1980-11-05 第93回国会 衆議院 安全保障特別委員会 第4号
これはアメリカ側の出席者の中にはアルバート・ウォールステッターというアメリカの核戦略理論の最高権威者もおりましたし、ランド・コーポレーションの会長をしておった、いまスタンフォードにおりますヘンリー・ローウエンさんもおりましたし、第一級の人が出ておって、それで予測できないのですね。
これはアメリカ側の出席者の中にはアルバート・ウォールステッターというアメリカの核戦略理論の最高権威者もおりましたし、ランド・コーポレーションの会長をしておった、いまスタンフォードにおりますヘンリー・ローウエンさんもおりましたし、第一級の人が出ておって、それで予測できないのですね。
米政界買収工作事件の中心人物である朴東宣氏や元アルバート下院議長秘書のスージー・トンプソン夫人がKCIAの手先であることも、これはアメリカ議会の中で証言して、この証言に基づいてフレーザー委員会も動いているのでありまして、これを一市民という言葉でその証言を軽視してよろしいものかどうか。
さらに、ジョン・ウィリアム・クラッター及びアルバート・ハイラム・エリオットの各証人については、米国刑罰法令上の刑事免責に関する問題により一時尋問の実施が延期されたが、ようやくにしてその解決を見、九月八日に至り、同証人らに対する尋問手続が開始され、九月二十九日嘱託証人尋問は終了しました。 ここに、今回の嘱託尋問の実施に関し寄せられた米国司法当局の協力に感謝の意を表したいと思います。
さらに、ジョン・ウィリアム・クラッター及びアルバート・ハイラム・エリオットの各証人については、米国刑罰法令上の刑事免責に関する問題により一時尋問の実施が延期されましたが、ようやくにしてその解決を見、九月八日に至り同証人らに対する尋問手続が開始され、九月二十九日嘱託証人尋問は終了いたしました。 ここに、今回の嘱託尋問の実施に関し寄せられた米国司法当局の協力に感謝の意を表したいと思います。
それからその次に、アルバート・アクセルバンクという人の本の紹介が載っております。日本の黒幕、軍国主義の復活。そしてその次に、ニューヨーク・タイムズが載っておる。これも児玉譽士夫の紹介であります。そしてその次にタイム誌が載せられておる。つまり、児玉氏の紹介の次にタイム誌が載せられておる。そしてそれからずっといろいろな領収証等になっておる。
そのほか、日本になじみの深いスパーク・松永氏、あるいは外交委員会の極東委員長をしておられますザブロッキー氏、あるいは軍事委員の海外援助で知られておるプライス氏、あるいはアルバート院内総務、その他軍事委員会、外交委員会のメンバー十数名と食事をともにしながら話し合いをいたしました。
なお、下院のほうは、院内総務のアルバート、それから外交委員会のザブロッキー、軍事委員会のプライス、それから議長のマコーミック、そのほか、マツナガ、それからミンク、こういう方々は、議長を除いては昼食の席上でグルーブでお会いしたのであります。
まず第一に、キャラウェー高等弁務官は八月で交迭をされ退役になる、そしてアルバート・ワトソン中将が次の高等弁務官として来る、こういうふうに発表されておるわけでございます。そういたしますならば、一個の特異な性格を持った弁務官がかわるいい時期でありますから、こういうときにこそ日本政府としてはこれまでの制度と運用上のそういう不幸な問題を解決をしていく好機であると思います。
三十三年五月には、また二〇二号室で米人トーマス・アルバート・ドワイド・ジョーンズ二世がなぐり殺されたという事件、その容疑者としてジョセフ・クラウリー氏が逮捕されましたが、証拠不十分で無罪となった。本格的な強盗殺人事件は、最初申し上げた点のみに限られておりますけれども、こういう事件が日本の第一流ホテルにおいて相次いで起きておる。
