2001-10-25 第153回国会 参議院 外交防衛委員会公聴会 第1号
平成十三年十月二十五日(木曜日) 午前九時開会 ───────────── 委員の異動 十月二十二日 辞任 補欠選任 岩城 光英君 河本 英典君 大田 昌秀君 大渕 絹子君 十月二十四日 辞任 補欠選任 河本 英典君 小泉 顕雄君 大渕 絹子君 田嶋 陽子君
平成十三年十月二十五日(木曜日) 午前九時開会 ───────────── 委員の異動 十月二十二日 辞任 補欠選任 岩城 光英君 河本 英典君 大田 昌秀君 大渕 絹子君 十月二十四日 辞任 補欠選任 河本 英典君 小泉 顕雄君 大渕 絹子君 田嶋 陽子君
昨日までに、岩城光英君、大田昌秀君及び平野貞夫君が委員を辞任され、その補欠として小泉顕雄君、田嶋陽子君及び広野ただし君が選任されました。 ─────────────
平成十三年十月二十五日(木曜日) 午前十時一分開会 ───────────── 委員の異動 十月十八日 辞任 補欠選任 小川 勝也君 櫻井 充君 十月二十二日 辞任 補欠選任 山本 保君 白浜 一良君 大渕 絹子君 大田 昌秀君 十月二十三日 辞任
平成十三年十月二十五日(木曜日) 午前十時二分開会 ───────────── 委員の異動 十月二十五日 辞任 補欠選任 小池 晃君 吉岡 吉典君 大脇 雅子君 大田 昌秀君 ───────────── 出席者は左のとおり。
佐藤 雄平君 広中和歌子君 本田 良一君 柳田 稔君 山根 隆治君 沢 たまき君 高野 博師君 井上 哲士君 大田 昌秀
後藤 博子君 佐藤 泰三君 伊達 忠一君 西田 吉宏君 西銘順志郎君 日出 英輔君 森田 次夫君 脇 雅史君 岩本 司君 海野 徹君 木俣 佳丈君 佐藤 泰介君 佐藤 雄平君 遠山 清彦君 渡辺 孝男君 紙 智子君 小泉 親司君 大田 昌秀
松谷蒼一郎君 山内 俊夫君 山下 善彦君 木俣 佳丈君 広中和歌子君 本田 良一君 山根 隆治君 井上 哲士君 大田 昌秀
○大田昌秀君 御異議ないと認めます。 それでは、会長に関谷勝嗣君を指名いたします。 ───────────── 〔関谷勝嗣君会長席に着く〕
広中和歌子君 本田 良一君 柳田 稔君 山根 隆治君 沢 たまき君 高野 博師君 井上 哲士君 緒方 靖夫君 大田 昌秀
月原 茂皓君 中川 義雄君 西田 吉宏君 野上浩太郎君 橋本 聖子君 福島啓史郎君 藤井 基之君 森田 次夫君 岩本 司君 神本美恵子君 郡司 彰君 佐藤 泰介君 広中和歌子君 風間 昶君 福本 潤一君 紙 智子君 小泉 親司君 大田 昌秀
関谷 勝嗣君 田中 直紀君 松谷蒼一郎君 山内 俊夫君 山下 善彦君 山本 一太君 今井 澄君 木俣 佳丈君 佐藤 雄平君 広中和歌子君 本田 良一君 柳田 稔君 山根 隆治君 沢 たまき君 高野 博師君 井上 哲士君 緒方 靖夫君 大田 昌秀
井上裕君 二百四十票 竹山裕君 一票 大田昌秀君 一票 椎名素夫君 一票 白票 四票 よって、井上裕君が議長に当選せられました。
○大田昌秀君 御異議ないと認めます。 それでは、委員長に沓掛哲男君を指名いたします。 ───────────── 〔沓掛哲男君委員長席に着く〕
私はこの際、地元振興策との露骨な取引で新たな基地の受け入れを迫るようなやり方では決して問題の解決につながらないことを指摘しつつ、受け入れを拒んだ大田昌秀沖縄県知事の苦悩の結論を尊重したいと申し上げます。 米海兵隊普天間飛行場は、新たな基地建設を伴わない形で返還されるべきです。当面、それが難しいというのなら、次善の策として、新たな基地の建設に踏み込まない方法を考えるべきでしょう。
戦後すぐのころ亡くなりましたけれども、この伊波普猷が、それから現知事の大田昌秀先生が昭和の沖縄の歴史を検証する中から、あるいは琉球王国時代の中国との関係の歴史を考察する中から、沖縄の県民性は事大主義であると言ってまいりました。
(拍手) この問題について、地元沖縄県の大田昌秀知事は、驚くと同時に怒りが込み上げてくるとして、米軍当局と日米両政府に抗議と事件の再発防止を強く要請されました。 ある方が言われたように、まるで沖縄をごみ箱としか思っていない米軍の行動、事実を隠そうとする外務省の姿勢は、基地の縮小、撤去を求める沖縄県民を愚弄するもので、断じて許すことはできません。
一昨日、十二月四日、米軍用地収用特措法に基づく村山内閣総理大臣から大田昌秀沖縄県知事に対する職務執行の命令に対して、大田県知事が拒否する旨回答されたようでございます。
去る三月三十一日、大田昌秀沖縄県知事名による戦争マラリア問題についての要請書が政府に提出されました。それは、「沖縄戦中、八重山地域においてマラリア有病地への退去により犠牲となった者の遺族に対し、早急に戦傷病者戦没者遺族等援護法、又はそれに準ずる措置を講ずること。」を求めております。この要請についてはどこで責任を持って検討し、どこで必要な対処が行われますか。
これは、琉球大学の大田昌秀さんという教授の方がつくられて世に問うた大変ショッキングな、これを忘れてならないという、日本国民に対するあるいは世界に対する警告の書として、私はいまも大事に持っております。ときどきこれを開きますが、私は北海道でありますから、戦争の犠牲という立場からいえば日本列島で一番少ないところにおりました。