1947-08-18 第1回国会 衆議院 政党法及び選挙法に関する特別委員会 第8号
○中村(又)委員 會計の點について最後の質問の機會のようですから、少しばかり要點を申述べたいと思います。各委員から詳細なお尋ねがありましたが、私はこの會計の根本の考え方は、やはり黨員の負擔を原則とし、熱心なるその黨支持者の寄附負擔をもつて賄うという方針でなければならぬと考えます。
○中村(又)委員 會計の點について最後の質問の機會のようですから、少しばかり要點を申述べたいと思います。各委員から詳細なお尋ねがありましたが、私はこの會計の根本の考え方は、やはり黨員の負擔を原則とし、熱心なるその黨支持者の寄附負擔をもつて賄うという方針でなければならぬと考えます。
昭和二十二年八月十八日(月曜日) 午後一時四十九分開議 出席委員 委員長 淺沼稻次郎君 理事 井伊 誠一君 理事 細野三千雄君 理事 中村 又一君 理事 小澤佐重喜君 理事 栗山長次郎君 理事 大原 博夫君 笹口 晃君 細川 隆元君 森 三樹二君 矢尾喜三郎君 安平 鹿一君 山崎 道子君 馬越 晃君
清水 武夫君 田中 利勝君 中村 正雄君 山田 節男君 今泉 政喜君 徳川 頼貞君 中川 幸平君 中山 壽彦君 大隈 信幸君 大島 定吉君 櫻内 辰郎君 岡本
昭和二十二年八月十六日(土曜日) 午前十時四十五分開議 出席委員 委員長 松永 義雄君 井伊 誠一君 榊原 千代君 安田 幹太君 山中日露史君 打出 信行君 中村 俊夫君 八並 達雄君 岡井藤志郎君 佐瀬 昌三君 花村 四郎君 明禮輝三郎君 大島 多藏君 出席政府委員
○辻委員 中村源平の所に生活協會が保管を命じておつたものだと書いてある。從つて私の物だというので、協會なるものが物を持つて行つたろうと思います。
○眞子證人 進駐軍から、連合軍から引渡しを受けていないものは中村辰三郎方の被服、布、皮、トラツクに三十三臺分であつたと思います。中村源平方は、自分はどうであつたか、今はつきり記憶いたしませんが、記録を見るとわかると思います。それが今お話のように生活物資活用協會から何か託されて、中村源平が保管しておつたかもしれません。
〔宮坂参事朗読〕 皇室経済法施行法案特別委員 清水 武夫君 田中 利勝君 中村 正雄君 山田 節男君 今泉 政喜君 徳川 頼貞君 中川 幸平君 中山 壽彦君 大隈 信幸君 大島 定吉君 櫻内 辰郎君 岡本 愛祐君 河井 彌八君 小宮山常吉君 島津 忠彦君 島村 軍次君 寺尾 博君 徳川 宗敬君 山内 卓郎君 川上
昭和二十二年八月十四日(木曜日) 午前十時五十分開議 出席委員 委員長 松永 義雄君 理事 鍛冶 良作君 榊原 千代君 安田 幹太君 山中日露史君 打出 信行君 中村 俊夫君 八並 達雄君 岡井藤志郎君 花村 四郎君 明禮輝三郎君 大島 多藏君 小西 寅松君 出席政府委員
○中村(俊)委員 次にお尋ねいたしたいと思つておりますのは、刑法上姦通罪が今の草案としては削除されておるのでございます。おそらくこの民法の改正案も同じ歩調をとつて要綱を定められたものだと考えるのでございます。從つて刑法上姦通罪がなくなれば相姦者の婚姻も自由だという趣旨であるかどうか。
中村俊夫君。
永井勝次郎君 松澤 一君 寺本 齋君 堀川 恭平君 八木 一郎君 小川原政信君 佐瀬 昌三君 重富 卓君 田口助太郎君 野原 正勝君 益谷 秀次君 松野 頼三君 森 幸太郎君 梁井 淳二君 山村新治郎君 坪井 亀藏君 的場金右衞門君 中村元治郎君
昭和二十二年八月十三日(水曜日) 午後一時三十九分開議 委員長 喜多楢治郎君 理事 石神 啓吾君 理事 笹口 晃君 理事 佃 良一君 理事 細川八十八君 理事 福永 一臣君 理事 中村元治郎君 赤松 明勅君 佐竹 新市君 林 大作君 松原喜之次君 井村 徳二君 岡野 繁藏君 櫻内 義雄君 鈴木
昭和二十二年八月十三日(水曜日) 午後一時五十四分開議 出席委員 委員長 松永 義雄君 理事 石川金次郎君 理事 鍛冶 良作君 池谷 信一君 榊原 千代君 安田 幹太君 山中日露史君 打出 信行君 中村 俊夫君 八並 達雄君 岡井藤志郎君 佐瀬 昌三君 花村 四郎君 明禮輝三郎君
