2000-03-22 第147回国会 衆議院 運輸委員会 第5号
いろいろな情報が飛び交う、未確認情報だけで、爆発だとかあるいは脱線だとか、死傷者が四名だとか二名だとか、あるいはまた負傷者が三十名だ、五十名だということで、その場にいても状況もつかめないので、早速に現地に飛ぼうじゃないかということで、先ほどおっしゃいました運輸省の中での中目黒鉄道事故対策本部を立ち上げ、そして事故調査検討会、これは以前にこの検討会のメンバーはもう指定しておりましたから、その方々にすぐ
いろいろな情報が飛び交う、未確認情報だけで、爆発だとかあるいは脱線だとか、死傷者が四名だとか二名だとか、あるいはまた負傷者が三十名だ、五十名だということで、その場にいても状況もつかめないので、早速に現地に飛ぼうじゃないかということで、先ほどおっしゃいました運輸省の中での中目黒鉄道事故対策本部を立ち上げ、そして事故調査検討会、これは以前にこの検討会のメンバーはもう指定しておりましたから、その方々にすぐ
今回の脱線事故におきましては、事故発生後直ちに、総理官邸に官邸連絡室を、また運輸省には事務次官を本部長とする運輸省中目黒鉄道事故対策本部を設置、そして、いち早く現地に、本来ならば二階運輸大臣が赴かれるところ、予算委員会の審議中でありましたので、中馬総括政務次官を初めとする専門家の人たち、そうした方から構成される事故調査検討会メンバーの派遣を決定されるなど、迅速な初動体制を整えられました。
例えば先日の中目黒の電車事故の場合でも実に五百人の警官隊がすぐ入りましてそして事故調査はもちろん交通規制その他に活躍をしている姿を見まして、こういった日本の警察の持っている機動力というのを今失わさせてはいけない、そういう力を弱めてしまってはいけないということをつくづく感じた次第でございますが、そういった気持ちも持ちながら今、国会でいろいろ私もおしかりを受けながらいろいろ勉強させていただいたことを反省
質問に先立ちまして申し上げなければならなかったのでありますが、一週間を超えましたけれども、中目黒の脱線事故におきまして、死者及びけがをした方が出ました。亡くなられた方には深く哀悼の意を表します。また、けがをされた方が一日も早く回復されることを祈念申し上げます。 ところで、あの事故が起こった当初の報道は、テロではないかという報道もございまして心配したのでありますが、そうではなかった。
そこで、営団地下鉄日比谷線中目黒駅近くで発生をしました電車脱線衝突事故の発生状況について、具体的な事実関係についてまず教えていただきたいと思います。
三月八日午前九時一分、日比谷線中目黒駅構内で北千住発菊名行きの八両編成の列車が中目黒駅に接近中、駅ホーム端手前約百八十メートルの地点におきまして最後部の車両の進行方向の前の台車の二軸の車輪が脱輪し、その地点から脱輪したまま中目黒駅方向に約六十メートル地点まで走行いたしました。そこで中目黒駅を出発した竹ノ塚行きの八両編成の列車の先頭車両から四両目、五両目に接触した後、六両目の車両に衝突いたしました。
三月八日午前九時一分、日比谷線中目黒駅構内で、北千住発菊名駅行きの八両編成の列車が中目黒に接近中、駅ホームの端の手前約百八十メートルの地点におきまして、最後部車両の進行方向の前の台車の二軸が脱線したものでございます。その脱線した地点から、脱輪したまま中目黒駅方向に約六十メートルまで走行しました。
先般の中目黒駅におきます地下鉄の事件、一瞬にして五人の命が失われました。そしてまた、三十数名の重軽傷者が今治療に当たっておられるということで、大変ゆゆしいことでございます。安全だと思っていた地下鉄に乗っていた途端に対向車線から電車が飛び込んでくるなどという、これは今まで考えられなかったことでございます。亡くなられた方々の御遺族に心からお悔やみを申し上げる次第でございます。
せんだっての中目黒の電車事故のときにも、数百名の警官がすぐに駆けつけまして交通整理でありますとかいろいろな面で活躍をしている。あれだけの態勢がとれるということは、やはり警察は私はまだちゃんと生きているというふうに思います。
私は、(早く、だれかに、親切にしてあげたいなあ)と思いながら、中目黒のえきの近くを歩いていたとき、一人のおばあさんが、私に聞きました。「中目黒のえきはどっち」私は、(親切ができるいいチャンスだ)と思い、「ここを、まっすぐいったところにありますよ。」とおしえてあげたら、「ありがとう。」と言って下さったので、私は、「いいえ」と言いましたが、とってもうれしかったです。気もちよかったな。
また、地下鉄の中目黒駅の事故、本当に大変な事故でございまして、心から哀悼の意を表させていただきます。 個人的なことですが、私は、実はあそこは通学、通勤で通ったところでございまして、その面からも人ごとでないという思いがいたしますので、原因究明とともに今後の対応をひとつよろしくお願いをいたしたいなと思っております。
○政府参考人(安富正文君) 営団日比谷線につきましては、昭和三十四年に工事着手以来、順次開業してきておりますが、当該恵比寿―中目黒間につきましては、昭和三十九年七月二十二日の開業となっております。
