1992-05-12 第123回国会 参議院 文教委員会 第6号
○小林正君 最終的に決選で長野とソルトレークシティーが残った。そして八十八人の委員のうち四十六対四十二という、まあ言ってみれば薄氷の勝利といったような状況であったというふうに思うんですけれども、大変スリリングな結果と言ってもいいんでしょうか、そういう状況であったわけですから、関係者の皆さん大変御心配をされただろうというふうに思うんです。
○小林正君 最終的に決選で長野とソルトレークシティーが残った。そして八十八人の委員のうち四十六対四十二という、まあ言ってみれば薄氷の勝利といったような状況であったというふうに思うんですけれども、大変スリリングな結果と言ってもいいんでしょうか、そういう状況であったわけですから、関係者の皆さん大変御心配をされただろうというふうに思うんです。
関連の公共事業を入れますと、それの二倍、三倍になるのではないかと思うわけでございますが、その施設費と運営費二千百億円に比べて一%という意味では大きいのか少ないのかよく私はわかりませんが、スウェーデンのエステルスンドは三億四千万円、アメリカのソルトレークシティーは六億三千万円の誘致運動資金を持って長野と競争をした、こういう報道があるわけでございますが、この辺についての事実認識はいかがなのか。
四、五億かなと思っておったわけですが、それはソルトレークシティーやもう一つ今先生が御披露になったところがそういう五、六億というような金額だったということであるとするならば、ちょっと多いなという印象はやはり否めないところがございまして、また招致運動にそういうふうにお金がかかるということは問題で、やはり政治改革みたいなのが必要なのかなという印象も正直言って持ちます。
○平田(米)委員 大臣から率直に御意見を承ったわけでありますけれども、ソルトレークシティーに比べましても約三倍の費用を使っておるわけでありますが、一体中身は何なのでしょうか、十九億円使った中身は。これはおわかりになりますか。
この第十八回オリンピック冬季競技大会には、長野市のほかに、アメリカのソルトレークシティー、ソ連のソチ、イタリアのアオスタ、スペインのハカ、スウェーデンのエステルスンドが立候補しており、来年六月に英国で開催される国際オリンピック委員会総会において開催都市が決定されることになっております。 今日ほど、我が国にとって世界各国との友好親善関係を深めることが必要な時期はありません。
世界的に見ますと、スペインのハーカーとかソ連のソチであるとか、スウェーデンのエステルスンドであるとかアメリカのソルトレークシティーであるとか、そういった大変ライバルとしては侮りがたい都市との競争になるわけでありまして、このためにはさまざまな条件が整っていなければならぬわけであります。
私が特に印象に残っているのは、外務大臣それからまた文部大臣と海外を歩かしていただいたことがございますが、ユタ州のソルトレークシティーにあるブリハムヤング大学の教授連中、大変日本語が上手でして、むしろその数が非常に多いのにびっくりした。
アメリカは自国にたくさん油を埋蔵しつつも、なお、ドル通貨が使えるうちは使って油を買って塩づけにして——許された時間があと十五分しかありませんから、ここのところ簡単にいきますが、私は、デンバーからソルトレークシティー、あの西部劇のふるさとですね。馬車でなくて、馬でなくて、バスに乗って一週間、ソルトレークシティーまで行きました。砂漠を越え、砂漠を越えて行くんです。
私は、油が目的ではなかった、二国間の繊維事情が激しかったときに、それを調べるために、デンバーにおり立ってソルトレークシティまで歩きました。飛行機ではありません、実態を調べるために。そのときに、あの地区の某大学教授はこう言った。ここにたくさん油を掘っていますが、これはあなたたちどうするんですか、鉄道も何もないのにどうするんですかと尋ねたら、二つの理由で、ふたをしていくのだ。
飛行機だけではわかりませんので、デンバーにおり立ちまして、あれからソルトレークシティまで、えんえんバスの旅を続けました。そして、バスのお客やら、バスの停留所のいわゆるバスホテル、そこに泊まり、とまりとまりを重ねて、そのつど尋ねて回りました。答えはほとんど一つです。
それからソルトレークシティーの事故は三月に公聴会を開く、そういうような段取りになっておりますので、したがいましてまだ、CABといたしましては、事故の原因については公表していないわけでございますけれども、われわれといたしましては、一応そういう結論はなくても、事故の当時の状況をできるだけ早く資料を要求したいと思いまして督促をいたしております。