1949-02-12 第5回国会 参議院 法務委員会 第1号
女学校に行つておる人が一人あるのですが、それから二女がどこかへ縁ずいておるのが一人あつて、それは家の方におらないのです。それから長男が陸軍の技術大尉とかで行つておつたのですが、その人がフイリピンで戰死し、その人の妻君が看護婦に籍があつたので應召されて、台湾沖で輸送船が沈んだのです。それで亡くなつて三つか四つの孫が一人ある、それだけの家族なんです。
女学校に行つておる人が一人あるのですが、それから二女がどこかへ縁ずいておるのが一人あつて、それは家の方におらないのです。それから長男が陸軍の技術大尉とかで行つておつたのですが、その人がフイリピンで戰死し、その人の妻君が看護婦に籍があつたので應召されて、台湾沖で輸送船が沈んだのです。それで亡くなつて三つか四つの孫が一人ある、それだけの家族なんです。
○深川タマヱ君 どうしても、生活苦は決定的原因とは思われませんね、如何に兄や何かがとうあつても、生活に対して十分な意思があつたら、二女は夫に預け三女は長女にお守りをさせて、元は自分も喫茶店で働いていたのですから、何とか生活して行く途があつたわけです。そういうこともあるので、生活苦が決定的原因であつたとは到底思われません。
○委員長(伊藤修君) それで四月の五日の日に、あなたは、最後に行つたときに、二女の圭子というか、その子と町の眞ん中で、香取神社の近所で語助さんが歩いていたのを子供に追つ駆けさして、語助さんに連れさしたというのですが、本当ですか。