事故の概要でありますが、平成十二年三月八日九時一分、日比谷線中目黒駅構内の恵比寿駅方向百メートル地点のトンネル出口付近において、下り北千住駅発菊名駅行きの八両編成の列車が中目黒駅に進入中、最後尾の車両が脱線、出発直後の上り中目黒駅発竹ノ塚駅行きの八両編成の列車の五両目及び六両目と衝突しました。これにより、四名の方が亡くなられ、三十四名の方々が負傷されました。
本題に入ります前に、三月八日、日比谷線中目黒駅構内で多くの死傷者を出す脱線事故が発生しました。亡くなられた方々の御冥福をお祈りし、御遺族に哀悼の意を表しますとともに、けがを負われた方々の一日も早い御回復を心よりお祈りいたします。事故原因の究明と今後の安全対策の一日も早い確立を望みます。 そこで、質問通告はいたしておりませんが、運輸大臣にお尋ねいたします。
まず、去る三月八日に発生しました営団日比谷線中目黒駅での脱線事故について申し上げます。 お亡くなりになりました四名の方々の御冥福をお祈りし、御遺族の方々に衷心よりお悔やみを申し上げます。また、現在入院加療中の方々には、一刻も早い回復をお祈り申し上げます。
○政務次官(中馬弘毅君) まず、帝都高速度交通営団日比谷線における三月八日の脱線事故についてでございますが、きのうの九時一分、日比谷線中目黒駅構内において八両編成の下り列車が中目黒駅に進入中、最後尾の車両が脱線し、出発直後の八両編成の上り列車と衝突をいたしました。これにより四名の方々が亡くなられ、三十四名の方々が負傷されました。
事故の概要でありますが、昨日、平成十二年三月八日九時一分、日比谷線中目黒駅構内の恵比寿駅方向百メートル地点のトンネル出口付近において、下り北千住駅発菊名駅行きの八両編成の列車が中目黒駅に進入中、最後尾の車両が脱線、出発直後の上り中目黒駅発竹ノ塚駅行きの八両編成の列車の五両目及び六両目と衝突しました。これにより、四名の方が亡くなられ、三十四名の方々が負傷されました。
本日九時一分ごろでございますが、帝都高速度交通営団日比谷線の北千住駅発菊名行き日比谷線が、中目黒駅手前のところで進行中に車両の最後部が脱線いたしました。中目黒から北千住方面へ出発した上り列車の三、四両目にこれが衝突をいたしました。脱線した営団車両が大破し、死者二名、負傷者約三十名程度が発生した模様であります。事故原因につきましては、現在、調査確認中であります。
午前中、目黒委員の質問で、農業交渉以外の進展度合いに対する説明がございました。これも再確認をいたしますが、十五分野七グループのうち、特にアシチダンピング、補助金、あるいは市場アクセス、繊維などと並んで農業交渉分野、つまり非常に詰まってはきているけれども非常に難航している、こういう現状にあるというふうに確認をさせていただいてよろしいですか。
なお、当筑波支所においては、現在、平成五年度を目標に中目黒に設置されている本所の移転業務を推進しているとのことであります。 次に、無機材質研究所においては、多数の専門分野の研究者が一グループを構成し、おおむね五年間に研究目標を達成し、また、新たにグループを再編成するという体制により研究を実施しております。
○政府委員(中山好雄君) お尋ねの事故についてでございますが、お尋ねのタンクローリーの事故、ことしの五月六日午前十一時三十分ごろ、ロンクローリー車がガソリン十六キロリットル、それから軽油四キロリットルを積載して環状七号線を進行中、目黒区柿の木坂の環状七号線の外回り、野沢交差点におきまして、前を走っていた乗用車が信号が赤になったので停車した。
手順を踏んでこの問題について処理をしていきたいと考えておるのでございますが、午前中目黒委員の御質問がありそれにお答えしたところでございますけれども、調停条項に言うところの日限というものにこだわらないで、早くこの問題について結論を得るというのが賢明な策であるというふうに考えており、そのための調査に着手をしておるというところでございまして、調査を進め、周辺の市町村の意見も聞き、できるだけ速やかに結論を得
それは、地域のことを申し上げて恐縮でありますが、東京都目黒区中目黒二丁目に防衛庁の技術研究所あるいは防衛研修所が所在をしております。これはこれでそれぞれの任務があって歴史的経過もあって結構だと私は思います。後ほどこの歴史的経過を若干聞かせていただきたいと思っておりますが、実は東京の山手線沿線に、東京が非常に過密化してまいりましたので、再開発をめぐっていろいろな研究がなされたわけでございます。
○友藤政府委員 今先生からお話のございました抜本の第一研究所及び防衛研修所の所在いたします中目黒地区でございますが、これは御案内のとおり旧海軍の技術研究所というのがございまして、大変立派な施設でございまして、装備等も充実して、立派な研究を艦艇等でやっておったわけでございますが、戦後接収を受けまして、イギリス軍、豪州軍がここへ駐留をして、御案内のとおり恵比寿キャンプとして使われておりまして、大変その当時荒廃
昭和二十四年以降三十年の段階までは第一線におったり中央で労働組合の委員長等もやって、あのときは吉田内閣当時の非常にあらしが吹いた時分で、廣川さんの家を訪ねたり根本さんが農林大臣のときに中目黒の家に雨の日も風の日も訪れたり、あらしの中でずいぶん苦労した経験を持っております。