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38件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1980-11-07 第93回国会 参議院 本会議 第7号

ベトナム戦争は崇高な大義の戦争」と公言し、    〔議長退席、副議長着席カーター政権同盟政策を批判してきたレーガン氏は、選挙公約でも一層の軍事同盟強化政策を主張し、特に日本については「アメリカアジア政策の主柱」と位置づけ、「日本国防努力が大幅に強化されることを強く求める」と述べております。  

安武洋子

1973-05-30 第71回国会 衆議院 外務委員会 第18号

永末委員 アメリカ同盟政策に非常に変化がきておるし、それはやはりリチャードソン報告の中にもはっきり出ておる。その変化の中で、きょうは時間がございませんから、この次にまたお伺いいたそうと思いますが、アジアに対するアメリカ防衛方針は、やはりベトナム戦争の終結とともに変わってきておると思います。

永末英一

1973-01-30 第71回国会 衆議院 本会議 第5号

拍手)  総理は、日米軍事同盟政策危険性から国民の目をそらさせるために、最近の世界情勢に関連して、力による対決の時代が終わったかのように述べております。しかし、ニクソン政権が力の政策を放棄していないことは、ベトナム周辺はもとより、極東の米軍兵力を引き続き維持し、強化さえしている事態を見ても明白であります。  

村上弘

1972-05-31 第68回国会 衆議院 外務委員会 第19号

またインドは御承知のとおり政策といたしまして非同盟政策をとっている。したがいまして、他の国との軍事同盟によりまして自国安全保障はできないという事情にある。したがいまして、インドは国内的にあるいは核武装論というものが一部にある、こういうことが支障となりましてこの条約に加盟できないのではないかというふうに考えております。

影井梅夫

1969-03-20 第61回国会 参議院 内閣委員会 第7号

それから国際的には非同盟政策を標榜いたしております。国民のほとんど全部がアラブ人で、人口約百五十万、主として農業に従事しております。わが国との関係は、貿易面では輸出が大体二千五百万ドル、輸入が千万ドルというほかに、本邦水産会社との合弁会社の設立の動きもありますし、アデン港には従来から本邦の船舶がたくさん寄港しておる。

愛知揆一

1969-03-17 第61回国会 衆議院 外務委員会 第6号

そして、このユーゴの共産党の大会においてば、むろん外交独自性といいますか、非同盟政策はやっているわけですけれども、そのほかに、特にチェコスロバキアに対するソ連軍事的干渉政策をはっきりと非難する、こういうような点が特色であったのではないかと思うのです。そういう問題について、おそらく外務省の出先のほうからもいろいろな御報告があったと思うのですけれども、これらの問題についてどういうふうな報告なのか。

曾禰益

1969-03-17 第61回国会 衆議院 外務委員会 第6号

それがあれだけの、実はソ連圏にほとんど接しておりながら、思い切った自主外交をやっている、いわゆる非同盟政策というものも、これを守るだけの気魄と体制というものは、これは相当わが国においても——日本では非常に中立主義というものが流行しておりますが、こういうように現実にソ連圏にほとんど境を接した国が、どういうふうにしてどういう体制で、この非同盟政策を守っていくか。

曾禰益

1969-02-03 第61回国会 衆議院 予算委員会 第2号

中立志向の定着は、自衛隊を必要と認める者の大多数も、もっぱら災害に備える役割りに重点を置いておる事実と相まちまして、私は、日本国民が、安全保障の手だてとして特定国との同盟政策軍備強化などの軍事的手段以外のものを求め、かつ、その求めるところのものが実際に達成可能だと信じていることの何よりの証拠ではないかと思うのであります。

江田三郎

1966-06-21 第51回国会 衆議院 大蔵委員会 第51号

したがって、そういう角度に立って考えまするならば、アジア開銀に参加する諸国は、アジアのみならずいろいろな国々が入っておる、そしてわがアジアの地域においてこれに参加する国は、たとえば軍事的に他の国と同盟関係を結んでいる国もあるし、あるいは非同盟政策自国の国是としている国もあるわけです。

永末英一

1966-04-07 第51回国会 衆議院 内閣委員会 第25号

そこで、第二次世界大戦後新しく独立をいたしました東南アジア国々というのは、私はやはり中立外交、非同盟政策をとっている国が主流であろうと思うのでありますが、そういうような立場から、幾ら経済的なベースで問題を処理するといたしましても、それにはやはり日本としてはどういうような外交政策のもとにおいてそういう経済援助方向を考えるのだという一つ方向というものが、政策としてなければならないと思うのであります

村山喜一

1960-02-10 第34回国会 参議院 本会議 第6号

一つは、力の均衡と同盟政策国際政治の不動の原理とし、軍備をあくまで独立と安全の最後のよりどころとする、これまで通りの国家観にしがみつき、その方向日本の将来をゆだねる道であります。他は、おびただしい惨害と犠牲を経て生まれた新憲法の画期的理想を、この戦後最大の転機に際して、あらためて世界に高く掲げ、その実現のために全力を傾ける道であります。

佐多忠隆

1958-04-01 第28回国会 衆議院 本会議 第24号

昭和八年同校卒業後、国民同盟政策研究倶楽部員となり、政策調査立案に従事されたのでありますが、昭和十五年には東方会に入り、組織宣伝部員として党勢の拡張に活躍されたのであります。昭和十七年には武蔵野書房を創立し、その経営に当られ、また、みずからも筆をとって、「濠洲発達史」、「北越草莽維新史」、「雷撃」等の書を著わされたのであります。

佐藤觀次郎

1954-04-26 第19回国会 参議院 外務委員会 第25号

相互がだから時来らば実力で解決するという危険、何といつてもヨーロツパの自由世界政策に協力する集団安全保障機構の中に入つておる強国すらそういう心配を持ち、アメリカがそうして欧州諸国をそういう危機が到来したら犠牲に供するつもりで欧州同盟を求めようとしていると考えている、この誤解を払拭せんといけないと言つているのは、やはり私は対立する集団安全保障にしても、同盟政策にしても、いつでも世界の歴史は対立した

中田吉雄

1954-04-26 第19回国会 参議院 外務委員会 第25号

中田吉雄君 少し問題の取上げ方が総論的になつて大変恐縮だと思うのですが、この前文はアメリカのとります、或いは日本のとろうとしています外交政策安全保障形態等に対する基本的な問題が織込まれた全体を貫く思想が要約されている大切な問題と思いますので、少し総括的になつて恐縮ですが御了承願いたいと思うのですが、十九世紀並びに二十世紀の初頭における安全、平和の保持の方法としては同盟政策がとられ、そうして今の

中田吉雄

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