1951-02-25 第10回国会 衆議院 予算委員会 第21号
○小坂委員長 中曽根君に申し上げますが、ここへ貿易界の重鎮の方が二人見えておりますが、そういう方にお尋ねになつたらどうですか。
○小坂委員長 中曽根君に申し上げますが、ここへ貿易界の重鎮の方が二人見えておりますが、そういう方にお尋ねになつたらどうですか。
もつとも、大きな重鎮と申しますか、重しとしての貫録を持つた人が会長があることを必要とし、従つてそれができたとたんに社長というものが、いささか仕事を精一ぱいするというだけにとどまるような運用になるのではないか、さようなことを予想した会長制度を今度われわれは推奨した、こういうことでございます。
さらに日本社会党の創立に際してはその創立委員となり、会計監査に就任、爾来党内の重鎮として今日に至つたのであります。(拍手) 昭和十二年以来、兵庫県第二区より立つて本院議員に当選すること四回、在職九年十一箇月に及び、わが政界に一段と頭角を拔きん出て来られたのであります。
柴田政次君は、明治十五年九月、茨城県多賀郡磯原町にお生れになりまして、茨城県多賀郡磯原町の町長、同県県会議員、同県県会議長等に挙げられまして、多年郷土政界の重鎮であつたのでありますが、昭和二十二年四月、第一回参議院議員選挙に出馬せられまして、茨城県から六年議員として御当選になつたのであります。
実は証券民主化運動を最初展開するときに、経済団体連合会におきまして、私もこれを主張いたしたのでありまするが、何か政府において証劵金庫というようなものを作つて貰わなければ、これは将来において必ず禍根を残すというようなことで、財界の重鎮であらせられるところの長崎英造さんにも非常に御協力を願つてこれが主張をいたしたのでありますが、遂にこれは実現することができなかつた。