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91件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1998-03-31 第142回国会 参議院 交通・情報通信委員会 第7号

それで、九六年一月二十二日に外務省郵政省、NHK、在日米軍在日米大使館の五者協議が開かれたんですね。それで、米軍持ち帰り検討。しかし、守住委員指摘されたように、それから二年たっていまだに回答がないんですね。この問題は既に二十年にわたっているんです。日本側地位協定の第十三条に基づく租税ではないと、米軍側租税だと言って意見対立したまま二十年たっているんです。  

上田耕一郎

1995-11-06 第134回国会 衆議院 外務委員会 第5号

一日の外務大臣防衛庁長官ペリー国防長官会談におきましては、沖縄県における米軍施設、区域の整理統合を促進するために日米安全保障協議委員会、いわゆる2プラス2というものでございますが、そのもとに、日本側外務省防衛庁局長級等が参加し、アメリカ側からは国務省、国防省の、言ってみれば政策レベルの人に出ていただき、在日米大使館それから太平洋軍司令部在日米軍関係者が参加するような形の新たな協議の場

折田正樹

1994-11-29 第131回国会 参議院 内閣委員会 第8号

私が指摘をしたいのは、こうして大倉商事が組織改正までしてガルフストリームの導入に全力を挙げ始めたまさにその九二年のころでありますが、それに先立つ九一年十一月十日に、我々の調査によりますと、ホテルオークラで米国防省安全保障担当次官代理カール・W・フォード氏と在日米大使館員、そこにカーボー氏が加わる、それに田村参議院議員も加わり、それから防衛庁航空自衛隊技術研究本部航空機開発官である松宮氏が加わって

橋本敦

1991-07-04 第120回国会 参議院 農林水産委員会 閉会後第1号

説明員川合淳二君) そこで触れているのは、恐らくアメリカ政府から在日米大使館へ来た文書についてであろうと思いますが、私どもはその文書がそういうものであるかどうかということを確認しておりませんし、私どもに置かれたメモが全くないわけではございませんけれども、それもそうした文書であるかどうかということは少なくとも農林省の方では確認がとれておりません。

川合淳二

1991-03-26 第120回国会 参議院 外務委員会 第2号

立木洋君 なぜそういうことをくどくど言うかといいますと、結局新聞で幾つかの報道を見ていますと、既に食糧庁の方からもこの問題については、アメリカ側に対してもアメリカ米協議会に対してもあるいは在日米大使館に対してもきちっと文書でも口頭でも回答しているし述べてある。しかし、それでもなおかつはっきりしないというふうな状態になっている。

立木洋

1988-12-14 第113回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

もしワシントンにおいてもそれだけ重要視をし、事あるごとに皆さん日米合同委員会なり在日米大使館なりアメリカの要路のしかるべき人に督促なり督励をしているというなら、もっと迅速に処理することが県民感情なり今の事態にこたえる姿勢じゃないですか。我々はこれができない日本政府姿勢を問題にしているのです。どこに原因があるの。ぜひ大臣の――やろうとしても二カ月たってもできないという原因はどこにあるのですか。

上原康助

1988-10-26 第113回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第2号

並行して、外務省在日米大使館から関係者を呼びまして抗議をするとともに、合同委員会の場、これは現在の日米最高会議になっているわけでありますけれども、そこで外務省と我々が一緒になりまして同様趣旨のことを申し入れました。また、在日米軍司令官参謀長のクーパーという少将がおりますが、海兵隊の出身で最高責任者でございますので、昨日私直接会いました。

池田久克

1988-05-12 第112回国会 衆議院 内閣委員会 第11号

○竹内(勝)委員 先般、私は三月一日の予算委員会におきまして御質問させていただきまして、有馬政府委員から御答弁いただいた中にございますが、一九五四年に結ばれたMDA、日米相互防衛援助協定、この事務局に数年前まで勤めておった、それから在日米大使館に勤めていた軍事アナリストでございますグレッグ・ルービンシュタインの論文を私は予算委員会で提示いたしまして、そしてその中にあるGSOMIAというのはどういうものなのかということを

竹内勝彦

1987-04-14 第108回国会 衆議院 予算委員会 第12号

その二十二日に下田バンディ会談が行われた翌日二十四日に、当時、ラスク国務長官から在日米大使館に長文の極秘電報が送られたわけてあります。我が党が発見したというこの公式文書は、その極秘電報の全文であります。  これを受けたのは当時のライシャワー大使であります。そうしてこの電報を受けてから五日目、三月一日に、当時の椎名外務大臣発言で、下田次官発言は事実上消されました。

金子満広

1986-04-15 第104回国会 参議院 逓信委員会 第8号

具体的には、大臣みずからあらゆる機会をとらえていただきましてアメリカ議員に直接意のあるところを訴えかける、あるいは在日米大使館その他有識者に対しまして開放措置現状を強く訴えるパンフレットをつくる、あるいはアメリカにおいて行われる各種のシンポジウム、セミナーに郵政省の職員を派遣して、開放現状ととった措置についてPRをするといったような手段方法を講じてきております。

奥山雄材

1986-04-15 第104回国会 衆議院 科学技術委員会 第8号

アメリカ側からは在日米大使館首席公使MDAO所長の合計五人で成り立っておるわけでございますが、この武器技術共同委員会JMTCの第一回会合が五十九年十一月六日に開かれておるわけでございます。  さて、そうした枠組みができ上がっておりますが、アメリカ側からこの枠組みに基づきまして、いわゆる第一号案件というものの要請が昨年ございました。

山田勝久

1985-05-22 第102回国会 衆議院 安全保障特別委員会 第6号

JMTCは、日本側外務省、通産省、防衛庁の三省庁より成っておりまして、アメリカ側在日米大使館公使MDAO所長でございます。そしてこの第一回が昨年の十一月六日に行われまして、以後開かれておりませんけれども、もしも対米技術供与という課題が出てまいりまして、アメリカ側が提案をする場合はこのJMTCという場を通じ、また、先生御指摘のような外交経路を通じて申し込んでくるものでございます。

山田勝久

1985-04-08 第102回国会 衆議院 安全保障特別委員会 第4号

そしてソ連SS20に対する効果的防衛についても触れまして、ヨーロッパでの侵略防止に大きな影響を持ち得るとしているのでありますけれども在日米大使館がつくったテキストでありながら、ソ連SS20に対する極東での効果的防衛、こういう考え方には全く触れられていないわけであります。そういたしますと、我が国の防衛上SDIというものが関係のないようなシステムに思われるわけですが、いかがでしょうか。

神崎武法

1984-04-18 第101回国会 衆議院 外務委員会 第8号

また、マンスフィールド大使を初めとして在日米大使館皆さんにもお心遣いやお骨折りをいただいたことを重ねてこの場所で御報告とともに感謝の意を表したいと思うのでございます。民間団体では、国際交流センター皆さんにも大変なお骨折りをいただいたことも、あわせてここでお礼の気持ちを申し上げたいと思います。  

土井たか子