関根 久藏君 圖司 安正君 寺本 齋君 中垣 國男君 中島 茂喜君 堀川 恭平君 八木 一郎君 小川原政信君 佐瀬 昌三君 重富 卓君 田口助太郎君 益谷 秀次君 松野 頼三君 森 幸太郎君 梁井 淳二君 坪井 亀藏君 的場金右衞門君 中村元治郎君
主 査 海野 三朗君 副主査 長野重右ヱ門君 委員 黒田 寿男君 稻村 順三君 押川 定秋君 五坪 茂雄君 寺島隆太郎君 淺利 三朗君 上林山榮吉君 西村 久之君 今井 耕君 中村 重太君 野坂 參三君 第四分科、これは運輸、遞信であります。
河合 義一君 島田 晋作君 竹谷源太郎君 中崎 敏君 中原 健次君 安平 鹿一君 押川 定秋君 鈴木 明良君 寺島隆太郎君 長野重右ヱ門君 磯崎 貞序君 角田 幸吉君 西村 久之君 鈴木 正文君 世耕 弘一君 苫米地英俊君 今井 耕君 中村
應急四十三箇所、橋梁流失十二箇所、破損十八箇所、うち應急二十箇所、海岸護岸堤防など八箇所、その延長一千二十メートル砂防、堰堤、護岸堤防など九箇所、その延長五百二十六メートル、さらに被害甚大な箇所は、河川では迫川、第一迫川、第二迫川、第三迫川、熊川、江合川、北上川、二股川、新北上川、七北田川、名取川、白石川、道路では國道四號線、築館岩ヶ崎線、米谷律谷線、仙台秋田線、鳴子新庄線、仙台山形線、仙台植岡線、角田中村線
昭和二十二年八月十一日(月曜日) 午前十一時二十五分開議 委員長代理 理事 佃 良一君 理事 笹口 晃君 理事 細川八十八君 理事 片岡伊三郎君 理事 中村元治郎君 赤松 明勅君 林 大作君 松原喜之次君 山口 靜江君 井村 徳二君 岡野 繁藏君 櫻内 義雄君 鈴木 仙八君 關内 正一君
委員長 板谷 順助君 理事 橋本萬右衞門君 小野 哲君 委員 内村 清次君 小泉 秀吉君 鈴木 清一君 中村 正雄君 若木 勝藏君 大隅 憲二君 植竹 春彦君 小林
○中村寅太君 今日食糧の供出問題ほど重大な問題はないのであります。私は、日本農民党所属議員といたしまして、さらに耕作農民の一人といたしまして、今日消費國民の食生活の窮状を見ますときに、まことに申訳のないような氣持になるのであります。食糧確保の良策はないものかと日夜くふうをいたしておるものであります。 供出の完璧を期しまするには、三つの根本的な條件が裏づけされなければできないと思うのであります。
昭和二十二年八月九日(土曜日) 午前十時九分開議 出席委員 委員長 松永 義雄君 理事 石川金次郎君 理事 荊木 一久君 理事 鍛冶 良作君 池谷 信一君 安田 幹太君 山中日露史君 打出 信行君 中村 又一君 八並 達雄君 吉田 安君 岡井藤志郎君 北浦圭太郎君 佐瀬 昌三君
なおくどいようですが中村とか何とかいう家にあるとのことでした。それは進駐軍が品物を抑えているので、それはどうも手がつかん、進駐軍の了解を得なければ困るというようなことを言つておりました。それでは仕方がないというので私はそのまま引下つて、山形縣の連中にはあるように思つたが、實際は來て見るとなかつた。もちろん私はこれによつて引きあげて來るという考えでもなかつた。
なお濱田辯護士たちが指令書をもつていかれたときに、中村達三郎氏の家の品物はまだ進駐軍の方のものである。だからそのままになつておる。こういうふうな特殊物件課のお話でありましたけれども、そのことはすでに一月二十三日の十一時、中村達三郎の家からトラツクど半革製品が搬出されておる。これはだれが見たかというと、匹田というものが見ております。前日拂下指令書をもつていつて、中村達三郎の家の品物は……。
昭和二十二年八月八日(金曜日) 午後一時四十七分開議 出席委員 委員長 松永 義雄君 理事 石川金次郎君 理事 荊木 一久君 理事 鍛冶 良作君 井伊 誠一君 池谷 信一君 榊原 千代君 安田 幹太君 山中日露史君 中村 又一君 八並 達雄君 吉田 安君 岡井藤志郎君 北浦圭太郎君
成瀬喜五郎君 野上 健次君 平工 喜市君 小野瀬忠兵衞君 小林 運美君 志賀健次郎君 寺本 齋君 中垣 國男君 堀川 恭平君 八木 一郎君 小川原政信君 佐瀬 昌三君 重富 卓君 田口助太郎君 松野 頼三君 森 幸太郎君 山村新治郎君 中村元治郎君