のそれぞれ委員会におきます速記録というものを取り寄せておりますが、まだ間に合いませんので、さしあたりのところ、アメリカの議会関係に関します週報と申しますか、これによって御説明申し上げるわけでございますが、これによりますと、上院の方におきましては、上院外交委員会の国務省それから公共問題関係の小委員会、この委員長がマンスフィールド議員でございますが、この委員会がスクリップスハワード系の新聞記者であるアルバート・
○副議長(杉山元治郎君) ただいま貴賓席に、アメリカ訪日議員団 下院議員 ヘンリー・〇・タリー氏 ジョン・M・ロブシオン氏 キャスリン・セント・ジョージ氏 ケンネス・B・キティング氏 上院議員 トマス・C・ヘニングス氏 A・S・マイク・モンロネー氏 フランク・A・バレット氏 アルバート・ゴアー氏がお見えになりました。御紹介申し上げます。
そうして世界の船が、日本の鉱石を運ぶのに何も日本の船のみによるべき必要はないので……、それから重いものと軽いものと、綿と燐鉱石、ポート・アルバートあたりから日本にあの燐鉱石を運んだ場合には、殆んど綿と積合せになつて来るにきまつている。石炭は軽いから別問題でありますが、鉄鉱石のごときは、ところによつてはほかのものも一緒に積合せる。決してそういう専用船のようなことで運賃が安くなるものではない。
又その案文を作つてもらいまする法制局の職員の諸君にもその節言つたのでありますが、それは非常に多少アカデミツクなような表現になるわけでありますが、先ほど申上げましたように、日本の地方制度というものは御承知のようにドイツ人のアルバート・モツセが日本に参りまして、山県内務大臣のときにドイツから来て、ドイツ人がプロシヤの制度に則つて作つたのが日本の地方制度の始まりであり、大体において明治憲法の存続期間はそれとの
鈴木君も御承知のように、戦前におけるところの制度、これは今の地方自治法の中にも、それは非常に多分に残つているのですけれども、山県有朋か内務大臣のときに、ドイツ人であつたところのアルバート・モツセをドイツから引つ張つて来て、そうして日本の地方自治制度を作らしたのです。ドイツ人が作つた。プロシヤ人が作つたのです。
言うまでもなく、日本の地方自治制というものは、山県内務大臣の当時にプロシヤ人でありまするアルバート・モツセが日本に参りまして、これが書き上げたものから始まつておるものでありまするので、最初からのドイツ的な、プロシヤ的な伝統は、脈々として日本の地方行政を今なお支配し続けておるのであります。
地方行政を視察のためにイギリスにもおいでになられたので、この頃は玄人になつておられると思うので御質問いたしたいと思いますが、今、日本の憲法がプロシヤの憲法のコツピーであつて、サゼツシヨンのままに作られたものであるということを申したのでありますが、日本の地方制度と申しますものも、これ又それと同じような形で作られて来たのでありまして、失礼なことを申上げることは省略したいと思いますが、グナイストの弟子であるアルバート・モツセ
うまでもなく天野さんもよく御存じのことだろうと思うのでありますが、伊藤博文が如何なる憲法を作るかということのために調査を命ぜられまして、二年ほどもドイツに滞在いたしまして、そうして官僚の俊秀を引連れて行きまして、いろろいと研究をいたし、向うではドイツの国法学者でありますところのシユタイン、或いはベルリン大学の教授でありましたところのグナイスト等の教えを受けて、又グナイストは自分の弟子であるところのアルバート・モツセ
それからイギリスでは大体非常に大きな美術のコレクシヨンというようなものは、多くコレクトした人が、それを博物館なり、十分そういうようなものの保護保存に適する博物館に寄託するというような制度が非常によくできておりまして、例えば有名なロード・リツトン所藏の西アジア、中央アジアの金銀の遺物とか、これは世界的に有名なものでありますが、これは一例を挙げますと、アルバート博物館に寄託されて十分保護されているということがございますので
特にGHQの経済科学課長でありますアルバートさんが、相当突つ込んで、はつきりとした連合軍司令部の見解を申述べております。我々といたしましては、やはりこれはどうしてもこの際やつてみるというところの決意を決めたわけであります。