2005-01-19 第161回国会 衆議院 議院運営委員会図書館運営小委員会 第2号
三のプランゲ文庫(占領期刊行図書)の収集経費につきましては、連合国最高司令官総司令部(GHQ)が検閲のために収集し、現在米国メリーランド大学が所蔵する我が国占領期の刊行図書のうち、まず児童書から順次マイクロフィルム等に複製し収集するための経費として五千七百万円を計上しております。 四は、施設整備経費でございます。
三のプランゲ文庫(占領期刊行図書)の収集経費につきましては、連合国最高司令官総司令部(GHQ)が検閲のために収集し、現在米国メリーランド大学が所蔵する我が国占領期の刊行図書のうち、まず児童書から順次マイクロフィルム等に複製し収集するための経費として五千七百万円を計上しております。 四は、施設整備経費でございます。
そして、占領期の改革というのは何が起こったかということなんですけれども、私が個人的に考えますに、まだ地方にそんなに力がないにもかかわらず、地方に移し過ぎてしまって大混乱を来してしまったというのがこの占領期の改革であったかと思います。
プランゲ文庫は、日本占領期の我が国のあらゆる出版物を連合国最高司令官総司令部(GHQ)が検閲のために集め、現在は米国メリーランド大学が所蔵しているコレクションでございます。この経費は、既に複製により収集いたしました雑誌、新聞に引き続き、図書をマイクロフィルム等に複製し、収集するためのものでございます。 第四は、施設整備に必要な経費でございます。
○国務大臣(谷垣禎一君) 今、竹中大臣は財政や経済政策の面でおっしゃいましたけれども、要するに、戦後の占領期からどう日本が独立をしていくかというような過程につきましても、今生き証人の数少ないお一人ではないかと思っておりまして、そういう意味では戦後日本の政治、経済全体の設計に大きなかかわりを持ってこられた先達だというふうに私は思っております。
私もこの前、逓信大臣に、懇談がありましたときに逓信大臣がお話しになって、いわゆるイラクと米国の妥協は非常に難しくて、主権移譲後も占領期と同じ無協定状態が、異常事態がしばらく続きそうだと、ここは報道しているんですけれども、そういう問題がやはり存在すると。
それは、一つには、戦後の七年に及ぶ占領期におけるアメリカの日本支配によって培われた卑屈なまでの対米観と無縁ではないと思われます。そして、それとタイアップして進められた戦後民主主義教育との一体不離の関係に思いをいたさざるを得ません。つまりは、またしてもというか、やはり当調査会で進められている憲法の問題に行き着くわけであります。
私、冒頭にまずお聞きしたいと思いますのは、憲法をめぐるこの日本における状況というものについて、私なんかは、短い時間ですから端的に申し上げますと、私自身にもあるのですけれども、やはり戦後日本の占領期における、私たちの命の底に深く沈められたアメリカ占領期における日本人の意識というものが、今この憲法に対する対応の問題で陰に陽に大きな力を発揮しているんじゃないかと思っております。
日本の神話に関して日本の若者がこのように無知な状況になっているのは、占領期の教育改革に原因があると思われます。 戦前の日本史は国史と称して、古事記や日本書紀にある神話をあたかも歴史事実かのように歴史の教科書に記してきました。それを占領軍の指導によって、考古学等の科学的成果に基づく科学的な歴史記述の歴史教科書に改められたわけです。
既に、憲法制定過程については、占領期が終わって、制定の経緯が明らかになってきた段階からさまざまな議論がされていたことを承知しています。あるいは、膨大な資料や書籍も出ているわけであります。だから、もはや制定過程の問題は克服されているとするのは、しかしこれは一部専門家の中でのことではないでしょうか。
私自身は、占領期の歴史を当時の資料をもとに研究している者で、憲法の条文そのものとか地方自治の全般的な問題を研究している者ではありません。したがって、このような内容の話になることをあらかじめお断りしておきたいと思います。 まず最初に、憲法の第八章の制定経緯に関してであります。
添えております資料1の左側の欄の中、これは私が二年ほど前に書きました、「占領期」という吉野作造賞をいただいた本の二百六十九ページでありますが、マッカーサー三原則の第二項が(A)に出ております。「国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決の手段としての戦争、」これは侵略戦争のことをいう、「さらに自己の安全を保持するための戦争をも、放棄する。」
○天川参考人 私は占領期のことをやっておりますので、ちょっとつけ加えますと、地方制度の改革が行われたのでありますが、アメリカ人の考えている地方制度のモデルというものと日本でこれまで考えられていた地方自治というものとは、随分違うのではないかというのが私の感じておったところなんですね。
