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2130件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2017-03-30 第193回国会 参議院 総務委員会 第7号

例えば、五月二十日、ポツダム宣言について当時の、当時というか今も総理ですけれども、安倍総理党首討論で、つまびらかに読んでいないという、こういう発言をされました。これは「報道ステーション」。NHKの「ニュースウオッチ9」と比較する民放の報道番組というのは「報道ステーション」若しくは「NEWS23」ぐらい、この三つの状況ですけれども、これは御存じのようにNHK報道していないんですね。  

江崎孝

2016-12-12 第192回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

また、一九四五年の八月十八日には、占守島に、ポツダム宣言日本受諾した後にソ連が攻め込んできて、そして今の北方四島もソ連にとられたというふうな客観的事実がこれまたございます。  近年におきましては、ロシアがウクライナの一部を実効支配した、武力によって現状変更を行ったという、これまた客観的事実もございます。  

和田義明

2016-12-08 第192回国会 参議院 外交防衛委員会 第7号

このようなことは明らかに、私有財産の没収を禁じたハーグ陸戦法規や、講和条約締結後の占領軍の撤退を定めたポツダム宣言違反です。一九七一年十一月十一日、沖縄返還協定特別委員会で当時の佐藤栄作総理は、沖縄での米軍による土地取上げを問われて、「直接の戦闘行為以外のこと、これは陸戦法規に違反する」と発言をしています。  

伊波洋一

2016-11-24 第192回国会 衆議院 憲法審査会 第3号

日本国憲法制定経緯についてどのような見方に立とうとも、日米戦争に敗れ、ポツダム宣言大日本帝国国家主権に基づいて受諾したことは間違いありません。我が国が七十年にわたって日本国憲法のもとで歴史を積み重ね、主権者国民の間にその憲法が定着していることも間違いありません。歴史と伝統を重視するなら、これらの歴史も当然直視すべきです。

枝野幸男

2016-11-24 第192回国会 衆議院 憲法審査会 第3号

そして、その憲法改正の限界を超えた日本国憲法への改正も、ポツダム宣言という外部の力を受けたものだということ、これを受け入れざるを得ないということであれば、これもまた現実として受けとめなければいけないでしょう。  何が重要かというと、すなわち、主権を守るということがいかに大事かということでございます。日本国憲法GHQから日本国民人権を守れなかった、これは日本国憲法制定後のことでございます。

山田賢司

2016-11-17 第192回国会 衆議院 憲法審査会 第2号

日本国憲法の公布七十年に当たり重要なことは、日本国憲法制定が、ポツダム宣言受諾に始まり、侵略戦争反省の上に立って、軍国主義を全面的に排除し、国民主権民主主義を掲げる平和国家として国際社会に復帰しようとしたものだということです。日本国憲法は、アジアと国際社会に対し、二度と戦争をしないということを約束したものであります。

赤嶺政賢

2016-11-17 第192回国会 衆議院 憲法審査会 第2号

ポツダム宣言受諾、終戦、占領統治などの激動の過程で憲法改正論議が精力的に進められ、昭和二十一年十一月三日、日本国憲法は公布されます。  当時は、言うまでもなく、敗戦国日本をめぐる極めて厳しい国際環境にありました。占領統治に当たる連合国司令部GHQを初め、占領統治最高機関であった極東委員会、その出先機関である対日理事会など、戦勝国による外的圧力下にありました。

北側一雄

2016-10-06 第192回国会 参議院 予算委員会 第2号

御指摘のハーグ陸戦法規の附属を成す陸戦規則等に見られる当時の国際法に照らしても種々問題があったというふうに思いますし、また、ポツダム宣言第九項、日本国軍隊は完全に武装を解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的な生活を営む機会を得しめらるべしというこの項目につきましても違反したものであると考えます。  

岸田文雄

2016-10-06 第192回国会 参議院 予算委員会 第2号

シベリア抑留自体が、ハーグ陸戦条約連合国に対して日本受諾したポツダム宣言などの国際法に違反しているのではないかと私は考えます。ハーグ陸戦法規、すなわち、平和克復の、復活の後はなるべく速やかに捕虜をその本国に帰還させなければならない。ポツダム宣言第九項、日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り、平和・生産的に生活できる機会を与えられると。

有村治子

2016-03-31 第190回国会 参議院 総務委員会 第9号

資料提示)  これは一部ですけれども、まず、お手元にあると思いますが、五月の二十日、安倍総理ポツダム宣言についてはつまびらかに読んでいないという答弁をされたとき、「報道ステーション」、これは「ニュースウオッチ9」と同じような報道番組の時間の在り方、姿勢について「報道ステーション」と「NEWS23」を比較しているんですけれども、これ映していただきたいんですが、つまびらかに知らないんだ、読んでいないんだと

江崎孝

2015-08-05 第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第8号

で、思うんですけれども、この戦争ができない国から、今日は八月五日ですからもう十日するとポツダム宣言それ以来日本の国は戦争を放棄している国ですね。長官は、のこのこ出てきて、今度戦争をできる国に法律を変えようとしているんですよ。そういう解釈しているんですよ。恥ずかしくないですか。ちょっとその辺をお聞きしたいです。

寺田典城

2015-06-04 第189回国会 衆議院 憲法審査会 第3号

ただ、その点についての現在の標準的な理解と申しますのは、ポツダム宣言受諾したその時点におきまして、いわば法律的な意味での革命が起こりまして、天皇主権原則というものが国民主権原則へ、いわば非連続的に移行したのであると。その非連続的に移行した後の明治憲法というのがまだ残っております。その時点以降は、国民主権原則に基づいてでき上がった明治憲法に変身を遂げたということになります。  

