2002-06-05 第154回国会 衆議院 法務委員会 第16号
そういう船長の権限あるいは責務を達成するために一定の武器を保持することがどうかということでありますけれども、現行法でも、危険でない、例えばこん棒だとか、そういうような武器を持つことは多分できるんだろうというふうに思います。
そういう船長の権限あるいは責務を達成するために一定の武器を保持することがどうかということでありますけれども、現行法でも、危険でない、例えばこん棒だとか、そういうような武器を持つことは多分できるんだろうというふうに思います。
もし日本国内に一人もけん銃を持っている人がいなくて、一人も刃物を悪さに使う人がいなくて、けん銃を一回も使わないで済むならば、こん棒だけで事がおさまるのであれば、けん銃がないにこしたことはないというふうに思います。しかし、中にはそれでおさまらない場合がある。 でも、このけん銃の弾を撃つときには、あるいは撃った後には、膨大な手続があって、なぜそれを使わなければならなかったのか。
私は、コソボにも昨年参りましたけれども、コソボの被害と東チモールの被害は根本的に違いますのは、コソボはやはり爆撃によって壊されている、爆薬によって爆破されているという状況でございますのに対しまして、東チモールの商店街は、恐らく丸太ん棒かこん棒で窓ガラスをたたき割って壁をぶち壊して、そしてうちの中にあるものを全部外に引きずり出して壊しちゃった。
政府の方も何とか会議ができたようですけれども、私ども自民党でも警察行政刷新委員会というのをつくりまして、衆議を集め、また有識者のお話等も、あるいはアメリカにおきます公安委員会がどういうふうに変遷をたどってきたのかというふうな歴史、アメリカの警察も、よくテレビ等でありますように、少数、マイノリティーを何か人の見えない真っ暗やみでこん棒でぶん殴るとか、そんなような姿もテレビで見たりするわけですから、私は
例えば、昨年の十月ですが、これはほとんどが密航費用を支払えないという中国人に対してなのでございますが、金づちだ、こん棒だ、手拳だということで、殴ったりけったりという暴行を加えて殺害させるというような事例等も幾つか見つかっておりまして、そういうことでの検挙事案等もあるということでございます。
もう少し極論的に申しますと、北朝鮮に対してあめ及びニンジンを提供するが、そのニンジンとあめを北が選択しない場合はむちもしくはこん棒も辞さないというアメリカの一括妥結案と違って、韓国の場合は、どのような場合があってもこん棒もむちもちらつかせてはならないというところが大きな違いではないかと私は見ています。
これはそこに立てかけてあったこん棒ですが、ここに血のりがついておりますので何をするのか御想像にお任せします。 ニホンザルは狩猟動物ではありません。国際的には絶滅危惧種にリストされておりますし、また環境庁のレッドデータブックでもヤクサルや東北の地域個体群というものは絶滅のおそれがあるというふうにされているわけです。しかし、現実には年間六千頭から一万頭近い猿たちが無計画に駆除されているわけです。
しかし、泥棒が来たときに、何か端っこの方にいて来ても知らなかったとか、強盗が入ってきても、いろいろな制約で自分のうちのことでありながら対応できなかった、こういう状況であってはまずいわけでありますし、また、そういうことと、何かそういうことが心配だから、じゃアメリカに頼ろうとか、じゃどこかに頼ろうといった議論が、今度は自警団にこん棒を持って参加する話に、自分のうちのことは議論をしないでちょっと飛んでいるような
どうしてもだめだと言われたときに初めて国政調査権を発動するかどうかを決めていかなきゃならない、そういうことだと思いまして、何が何でもこん棒振り回してさあ出せ、そういう乱暴な やり方は私どもも差し控えるべきだと私自身は感じておるわけです。