私は、特にこの占領期を専門とするわけではございませんが、そうした広く憲法と政治のかかわりを研究してきた立場から、きょうは意見を述べさせていただきたいというふうに考えております。 お手元には、まことに簡単なレジュメ一枚と年表二枚がついております。
だから、そういう意味で、第三期の占領期を考える場合には、憲法制定の経緯が始まる直前は日本は全く無憲法状態であった。よく明治憲法から昭和憲法へとか、明治憲法から新憲法へということを書いてある本はありますけれども、よく見てみると、明治憲法そのものがもう棚上げされて、軍部の中ではまさに改憲論が出ていたのですね。
○石田(勝)委員 時間があれですから最後の質問に入りますが、並列的に考えるべきだ、今そういうふうにおっしゃったので、そういうふうに私どもも考えさせていただきたいと思いますが、「占領期の国民と領土は三層の支配関係の下にあった。」こうおっしゃっております。 すなわち、第一は連合国による支配、第二はGHQによる支配、第三は日本政府による支配である。そして、この中で実質的な主権者はGHQであった。
として、占領期と占領の解除以降を分けてその性格を考えるべきだとおっしゃっております。そして、占領の解除以降、すなわち、先ほど来お話が出ておりますように、講和条約による主権の回復とその後の支える意思と諸力によって日本国憲法は初めて正当化された、国家の最高法規になったと主張されている、そのように理解をしてよろしいんでしょうか。
今日の天皇は、この憲法のもとで政治的権能は持っておりませんが、しかしながら、日本の長い歴史とか文化とかという意味において、象徴という意味は、占領期に出された文部省の教科書に書いてある君主という考え方でよいのではないかということが言えるのではないかと思います。
事実、そういうふうに国旗はその占領期に、上げてよいとか上げて悪いとかというふうな言い方をされましたけれども、そのときの国歌とか国旗というものは、当然今言われているものを指していたわけですね。 それが最初の方の質問の答えで、後者の、議論をした方がよいということ、それ自体は私は問題ないと思います。
例えば、国立教育研究所が占領期の教育関係の資料についてはそっくり複写をされまして、それの細かな目録をおつくりになっているとか、あるいは立命館大学でそっくりGHQ関係をおとりになって、また個々のリストをつくっていらっしゃる。
○熊田国立国会図書館副館長 現在進めております計画も、既に十数年を経過いたしておりましてまだアメリカにあります占領期の文書も十分収集し切れていないという状況でございまして、その先どうするかということについては、現在のところ、まだはっきりした計画は持ち合わせておりませんが、少なくとも、アメリカにあります公文書館の資料は十分な形で収集してまいりたいというふうに思っております。
○服部三男雄君 御指摘の点はみんなが一致するところだろうと思うんですが、一つその中に申し上げたいのは、占領期にいわゆるドッジが来てやった政策の中にデフレ政策があったわけでありますが、その後ずっと日本の経済が順調に来た。
実は、これは戦争に負けて、その前、結構人間がいたわけですが、そのときのお答えにもあるんですけれども、「戦後の、それも占領期に外交の必要性というものが一時非常に少なくなったという時期がございましてこというお答えがありまして、事実そうなんです。そのときにがたんと減っているんですね。そういう必要が減ったから人間も減らしたのかもしれない。
○政府委員(池田維君) 細かい数字が手元にございませんので、正確にお答えすることができないわけでございますが、後ほど調べまして御報告いたしますが、一般的な印象として申しますと、ただいま先生御指摘になられたとおりでございまして、戦後の、それも占領期に外交の必要性というものが一時非常に少なくなったという時期がございまして、そこが一つの出発点になって少しずつ上がってきたというところではないかと思います。
戦後の流れを私なりに分けてみますと、まず占領期、これは何といっても米ソの冷戦が激しくなってまいりまして、一九四九年の中華人民共和国の成立、五〇年の朝鮮戦争勃発ということで、日本に対する占領政策ががらりと変わったということはもう御存じのとおりでございます。
今や独立の行政委員会は、占領期の一時的な改廃はございましたけれども、むしろ積極的に見直したらどうか、このような意見も一般にはあります。 これは大蔵じゃございませんが、放送のいわゆるチャンネルプラン、電波の割り当ての問題、大変戦後の電波の割り当ての歴史というのは問題がございます。
そういうことで、それにこたえないことにはやはりカンボジアの事態は少しも改善しませんので、私はUNTACの意思を押しつけることは自分の性格からいっても決して好きな方ではございませんけれども、よくUNTACの存在は戦後の占領期のマッカーサーの存在に例えられます。