方のほうが、常識的にも、民族的感情にも合致するというような考え方で、建国記念日を二月十一日という日をわれわれは予定する。
いまあなたが言われたように、学問的根拠というものはそうはっきりいたしておるものではありません。これはなるほど二十五レントゲンであるとか、あるいは十五レントゲンであるとかいうことをいっても、しかしこれはそう権威のある学問というものは私はあるとは思わない。ところが、それならばこれを撤廃をしろというなら、それだけの根拠があってしかるべきだ、こうあなたはおっしゃる。
これはきょう詳しくということでございますれば、保険庁からも予算面については御説明をさせたいと思いますが、ただ困るから薬価負担というだけの考えでなく、いろいろな学問的根拠といいますか、社会保障のあり方としてやりたいというような事務的なベースもございまして、そういう考えのあったことがそういうふうになった、こういうことでございます。
私ども教育学者の間で討議いたしました意見で、共通的に出ておりまする点は、中学校の上学年から高等学校の年令の段階では、生徒の能力、興味というようなものは変化に富んでおって、職業的志望の変更ということもいろいろあり得ることであり、中学校修了段階で、将来テクニシャンたるべきことを決定し得る学問的根拠というものがないのではないか、さように考えられておるのであります。
二月十一日が神武天皇即位の日であると決定したことは、何ら学問的根拠がなく、明治政府の勝手に作り上げたものであることは明瞭であります。すなわち、明治五年十一月十五日及び十一月二十三日の太政官布告は、一月二十九日を紀元節と決定しながら、翌六年十月四日には二月十一日と決定したのであります。
そうすると、何も学問的根拠がなく、去年はぱたっと禁止した。無定見きわまるやり方だ。また、何のその後の調査もはかどらず、そうして今度はいつ解除されるのか禁止されるのかわからぬけれども、これを一体どうするのか。今の日本の水産業は非常に困っている。困っているのだから、この結論があるいは外国は何もないというなら一日も早く解除して、日本の遠洋漁業に利用させなければならぬ。
そういう意味におきまして、私はスケールの大きな、しかも深い学問的根拠を持った研究所を作ることは、小林参考人はどういう御意見かわかりませんが、私は日本の現状においては困難ではなかろうかと思うのであります。それで、一つの方法といたしまして、国家的性格を持った、必ずしも国立とは限りませんが、国家的なあるいは政府が力を入れてあと押しするような研究所でなければ、私は実現がおぼつかなかろうと思うのであります。
そういうふうに、とにかく学問的根拠が非常に薄弱でございますために、ものの考え方によってすぐ一けた上ったり下ったりするようなわけでございます。できるだけ早く研究所のようなもので、研究——これは個人々々の努力といったようなものでてきるものではございませんで、相当組織的な研究をいたさなければなりませんので、研究所といったようなものが一日も早く作られますことを希望しておるのであります。
○岩原参考人 先ほどからの話を耳にとめておっていただいたら、了解いただけると思いますが、現在広い意味における医業類似行為の学問的根拠は、われわれが探さなければならない。たとえば指圧は、おそらく神経が筋肉を貫通する部分、いわゆる急所を押してよくきいたとか、きかないという刺激療法ではなかろうかと想像する次第であります。
その倍率についてはどのくらい多いか、これは学問的根拠はないのでありますが、いろいろ相談しまして、まず四、五倍と踏んでいいのではないか、かりに多い方をとりまして五倍といたしまして、先の二十倍によりまして大体百倍と見られるということで、せいぜい一プロならばまずこれはやむを得ないだろう、そういうような意見を持つたのであります。