戦争はいつの時代でも文明進歩の先端を歩んだわけでありますが、ごく初めのころはこん棒や石ころで戦ったわけです。やがて刀ややりがあらわれまして、青銅でつくったものから鉄でつくったものに移ったことが勝ち負けを決定いたしました。特に弓という飛び道具の意義は非常に大きかったと思われます。 やがて戦争は騎馬で戦うのが主力になりましたが、ルネサンス時代に鉄砲があらわれまして、騎馬部隊の威力は失墜いたしました。
当然、私は、自衛隊員の安全というものはもう絶対必要なものなんだから、自衛隊員が、発砲するために行くわけじゃありませんから、そういう意味では私は、二丁が一丁だからいいとか、三丁はだめだという議論じゃなくして、やはり使わないんだということが前提にあるわけなんだから、やはり一種のその抑止力というのは、相手が機関銃を持っていれば機関銃を持っていく、こん棒ならこん棒でいいという議論はあると思うんです。
いろいろおっしゃいましたが、例えば私もびっくりしたのは、まあいろいろ漫画が出ておりますけれども、PKOと横に大きな字を書いた戦車が出てきて、それを皆さんが寄ってたかってハンマーやこん棒でだめだだめだといってたたいていらっしゃる漫画、これなんか見ますとびっくりします、これは。
こん棒しか持っていないわけでありまして、必ずしも必要ではないと思うし、自分と関係のないところに出ていく世界のPKOの要員に対して発砲したり、例えばフセインが毒ガスを使えるかと。私は使えないと思います。
こん棒を持ってきて、おまえは不公平だと決めつける。そして会議をやるから来いとこう言う。言語道断だという気がしますね。ガットはどこに行ったんだという気がしますね。しかし政府は、こん棒を持った会議には入りたくないとおっしゃっておったけれども、ついつい入っていってもう会議を開いておる。これはどういうことですか、こんなのは。
ゲリラといえば、簡単に普通の者からいえば、そこで何かちょこちょこと二、三人がやっててこん棒で食らったとかなんとかいう式のものを我々はゲリラと考えておるのだよ。一千二百万人というそれこそ国民の一割が瞬時にして途方に暮れ、足を奪われ、職場にも行けない、公務は妨害をされるわ、まさに内乱、戦争ですよ。
確かに各学校とも学校内暴力というものが一時期、非常に盛んでございまして、こういうものを抑えつけるためには管理を強化しなければならないということで管理強化の一環として体罰を加える、場合によっては鉄の棒とか、こん棒とか、そういうものを持って先生が学校内を巡回しておる、それによって、言ってみれば校則に違反したような人間をぶん殴るというようなことが行われて、それが最近、管理主義の非常な強化という全般的な流れに
巡査のこん棒みたいなもので、あの程度しかないと思うんですよ。本当にこれは戦いになったら核を持っていなければどうしようもない。したがって、私は今の自衛力というのは、防衛力というのは先ほど言ったように生物としての最低限度だというふうに解釈しているわけです。それで、どういう軍事的な脅威があるんだということをお尋ねしても、多分はっきりしたお答えは出てこないと思うのです。
第二番目、アメリカのSDIというのは、関係諸国は全部六十日以内に参加するかどうか決めるということで、これは子供のころによくあった例でありますけれども、隣の組に殴り込みに行くからこん棒を持ってこい、言うことを聞かないものは後でひっぱたくぞと言う餓鬼大将がおって私も大変迷惑をしたことが少年時代にあったわけですが、あれと非常に似ている言い方である。
そこで、厳重な規制、検挙を行いまして、検問、検索で、こん棒等の危険物を十一件八十七点一時預かりしておりますし、検挙も二十二件二十七人の検挙を行って、右翼団体の違法行為に厳正に対処したわけでございます。
本来、警察官がピストルでバーンと撃ったりこん棒でぶん殴ったりという、国民の自由と生命に重大な関係がある、その権限を規制するような法律ではないのですね、業法の一種ですから。そういうものに、第一条の「目的」の中に、目的のいわば不可分の一つとして自主性を重んじろなんて入れるというのは、これは、日本のいままでの法体系では希有のことですね。