1982-02-24 第96回国会 衆議院 逓信委員会 第2号
たとえば私の子供なんか、変な話ですが、小学校四年生と小学校二年生なんですが、学校でこのごろ家へはがきを書く教育なんというような実習があるのですか、それで、お父さん返事くださいなんて書いてあるのですが、私ら子供のときにはあんなのはなかったわけであります。ところが、いまの子供は友達ともう本当に全部電話で話してしまう。いまの大学生だって手紙なんかもうめったに書かない。全部電話で話をしてしまう。
たとえば私の子供なんか、変な話ですが、小学校四年生と小学校二年生なんですが、学校でこのごろ家へはがきを書く教育なんというような実習があるのですか、それで、お父さん返事くださいなんて書いてあるのですが、私ら子供のときにはあんなのはなかったわけであります。ところが、いまの子供は友達ともう本当に全部電話で話してしまう。いまの大学生だって手紙なんかもうめったに書かない。全部電話で話をしてしまう。
したがいまして、これは農政審議会からあのような答申が出たのはまあ当然なことであるなという感じもいたしたわけでありますが、そういう立場からやはり技術的にはそういう五割増収あるいはその以後における試験研究の結果、さらに五割増収を期待できる品種をさらに増収の品種改良まで持っていくこともこれは不可能ではない、こう言っておるわけでありますから、先ほど御指摘になりましたような一般の米でさえも、私ら子供のときから
私ら子供の時分には「ぶらじる丸」だとか「新田丸」だとかいうふうなものが港々に入れば大挙して学校から見学に行ったりして、いわゆる海運国日本の国民として誇れるようなりっぱな豪華客船などがありましたし、そういうものが広く大きく世界にPRをしたと私は思います。そういういろいろな世界情勢の変化の中で、民間船といいますか、そういう船がどんどんなくなっていってしまったというところに私は問題かあろうと思います。
○前田委員 もう一点聞きますが、私ら子供のときに習った話では、霧の場合は霧笛ですか、盛んにサイレンを鳴らすのだということを聞いていますが、これ四件も五件も連続して発生している場合に、お互いに霧笛の確認というものはできないのですか、どうなんですか。
よく言う話ですけれども、この間もここで鶴園委員が言っていましたが、私ら子供のときには、やっぱり一軒の家で、なるほど規模は小さいけれども、牛もいたし、馬もいたし、豚もおったし、麥もあったし、米もあったし、豆もあった。わら仕事もあったし、道普請もあったし、何でもあった。
ぜいたくと言っちゃ語弊があるかもしれませんが、冬にナスやキュウリを食うのは珍しいと、私ら、子供のときは思っておったわけだ。しかし、そういうぜいたくなものを食べたい人もあることも事実なんですね。
湿性、乾性というようなことばが私ら子供の時分によく使われたのですけれども、他人にうつすその危険性、おそれのある患者が在宅療養をしているということも聞きました。これらについて一体どういうふうにして処置をしていかれるのか、お伺いをいたしたいと思います。
川というものは、私ら子供のときから川と言えば、魚が泳ぎ、そして、私たちが夏になれば泳ぎにいけるところだと、このように考えていました。ところが、今日の川というものは、もう私たちの概念にはすっかり合わないような状態になっておるのですね。
こうなりますと、私ら子供のとき、小学校のときに、林子平という人のことを先生から聞いたのですが、日本は島国だ、これから大いに国を発展させるためには、何としても海を中心の国防が必要だということを聞いた記憶があります。これにやや近いような感じがしてならなかった。一体、防衛問題というのは軍事問題です。
私ら子供のころからあった病気なんです。それが近ごろ非常に範囲が広くなってきている。したがって、これから受ける損害というものも非常に大きくなってきている、こういうわけなんです。しかるに、これに対して農林省がまだ結論を出してこれを救えないということは、たいへん遺憾に考えているものなんです。特に青森県にはこれは相当出ているはずでございます。
それから、地方の税務署の署長の地位について、私ら子供のころに考えた税務署の署長さんと最近の待遇は、これは一般にもそうでありますが、非常に格差がある。そこで、私のほうの例をあげますと、一宮にいろいろな所長がおるのですが、そこのトップクラスの人二十一人のうちで税務署の署長は大体十九番目くらいらしいですね。
この間も私ら、子供たちがやっと中学を卒業して高校へ行くようになった。高校の進学祝いに時計でも買うてやろうと思いまして、時計屋さんをあさってみると、三千円じゃ子供が高校に入ったお祝いとしてやるにしても、そうりっぱなものとは言えませんよ。
それから農業改革と申しまして、御承知のように、昔私ら子供のときには、そういったことはなかったけれども、最近は農薬が発達したわけでございます。そういたしますと、洗うことその他のこと等もやっておりますけれども、野菜、くだものを通じてのこういったものが、間接的に、知らず知らずのうちに肝臓を痛めてきておる。肝臓疾患の増加ということは、厚生省にもデータが出ております。
畳をふくというのは、私ら子供の時分の記憶では、大掃除のときに畳をふく母親の姿を見たのですが、あの辺では、毎日々々畳の上をふくということが日課なんです。こういう状態です。雨どいは話まってしまって、コンクリートの粉なんかも入るのでしょう。コンクリート化し、モルタル化しておる。しかも工場、事業場から発生する公害によって、別の工場、事業場が害を受けて、生産に支障を来たしておる、こういう状態です。
例は違いましょうけれども、コペルニクスの地動説がローマ法王から弾圧を食ったという私ら子供時代に聞いた話からいたしましても、やはり原爆の恐怖から平和利用の間までに至ります道程においては、かくのごときことが毎日のように繰り返し論議されて、初めて私は原子力の平和利用というものがわれわれの人類に非常な幸福をもたらすものだと思うのです。
次は、郡ですが、明治二十二年や大正八年のころは、まだ私ら子供ですが、郡役所はあったと記憶しております。従って、当時の行政はある程度郡を中心に行われておったので、自治体の分け方というものが郡が中心になったのはよろしいと思う。ところが、今後は、ある程度町村合併等で相当市がふえてきました。
私は今出しておるこの法案は專ら子供の公共心を養うことに基いて子供の前途を祝福するということが主になつておるけれども、併し背後には勿論義務教育無償の原理というものがあつて、それと矛盾することは一つもないんだ。
協議で一應親権者が決まつた場合、或いは家事審判所が協議に代わる審判をして親権者を決めた場合でも、その後子供の利益のために必要があるときは、家事審判所は親権者を変更することができるということにいたしまして、子供の親権ということについて、專ら子供の利益を図つて親権者を決めて行くという方針をとつたわけであります。 次は「親権の効力」であります。これは現行法と大体同じであります。