長谷部恭男

2015-06-04 第189回国会 衆議院 憲法審査会 第3号

私、憲法学界でもなく、法曹界にいる人間でもないので、今の説明を聞いても全然よくわからないんですけれども、大日本帝国憲法ポツダム宣言で変えたというならわかるんですけれども、ポツダム宣言受諾したのは八月で、憲法改正したのはその後で、二十二年に、二年後に変わっているわけですね。その間、大日本帝国憲法なんだけれども国民主権時代があった、こういうことでございましょうか。  

山田賢司

2015-06-01 第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第6号

すなわち、ポツダム宣言は、その流れの中で次には東京裁判につながっている、そして、東京裁判というのが一つの大きなきっかけとなって日本独立国になり、そして、戦後の談話でいうならば、戦後五十年の談話ができた。  そこで共通している認識というのは、これは主に二つあると思っています。

細野豪志

2015-06-01 第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第6号

安倍内閣総理大臣 ただいまポツダム宣言の第六項について、世界征服部分について、田中上奏文との関係についても解説をしていただいたのでございますが、日本は、降伏する上において、このポツダム宣言というのは、この第六項の世界征服を含めて、当時の連合国側政治的意図を表明した文書であります。政府としては、同項を含め、ポツダム宣言受諾し降伏したということに尽きるわけでございます。  

安倍晋三

2015-05-27 第189回国会 参議院 憲法審査会 第3号

ポツダム宣言受諾し、過去の侵略戦争に対する痛恨の反省を踏まえ、政府行為によって再び戦争惨禍を起こさないことを宣言し、憲法九条に戦争放棄戦力保持交戦権否認を明記したのです。  ところが、アメリカは、米ソ対決構造が強まる下で戦後初期の対日方針を転換し、日本軍備へとかじを切りました。

仁比聡平

2015-05-20 第189回国会 両院 国家基本政策委員会合同審査会 第1号

内閣総理大臣安倍晋三君) このポツダム宣言を我々は受諾をし、そして敗戦となったわけでございます。  そして、今、私もつまびらかに承知をしているわけではございませんが、ポツダム宣言の中にあった連合国側理解、例えば、日本世界征服を企んでいたということ等も今御紹介になられました。

安倍晋三

2015-05-20 第189回国会 両院 国家基本政策委員会合同審査会 第1号

戦後の日本は、一九四五年八月、ポツダム宣言受諾して始まりました。ポツダム宣言では、日本戦争についての認識を二つの項目で明らかにしております。  一つは第六項で、日本国国民を欺瞞し、これをして世界征服の挙に出るの過誤を犯した勢力を永久に取り除くと述べております。日本戦争について、世界征服のための戦争だったと明瞭に判定しております。

志位和夫

2015-05-15 第189回国会 衆議院 外務委員会 第10号

岸田国務大臣 先ほどの答弁で、中国からの引き揚げがスムーズに進んだことの理由として、ポツダム宣言第九項を一つ挙げたわけですが、これがあるから全てうまくいったと申し上げているつもりはありません。これもありました。それ以外にもさまざまな要素がありました。さまざまな関係者努力がありました。

岸田文雄

2015-05-15 第189回国会 衆議院 外務委員会 第10号

岸田国務大臣 当時の中国からの引き揚げにつきましては、七十年近くの月日がたっておりますので明らかでない部分もありますが、一つは、ポツダム宣言の中に第九項というものがありまして、武装解除した日本兵家庭への復帰を保障するとされております。軍人軍属の復員については、基本的に同宣言に基づいて実施されたと理解をしております。  

岸田文雄

2015-05-15 第189回国会 衆議院 外務委員会 第10号

吉良委員 今、ポツダム宣言第九条ということを述べられました。おっしゃるとおり、ポツダム宣言九条にはそのように書いています。  ただ、ここにいらっしゃる皆さんはみんな政治家皆さんで、選挙を経てバッジをつけておられるわけですけれども、例えば、自民党の支援組織の人が応援してくれていたというときに、あなたは支援組織だから当然でしょうというようなことを言うのか。

吉良州司

2015-05-07 第189回国会 衆議院 憲法審査会 第2号

ポツダム宣言受諾し、過去の侵略戦争に対する反省を踏まえ、政府行為によって再び戦争惨禍を起こさないことを宣言し、憲法九条に戦争放棄戦力保持交戦権否認を明記したのであります。  ところが、アメリカは、米ソ対決構造が強まるもとで、戦後初期の対日方針を転換し、日本軍備へとかじを切りました。

赤嶺政賢

2015-05-07 第189回国会 衆議院 憲法審査会 第2号

それは、一九四五年の日本、一九四六年の日本、この時代背景の中で、我々は、戦争ポツダム宣言受諾によって終わることができました。戦争は終わることができましたと言いましたが、本当に終わったのでしょうか。実は、絶対にここは終わっておりません。GHQはそこでどう関与し、どう考えていったのかということが私は問題だろうと思っております。  まず、日本国民はどう考えたのか。

山本有二

2015-04-07 第189回国会 参議院 外交防衛委員会 第6号

やはりこういった、これは感情の問題が一部残っているということも踏まえまして、やはりそういう観点からも、これはサンフランシスコ講和条約あるいはポツダム宣言に関わることでございますので、いわゆる通常予算以上のことをして初めて象徴的な日米関係のいい事業になると思いますので、是非そういう観点から対応していただきたいと思いますが、いかがですか。

藤田幸久